脇田 和
脇田和(わきたかず)は脇田和は明治41年(1908)、東京生まれます。青山学院中等部を中退後、15歳の時ドイツに留学しベルリン国立美術学校で学びました。帰国後は光風会や帝展に出品します。昭和11年、新制作派協会の創立に参 …
こちらにご紹介しているのは特に力をいれている作家になります。
掲載のない作家の作品も買取いたします。
脇田和(わきたかず)は脇田和は明治41年(1908)、東京生まれます。青山学院中等部を中退後、15歳の時ドイツに留学しベルリン国立美術学校で学びました。帰国後は光風会や帝展に出品します。昭和11年、新制作派協会の創立に参 …
鶴岡義雄は、1917(大正6)年4月13日、茨城県土浦市中城町に生まれました。 父は義太夫の名手、母は三味線の師匠、芝居小屋や映画館を経営してきた芸能一家で育ちます。在学時より絵画に興味を抱き、同校の先輩にあたる熊岡美彦 …
荒川豊藏(あらかわとよぞう)は岐阜県多治見市に生まれ、京都の宮永東山窯で工場長を務めたことから陶芸の道が始まりました。そこで、北大路魯山人と出会い、その際に、神奈川県鎌倉市山崎にある星岡(せいこう)窯へ招かれ、古陶磁の知 …
横山大観と共に近代日本画の革新に取り組んだ菱田春草。若くして亡くなったため活躍した期間は短いですが、その評価は今なお高いものとなっています。 1874年、長野県の飯田に生まれ、1890年に東京美術学校に入学します。在学中 …
「独眼竜 伊達政宗」といえば歴史に詳しくない方でも聞いたことがあるのではないでしょうか? 伊達政宗は戦国大名として圧倒的な知名度を誇る人物です。戦国時代を戦い抜き、江戸幕府のもとでは仙台藩藩主として領国を治め発展させまし …
北野恒富は関西画壇の中心人物として活躍した近代の日本画家です。 幼い頃より絵を描き、小学校卒業後の1892年、版画制作業者の元で木版画を学びます。また同時に南画も学んでいました。その後は様々な木版画彫刻師に学びますが、間 …
川喜田半泥子(本名・久太夫政令)は三重の実業家ですが、趣味であった陶芸作品が高く評価され、今なお高い人気を誇る人物です。 半泥子は1878年、伊勢の豪商の16代目として生まれました。生後間もなく祖父・父が相次いで亡くなり …
茶の湯釜の人間国宝にも認定された高橋敬典。その生涯を茶釜制作にささげた作品は、伝統技法と現代的な造形が組み合わされた気品ある仕上がりとなっています。 敬典(本名・高治)は、1920年に山形の鋳物製作所に生まれました。19 …
萩井好斎は現在三代目まで続く大阪の指物師です。 初代好斎は指物師・二代芦田真阿(指真)に師事し学びました。独立後は茶の湯専門の指物師として「木遊軒」の名で制作を行っています。1957年、淡々斎より好斎の号を得て、以後裏千 …
暗色の画面の中に浮かぶ鮮やかな色彩 晩年の作品に多くみられたこの配色が、画家・彼末宏の代名詞といえるものです。 彼末宏は1927年に東京に生まれました。その後北海道に移り、1945年には陸軍士官学校へ進みますが、まも …
大倉陶園は1919年に創業した老舗の日本洋食器メーカーです。欧米の高級洋食器に負けないものを日本で作る、という創業者の想いを受け継ぎ、現在もティーセットや銘々皿といった食器から、陶額やブローチといったものまで様々な製品を …
現代九谷の代表作家である武腰潤。九谷焼の伝統様式を受け継ぎつつ、現代技術により再現されるその作品は、自身の憧れである古九谷を越えるため、いまなお進化を続けています。 武腰は九谷泰山窯の4代目として石川県に生まれました。大 …
