平川敏夫は愛知県豊川市出身の日本画家です。平川敏夫は京都の稲石着尺図案塾で日本画の基礎的な技術を学びますが、開戦のためまもなく帰郷し、中村正義との出会いによって本格的に日本画の制作を始めるようになります。初期の作風は素朴派を思わせる幻想的な表現で漁村や夜の庭園、水辺の景色などを描き、第18回新制作展では《月の庭》など庭四題が新作家賞を受賞します。やがて画面の色調は褐色系に寄り、陰影を強調した線でフォルムを切り抜く新たな表現様式へと踏み込むようになります。1970年代からはこれらの樹木のなかに古寺の塔を配した連作を発表します。「塔は樹の魂」として画面のなかで象徴的な位置を占めます。 1980年代より画面から色彩が影を潜めるようになり、墨の濃淡を主体とした画境に到達します。
絵画家一覧
牧 進
牧進は1936年、東京生まれの日本画家です。幼い頃より画を学び、川端龍子の内弟子になる。以後青龍展に出品を重ねるが青龍展解散後は、無所属画家として個展を中心とした制作活動に入ります。卓越した描写力と装飾性あふれる画風で現代日本画壇に確固たる地位を築いており、その綿密に構成された画面は、移ろいゆく日本の四季を詩情豊かに描き出しています。川端龍子の内弟子として修業を重ね、花々や生き物を描きます。一番人気のモチーフは、真っ赤な紅葉の水面を優雅に泳ぐ鯉の図です。赤や黒などの色面のバランスが良く非常に人気があります。また、竹細工の籠に生けられた四季の花々の図もシャープでリズム良く自然美を優しいまなざしでとらえた素晴らしい作品があります。
鈴木 信太郎
鈴木信太郎は東京都八王子市生まれの洋画家です。
1910年、白馬会洋画研究所に入り黒田清輝に師事します。1913年からは八王子の府立織染学校専科に入学し、織物図案を修学しました。そののち上京し、染織図案家・滝沢邦行に師事します。その時は本格的に図案家を目指していましたが、第10回文展に水彩画「静物」で初入選したことを機に図案を断念し、油絵の制作に専念します。
鈴木は絵画学校を通っておらず、それを功として従来的な絵画観にとらわれることなく自由な制作を行い、作風となっていきました。
モチーフとしてよく扱われるのは果物や花、人形などの静物、また海辺の町の風景です。画面いっぱいにモチーフを扱い、明るく映える色彩を中心に構成された「童画風」と評される作風が特徴です。
文展や二科展を中心に活躍され、戦後は野間仁根や高岡徳太郎らと一陽会を結成し、活躍されました。没後30年近くになる現在でも多くのファンがついており、市場でも人気の高い作家さんの一人です。
五味 悌四郎
五味悌四郎は東京出身の洋画家です。
1918年に東京都台東区で生まれ、川端画学校を経て東京藝術大学に入学します。1945年の第1回日展から出品し、1947年からは一水会でも出品をはじめます。
その後は渡欧してパリの美術学校・グランショミエールで学び、ボザール展やル・サロン展で受賞するなど、海外においても高い評価を受けました。その後も一水会を中心に作品を発表し、1984年には一水会委員に推挙されました。
国内外の功績から、五味は「静止画の巨匠」として名を広めました。
五味悌四郎の作風として挙げられるのは、やはり写実性に富んだ静物画ではないでしょうか。特に代表的なのは「花」をモチーフとした作品で、さらに言うと「椿」がよく描かれます。花瓶に生ける格好で、背景の抑えた色味に対する鮮やかな花弁は自然と目線を集めます。生けられる花瓶も様々な種類が描かれ、根強いファンの間では評価を左右する要素となっております。
鈴木 竹柏
鈴木竹柏は、神奈川県逗子市生まれの日本画家です。鈴木竹柏の作品は花鳥画を多く描いていたが、47年に師の岳陵が日展に所属を変えたのに伴い自らも日展に出品するようになり、以後は風景画に重きを置くようになった。56、58年に特選と白寿賞、62年に菊花賞を受け、81年に文部大臣賞を受賞するにいたりました。 平成3年にはわずか12名しかいない日本画部門の日本芸術院会員に選ばれており、日展の会長にも選出されている。鈴木竹柏の作品は一貫して、題材である風景に内在する「気」をテーマに作品を描いています。
