高橋 宣光は、東京出身のアーティストで美人画を得意としています。
1966年に東京で生まれ、父親はカメラマン、母親は女優という家庭で育ちました。
学生時代から様々な画風で女性や仏像などを描いており、17歳で池袋西武百貨店で2人展、翌年には吉祥寺で個展を開催しています。
多摩美術大学を卒業後、ニューヨーク・マンハッタンへ渡りました。
映画カメラマンをしていた兄の知り合いが経営する会社で、グラフィックデザイナーとして活躍します。
1990年には、マンハッタン・ソーホー(South of Houston Street)のベネディッティーギャラリーで個展を開催しました。
帰国後はフリーのアーティストとして活動を始め、1995年に二科展に初出展。
以降、10年連続で入選を果たすなど多数の受賞歴があります。
2012年には、日本人初のディズニー公認アーティスト(世界で約30人)に選ばれました。
伝統と現代の要素・美意識が見事に調和した作風が魅力的で、日本だけでなくアメリカ、フランスなど世界的にも高く評価されています。
俵屋 宗達は、江戸時代初期の京都で活躍した絵師です。
彼の生涯は謎に包まれており、交流のあった文化人の情報などから、1570年前後に生まれたと考えられています。
宗達は、金箔や銀箔を用いた装飾性の高い華やかな作風で知られています。
さらに、墨が乾く前に濃度の異なる墨を加えることで生じるにじみを利用し、立体感や質感を表現する「たらしこみ」という技法を確立しました。この技法は、のちに琳派の大きな特徴のひとつとなりました。
彼は京都で「俵屋」と呼ばれる絵屋を営み、冊子本や巻物の料紙下絵を制作しました。
その腕前が認められ、皇室や将軍家からの制作依頼、さらに『平家納経』の修復といった仕事も任されています。
1630年には、僧侶に与えられる位の高い称号「法橋(ほっきょう)」を授けられました。
代表作には『源氏物語関屋澪標図屛風』『蔦の細道図屏風』などがあります。
国吉 康雄は、アメリカを代表する日本人画家として知られています。
1889年に岡山県で生まれ、16歳のときに単身で渡米。
鉄道車庫の掃除やホテルのボーイなど様々な仕事をしながら美術学校に通いました。
1917年には展覧会に作品を出展し、画家としての活動をスタートします。
東洋と西洋の要素を融合させた独自のスタイルで注目を集め、次第にアメリカでその名を知られる存在となっていきました。
初期の作品には素朴な表現が見られますが、のちにエコール・ド・パリの影響を受け、より洗練された色彩や構図へと変化していきます。
戦争を経た後期になると、緊張感のある構図や、内面の不安・苦悩を映し出したような作品が多くなりました。
特にこの時期の作品には、不穏な空気感や観る者に問いかけるような強い存在感があります。
1952年、アメリカは移民帰化法を裁可し、アジア出身の移民一世にも市民権取得の道が開かれましたが、国吉は手続きを終える前に胃がんで亡くなりました。
アメリカに忠誠を誓いながらも日本国籍を持つ国吉は、「敵性外国人」として様々な苦難を経験しました。
彼の作品には、異国に生きる者ならではの視点や、複雑な感情が色濃く表れています。
代表作には『誰かが私のポスターを破った』『逆さのテーブルとマスク』『果物を盗む少年』などがあります。
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、「印象派」を代表する画家です。
ルノワールは、1841年にフランス・リモージュで仕立屋の息子として生まれました。
家族と共にパリへ移り、13歳で磁器の絵付け職人の見習いとなります。
その後、画家を志してシャルル・グレールの画塾に入り、モネ、シスレー、バジールらと知り合いました。
1864年にはサロン・ド・パリに初入選。
この頃、モネとともに印象派の特徴である「筆触分割」の手法を編み出します。
普仏戦争では騎兵隊に従軍し、翌年パリに戻りました。
1874年、モネやピサロと共同出資会社を設立し、サロンから独立した「印象派展」を開催。
しかし、当時は理想を描くアカデミック美術が中心の時代であったため、印象派の新しい表現は酷評を受けました。
以降もサロンへの応募・入選を繰り返しますが、印象派の表現技法に限界を感じ、色彩重視からデッサン重視へと転向します。1890年代以降には、このスタイルを脱した穏やかな色調に変化しました。
数年後、自転車から落ちて右腕を骨折し「慢性関節リウマチ」を発症。療養のため南フランスに移ります。
その後は、体の痛みや麻痺に苦しみながらも作品への情熱を失うことなく、不自由な手に絵筆を縛りつけて制作を続けたといいます。
そして1919年、ルノワールは肺充血により亡くなりました。
常に理想の表現方法を追い求めた彼の存在は、後世の画家たちに大きな影響を与え、今も世界中の人々を魅了し続けています。
代表作には『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』『ピアノに寄る少女たち』『雨傘』などがあります。
1963年神奈川県出身の山本氏は、1987年に武蔵野美術大学卒業後、銀座大賞展 大賞受賞を皮切りに様々の賞を受賞しました。また、1995年には上海美術館にて作品の展示も行われています。
現代的な「豊かさ」とは別に、肉体的・精神的にも「豊か」であろう原始の世界に回帰する、という想いが込められた表現で多様な素材と技法を用いて平面・立体問わず表現の幅を広げており、主に人物画に作風を詰め込んでいるのが特徴的です。
日本を代表する現代画家でありながら、現在武蔵野美術大学教授として、その卓越された技術等を後世に説いています。
1933年大分県出身の工藤和男は、幼少期よりモリを片手に海へ出て魚を獲って遊んだり、絵を描いたりすることが好きでした。その影響で武蔵野美術大学を卒業後には日展や創元展などで様々な賞を受賞しました。
工藤氏が描く作品は、幼少期から見ている情景も反映されている為、よりリアルに活力ある漁師像や海の風景画が主な作品となります。
特徴は、荒々しさと活気ある画力が合わさり、自然に近い形で描いているところだと言えます。力強さも感じつつ、どこか懐かしさも感じることができる、思い出溢れるような作品を多く描いています。