土屋光逸は、明治から昭和にかけて活躍した浮世絵師・版画家です。「日本三景」として知られる松島、天橋立、宮島の風景や、日常のふとした瞬間を叙情的に表現した作品を残しています。
土屋は、1870年に静岡県浜松市の農家にて生まれました。14歳の頃に上京し、16歳で浮世絵師・小林清親の元に入門。その後は、20年ほど清親の元で過ごし、石版画を学びました。この時期の作品で残されているのは、日清戦争を描いた『講和氏使談判之図』や、『万々歳凱旋之図』などの4点のみとなっています。
清親との死別や浮世絵の衰退なども影響して一時は画業から離れますが、「小林清親翁十七回忌記念展覧会」を開催していた渡辺庄三郎との出会いがきっかけとなり、62歳で新版画家として新たな一歩を踏み出すこととなります。
その後、版元の土井貞一と連携を取りながら版画作品を制作し続けました。
波乱万丈の人生を歩んだ土屋の作品は、柔らかく温かみのある色使い、光や影を巧みに操る画法で、今も人々の心を惹きつけています。
細迫諭は、テンペラと油彩を組み合わせた独自の技法で知られる画家です。
東京造形大学絵画科を卒業後、東京藝術大学大学院油画技法材料研究室を修了。
1991年には国際滝富士美術賞を受賞し、多数の個展・グループ展を国内各地で開催しています。
「テンペラ」とは、乳化作用のある固着剤を用いた絵具や絵画技法のことを指します。
西洋で広く使われた卵テンペラを中心に、蝋テンペラ、カゼインテンペラなどの種類があります。
細迫は、テンペラ技法を基盤に、油彩や箔、木材など多様な素材を用いるのが特徴です。特に屋久杉・黒檀といった木板の木目を下地として活用し、そこに果実や花、風景などを描き込むことで詩的な世界観を生み出しました。
現在は、東京造形大学などで非常勤講師を務めながら制作活動を続けています。
武田双雲(たけだ そううん)は1975年生まれの日本を代表する書道家の一人であり、「書」を通じてポジティブなメッセージを発信し続けるアーティストです。
東京理科大学を卒業後、IT企業に勤務するも、幼少期から親しんだ書の道を志して書道家として独立しました。伝統的な書の枠にとらわれず、現代的な感性と自由な表現を融合させた作風が特徴で力強さと自由な表現を融合させた作風が特徴で、力強さと優しさを併せ持つ独自の筆致は多くの人々を魅了しています。
NHK大河ドラマ『天地人』や映画『春の雪』などの題字を手掛けたことで広く知られるようになり、近年では企業ロゴ、商品デザイン、教育活動など多岐にわたる分野で活動しています。
講演活動や著書を通じて「感謝」「前向きな心」「幸せのあり方」といったメッセージを発信し、人間の内面と芸術を結びつける表現者として高く評価されています。
彼の書は単なる美しい文字ではなく、見る者の心を動かすエネルギーを兼ね備えた作品として国内外で高く評価されています。
1925年福岡県で生まれた日野氏は、1948年に日本美術学校洋画科卒業後、戦後の日本洋画界を代表する巨匠の一人である林武に師事し、独自の世界観溢れる油彩を極めていきました。
在学中に時事新報社に入社して美術を担当、その後は産経新聞社に転職し美術記者として活躍されました。一方芸術家としての活躍も大きく展開していきます。1958年に開催された第44回光風会展に2点の作品を出品し、プールブ賞の受賞を果たしました。
昭和後期は抽象が主流であった中、現代美術に対する日野氏ならではの見解を提示したり、新しい具象絵画の創造ある未来を目指す活発的な作家活動を展開したり、著書で芸術に対する想いを述べたりと、生涯に渡って自身の芸術と向き合い続けました。
佐藤哲郎は宮城県出身の洋画家で、点描を用いた油彩画で知られています。
児島善三郎、今泉篤男に師事し、複数回の渡仏やサロン・ドートンヌへの連続出品など国際的に活動しました。
点描とは、近接して配置された異なる色の点が、見る者の網膜上で混ざり合って一つの色のように感じる「視覚混合」を狙った技法です。ジョルジュ・スーラらが展開したこの技法は、「新印象派」の画家たちによって更に発展しました。緻密な点の配置によって、光・影・色彩の鮮やかさや奥行きが強調されるのが特徴です。
佐藤は日本国内やヨーロッパの景色、花、舞妓などを詩情豊かに描きました。点描による色の重なりや光の表現など、細部にわたる技巧と色彩表現によって描き出された作品は、今も多くの人に愛されています。
宇田 荻邨は、大正から昭和にかけて活躍した、三重県出身の日本画家です。
四条派を基盤に、大和絵や琳派の要素を取り入れた独自の作風で知られています。
17歳で京都に移り、四条派の流れを汲む菊池芳文に師事。京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)卒業後は、菊池契月のもとで更に腕を磨きました。そして、1925年に帝展に出品した『山村』で特選を受賞し、翌年には『淀の水車』で帝国美術院賞を受賞。これにより京都画壇を代表する日本画家として注目を集めました。
戦後は教育にも携わり、多くの後進を育てました。
1967年に勲三等瑞宝章、1972年に松阪市名誉市民を受けるなど、画業以外の功績も評価されています。