緑和堂では、鈴木竹柏の作品を強化買取中でございます。売却を検討されたい作品がございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。
柴田 是真
柴田是真は越後出身の宮彫師の子で、袋物商(煙管筒、印籠などを制作、販売)の婿養子となった柴田市五郎の子として、江戸両国橘町に生まれます。
父の市五郎は商家に入った後も彫工として宮大工の仕事に参加した職人であり、浮世絵を好み、勝川春章に師事していました。
11歳の時に、蒔絵師の初代・古満寛哉(こまかんさい)に蒔絵を学びます。
16歳になると、画工の図案に頼らずに仕事をするため、鈴木南嶺(すずきなんりょう)に四条派の絵を学びます。是真の号である令哉(れいさい)は南嶺の嶺の字の一部「令」と古満寛哉の「哉」をとったものです。
逸話として1827年、当時売り出し中の歌川国芳(うたがわくによし)が是真の絵に感動し弟子入りしようとし、是真は初めは固辞したが、結果弟子入りを認め、国芳に「仙真」の号を与えたというものがあります。
1830年、24歳の時に四条派をより深く学ぶため、京都を旅していた時に、南嶺の紹介で四条派の岡本豊彦(おかもととよひこ)の弟子となります。
この時、豊彦の教えに従い、香川景樹(かがわかげき)に歌学と国学を、頼山陽(らいさんよう)に漢字を学んびます。
1831年、江戸に帰った是真は南嶺に再会し、成長ぶりを認められ、新たに字「儃然」と「是真」を号とするようになります。
1844年からはますます名が知られるようになった是真は蒔絵や漆絵の研究を重ね、青海勘七(せいかいかんしち)以来途絶えていた、青海波塗を復活させ、青銅塗、四分一塗、鉄錆塗、砂張塗、紫檀塗、墨形塗などの新技法を生み出しました。
1873年にはウィーン万国博覧会に蒔絵額を出品し、進歩賞牌を受賞、1886年には皇居の杉戸絵も任され、描いています。
1890年帝室技芸員を拝命し翌年の1991年に逝去。84歳でした。
弟子には同じく帝室技芸員である池田泰真(いけだたいしん)がいます。
平賀 亀祐
平賀亀祐は三重県志摩市志摩町片田に、漁師の平賀利三郎の一人息子に生まれました。絵を描くことと西洋絵画への興味から、漁師を継がず、1906年3月、16歳の時、神戸港から外国船でサンフランシスコに渡りました。父親からもらっ …
小室 翠雲
小室翠雲は群馬県出身の日本画家であり、南画家です。 1874年、日本画家の小室桂邨の息子として生まれます。 南画を田崎草雲に学び、日本美術協会で受賞を重ね、日本美術院の会員となり、日本画会と南画会の幹事として名声を上げま …
菅 楯彦
「浪速の絵師」と呼ばれた日本画家で関西画壇の長老と呼ばれていた人物として有名なのが菅楯彦です。 鳥取県に生まれた菅楯彦は武家社会の崩壊により日本画家であった父が絵で生計を立てることにしたことがきっかけで生後間もなく大阪に …
鹿児島 寿蔵
紙塑人形にて国の重要無形文化財に認定された福岡県出身の作家と言えば鹿児島寿蔵ではないでしょうか。 紙塑人形とは昭和初期に創生された日本人形であり、紙塑とは和紙などの繊維を煮詰めて糊などを加えてかき混ぜて作った粘土状の材料 …
中村 元風
中村 元風(なかむら がんぷう)1955年(昭和30年)9月2日~現在、日本の陶芸家、科学者になります。今九谷窯アーティストとして活動、「芸術とは輝きの創出である」との信条のもと、光や色から構成される「輝き」を一貫したテ …
守住 貫魚
