国吉 康雄は、アメリカを代表する日本人画家として知られています。
1889年に岡山県で生まれ、16歳のときに単身で渡米。
鉄道車庫の掃除やホテルのボーイなど様々な仕事をしながら美術学校に通いました。
1917年には展覧会に作品を出展し、画家としての活動をスタートします。
東洋と西洋の要素を融合させた独自のスタイルで注目を集め、次第にアメリカでその名を知られる存在となっていきました。
初期の作品には素朴な表現が見られますが、のちにエコール・ド・パリの影響を受け、より洗練された色彩や構図へと変化していきます。
戦争を経た後期になると、緊張感のある構図や、内面の不安・苦悩を映し出したような作品が多くなりました。
特にこの時期の作品には、不穏な空気感や観る者に問いかけるような強い存在感があります。
1952年、アメリカは移民帰化法を裁可し、アジア出身の移民一世にも市民権取得の道が開かれましたが、国吉は手続きを終える前に胃がんで亡くなりました。
アメリカに忠誠を誓いながらも日本国籍を持つ国吉は、「敵性外国人」として様々な苦難を経験しました。
彼の作品には、異国に生きる者ならではの視点や、複雑な感情が色濃く表れています。
代表作には『誰かが私のポスターを破った』『逆さのテーブルとマスク』『果物を盗む少年』などがあります。
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、「印象派」を代表する画家です。
ルノワールは、1841年にフランス・リモージュで仕立屋の息子として生まれました。
家族と共にパリへ移り、13歳で磁器の絵付け職人の見習いとなります。
その後、画家を志してシャルル・グレールの画塾に入り、モネ、シスレー、バジールらと知り合いました。
1864年にはサロン・ド・パリに初入選。
この頃、モネとともに印象派の特徴である「筆触分割」の手法を編み出します。
普仏戦争では騎兵隊に従軍し、翌年パリに戻りました。
1874年、モネやピサロと共同出資会社を設立し、サロンから独立した「印象派展」を開催。
しかし、当時は理想を描くアカデミック美術が中心の時代であったため、印象派の新しい表現は酷評を受けました。
以降もサロンへの応募・入選を繰り返しますが、印象派の表現技法に限界を感じ、色彩重視からデッサン重視へと転向します。1890年代以降には、このスタイルを脱した穏やかな色調に変化しました。
数年後、自転車から落ちて右腕を骨折し「慢性関節リウマチ」を発症。療養のため南フランスに移ります。
その後は、体の痛みや麻痺に苦しみながらも作品への情熱を失うことなく、不自由な手に絵筆を縛りつけて制作を続けたといいます。
そして1919年、ルノワールは肺充血により亡くなりました。
常に理想の表現方法を追い求めた彼の存在は、後世の画家たちに大きな影響を与え、今も世界中の人々を魅了し続けています。
代表作には『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』『ピアノに寄る少女たち』『雨傘』などがあります。
1963年神奈川県出身の山本氏は、1987年に武蔵野美術大学卒業後、銀座大賞展 大賞受賞を皮切りに様々の賞を受賞しました。また、1995年には上海美術館にて作品の展示も行われています。
現代的な「豊かさ」とは別に、肉体的・精神的にも「豊か」であろう原始の世界に回帰する、という想いが込められた表現で多様な素材と技法を用いて平面・立体問わず表現の幅を広げており、主に人物画に作風を詰め込んでいるのが特徴的です。
日本を代表する現代画家でありながら、現在武蔵野美術大学教授として、その卓越された技術等を後世に説いています。
1933年大分県出身の工藤和男は、幼少期よりモリを片手に海へ出て魚を獲って遊んだり、絵を描いたりすることが好きでした。その影響で武蔵野美術大学を卒業後には日展や創元展などで様々な賞を受賞しました。
工藤氏が描く作品は、幼少期から見ている情景も反映されている為、よりリアルに活力ある漁師像や海の風景画が主な作品となります。
特徴は、荒々しさと活気ある画力が合わさり、自然に近い形で描いているところだと言えます。力強さも感じつつ、どこか懐かしさも感じることができる、思い出溢れるような作品を多く描いています。
塚本 馨三は、静岡県出身のイラストレーターです。
1969年、週刊誌『平凡パンチ』でイラストレーターとして活動を開始し、芳文社・集英社・旺文社・秋田書店などで幅広く仕事を手掛けました。
レコードジャケット、絵本、CMの背景、東京ディズニーランドのポスターなど多岐にわたる制作を行い、映画『幸福物語 ペンギンズメモリー』や『銀河鉄道の夜』の背景制作にも携わっています。
1997年からはヨーロッパ取材をもとに版画・絵画の制作を開始し、現在も精力的に活動を続けています。
また、1970年から芳文社発行の『週刊漫画TIMES』の表紙イラストを長年担当し、「同一雑誌の表紙イラスト制作者として世界一長いキャリア」として、2008年にギネス世界記録に認定されました。
塚本の作品は、穏やかで幻想的な世界観と、シンプルで美しい構図が特徴で、昭和・平成を超えた現在でも高く評価されています。
10代の頃からレンブラントへのあこがれを持ち続け、その影響を色濃く受けた圧倒的な描写力で61年の生涯を駆け抜けた牧野邦夫の作品は、その描画力が評価され近年では注目度を高めつつあります。
1925年に東京で生まれた牧野は、レンブラントなどの画家たちに惹かれていき、10代後半には本格的に画家を目指すことを決意します。東京美術学校油画科(東京芸術大学美術部の前身)で学び、終戦を迎えた後学校を卒業します。団体などには所属せず、自身の信じる絵画の世界を追求するために創作活動を続けました。写実性が顕著に表れる作風は、没後次第に高い評価を得ていくことになります。
賞を受賞したり、数々の個展を開いたりと活動的でしたが、1986年61歳という若さで亡くなりました。彼が残した多くの作品がその後の展示会などで大きな反響を呼び、今現在注目度が高い作家として名を挙げています。