長岡空郷(ながおか くうきょう)は、楽山焼の伝統に則り、茶陶を中心に制作し、伊羅保や刷毛目、出雲色絵など幅広く手掛けています。 伊羅保とは、砂まじりの肌の手触りがいらいら(ざらざら)しているところに由来するとされています …
人間国宝(重要無形文化財保持者)の漆芸家である音丸耕堂(おとまる こうどう)は、香川県高松市に生まれます。驚くことに小学校を卒業後、13歳で讃岐彫りを専門とする石井磬堂(いしい けいどう)に弟子入りし、4年間讃岐彫りを …
熊谷守一は、明治~昭和時代を代表する洋画家です。存命中から仙人・画仙 などとよばれていました。岐阜県の生まれで、明るい色彩と単純化された平面的な画風は「熊谷様式」とも呼ばれています。洋画だけでなく日本画、書、墨絵、版画な …
小島雄四郎は、国の重要無形文化財「木工芸」保持者、黒田 辰秋(くろだ たつあき)氏に師事します。黒田辰秋は、現代漆工芸の第一人者として活躍した名工になります。修業中は、師と共に飛騨高山にて皇居新宮殿の調度品を作成しました …
安倍基の作品は、素材にこだわりを持ち柔らかく弾力性があり、編組に適した大分の竹を使用しています。材質を生かした造形の創作を行い、代表作に花籃「山陵」や手付矢羽文手付盛籃「翼揚」などがあります。1990年に西部工芸展大賞受 …
芦澤良憲の因久山焼は、鉄分を多く含む地元の土と藁灰釉や緑釉、海鼠釉、辰砂などを用いて、伝統的作風を重んじた作品の製作に力を注いでいます。元鳥取城御庭窯の登窯を維持し、年2回の窯出しを行っています。因久山の名は窯の所在地で …
安食潤は、安食ひろの息子なあたります。穴窯焼成による塩釉の茶碗を中心に作成し、力強い造形と彩色で独自の世界を追求している現代陶芸作家です。安食潤の作品は素朴で力強い作品が特徴です。近年の作品である深い青藍色の瑠璃塩釉茶盌 …
安食ひろは、塩釈を用いた作品を得意とし、市松模様に面取りをした胴に金彩その他の彩色を施した「バサラ(婆沙羅」茶碗、塩釈を用いた作品を得意とし、市松模様に面取りをした胴に金彩その他の彩色を施した「バサラ(婆沙羅」茶碗などを …
6代 浅見五郎助(当代)は、代々得意とする三島手、刷毛目手、祥瑞手染付を受け継ぎ、伝統陶芸の道に励んでいます。 歴代についてですが、2代 五郎助(生没年不詳)は磁器による煎茶道具の製作も行い、還暦を境に「五祥」と名乗るよ …
浅見五祥は、浅見家伝統の御本土を用いた三島手(ミシマデ)、刷毛目手(ハケメデ)、祥瑞手染付(ションズイデソメツケ)を基本として、金彩や錆絵で上絵付けした雅な作品なども手掛けており、茶道具全般のほか懐石道具も製作しています …
上野喜蔵は、上野焼、八代焼の祖と言われています。もとは尊楷と言う朝鮮半島の陶工になります。文禄の役(1592~1593年)後、加藤清正に従って来日しました。豊前国(福岡県)小倉藩主細川斎三に招かれて、慶応10年(1605 …
「秦蔵六」は日本を代表する鋳金家の名です。 当代で六代目となります。 「秦蔵六」の名は江戸の末期から代々、伝統の鋳金技法と共に継承されてきました。 初代蔵六は文政6年(1823年)に当時の山城国(京都府)に生まれ。 「二 …
赤塚自得は、東京で代々漆芸を家業とする家系に生まれました。狩野久信と寺崎広業について日本画を学び、更に洋画を白馬会洋画研究会で学びました。 蒔絵を父から学び、明治40年(1907)に東京勧業博覧会の審査官に就任して以来、 …