文化6年7月11日(1809年8月21日)~明治25年(1892年2月26日)、幕末から明治初期の日本画家になります。現徳島県徳島市明神町で、徳島藩の鉄砲方・庄野(または新居見)幸次郎延知の子として生まれます。1824年 …
岸 竹堂
文政9年4月22日(1826年5月28日)~明治30年(1897年)7月27日は、日本の幕末から明治時代に活躍した日本画家。岸派の4代目で、明治期の京都画壇で、森寛斎、幸野楳嶺とともに3巨頭の1人に数えられた画家になりま …
狩野 永悳
文化11年12月15日(1815年1月24日)~明治24年(1891年)1月29日幕末から明治期の狩野派の絵師になります。安土桃山時代を代表する絵師で、狩野永徳と同じ読みであるが、別人になります。江戸木挽町に生まれる。狩 …
堅山 南風
1887年~1980年、熊本県熊本市出身の日本画家で、本名は堅山熊次。横山大観に認められ、院展、日展等で活躍した作家。花鳥画、特に鯉を中心とする秀逸な魚類を描いた作品が有名。1914年の日本芸術院再興にも加わり、銅芸術院 …
狩野 探幽
江戸時代初期の狩野派の絵師で京都生まれ。狩野孝信の子になります。早熟の天才肌の絵師と評され安土桃山時代までの狩野派に典型的な、豪奢で迫力を感じさせる画風とは異なり、「淡麗瀟洒」と評される、簡明で余白を巧みに活用した作風を …
秋野 不矩
インドに魅せられてインドの風景、寺院、人々を描いた日本画家として有名なのは秋野不矩でしょう。 1908年に静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)に生まれた秋野不矩は女学校に通いながら絵の勉強をしており、19歳の頃 …
天野 喜孝
天野善孝は静岡県静岡市出身の現代アート作家・イラストレーターです。 1967年にタツノコプロに入社し、「タイムボカン」シリーズのキャラクターデザインを手がけました。担当したキャラクターを上げればキリはありませんが、代表と …
J.トレンツ・リャド
20世紀最後の印象派と呼ばれているリャドは、1944年にスペイン・カタルーニャ州のバダロナで生まれました。 1955年頃からバルセロナのアカデミーで絵を描き始め、その後はバルセロナのサン・ホルヘ高等学校で絵画を学び、在学 …
山口 華楊
山口華楊は京都府中京区の出身です。 幼い頃から粘土や筆を使って動物を写すことを好み、明治45年に小学校を卒業後、岸竹堂や竹内栖鳳の弟子である西村五雲に入門しました。 病弱だった師・五雲の勧めにより、大正5年に京都市立絵画 …
山口 素絢
江戸期の京都で隆盛を誇った日本画流派である円山応挙を祖とする「円山派」。山口素絢は応挙の弟子として円山派を代表する絵師「応門十哲」にあげられる人物です。 美人画を得意とし、優美な女性像を描き人気を博しました。一方花鳥画や …
岩田 久利
日本におけるガラス工芸の先駆者である岩田藤七、その長男として自身も父と同じ道を進むことなったのがガラス工芸家、岩田久利です。 久利は1925年、東京美術学校を卒業してまだ間もない藤七の子として生まれました。父と同じく東京 …
尾形 乾山
乾山は寛文3年(1663年)京都の富裕な呉服商の三男として生まれました。尾形と聞いて尾形光琳が頭に浮かぶ人も多いと思いますが、その尾形光琳の弟が尾形乾山です。派手好きな性格の光琳と対照的に、乾山の性格は穏やかで書物や学問 …
ジャン=ピエール・カシニョール
現代フランス画壇を代表し、日本と繋がりが深い画家としても知られている人気作家といえば、カシニョールでしょう。 1935年にパリに生まれたカシニョールは父親が高級衣服店を経営していたこともあってか、幼少期よりモデルの女性た …
小川 芋銭
河童を好んで描いた画家で「河童の芋銭」と呼ばれた小川芋銭という画家をご存知の方も多いのではないかと思います。 江戸幕府最後の年となる慶応4年に江戸赤坂溜池の山口筑前守弘達の牛久潘邸に小川芋銭は生まれました。 牛久学舎(現 …