レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)はオランダの画家です。
バロック期に活躍し、フェルメールなどと並べて語られることが多く、時代を代表する画家です。バロック様式の絵画は強い明暗法と、リアリズム的でありながら躍動感のある構図が特徴的です。
レンブラントはその中でも「光と影の魔術師」と呼びならわされるほど、卓越した明暗表現を操る画家として知られています。
生涯に渡って絵画と向き合い、描き続けた彼ですが、その裏では度重なる不幸がありました。
20代で画家としての名声を得、結婚。妻・サスキアとの間に四人の子をもうけますが、そのうち三人が間もなく死去。のちの大傑作となる絵画『夜警』の制作中に妻サスキアまでが結核で死去してしまいます。その後は財政困難に陥り、借金に追われながら晩年期を過ごすなど、まさに激動の生涯でした。
晩年にあってもレンブラントは筆を離さず、その人生を落とし込むように絵画を描き続けました。主には油彩。そして銅版画や、1000を超えるほどのデッサンなど、名実ともに大作家として西洋美術史に名を刻んでいます。
1946年に東京都で生まれた彼女は、1968年に女子美術大学日本画科在学中に日春展に作品が入選します。1969年には女子美術大学日本画科卒業、1979年と1992年にはそれぞれ日展特選受賞、2008年に第40回日展日展会員賞を受賞、2019年に日展内閣総理大臣賞を受賞と、現在は日展会員である素晴らしい活躍をされている女流画家です。
女性の姿を主流といて描き、その洗練された構成方法とタッチ感が魅力的で、見る者を作品に引き込む力がひとつひとつの作品にあります。
松岡政信は日本美術院同人として活動している日本画家です。
1932年に大阪府で生まれました。18歳の時から中村貞以に師事し、1953年に日本美術院展にて初入選、以降同展で多数受賞いたします。1954年には第39回院展奨励賞を受賞、その他高島屋などで個展を開催するなど活躍されています。
松岡政信と言えば『花』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。これまで花をモチーフにした作品を数多く手掛けており、一凛一凛、その花特有の美しさを表現しています。
モチーフを限定する作家さんも多くおられますが、松岡政信の描く「花」は色とりどりで四季折々、実に多彩であります。葉の一片までのふくよかな表現からは、松岡政信の幾多の花に対する真摯な観察力がうかがえます。
宇野亜喜良はイラストレーターで50年以上日本のイラスト界ではトップを走り続けている人物でもあります。
「イラストレーション」「イラスト」と聞くと、「簡略化された絵」や「漫画やアニメみたいな絵」というイメージをお持ちの方も多いかと思いますが、イラストレーションの定義は「複製されるための絵」となっておりますので、絵の作風などは関係なく、本の装画やポスター、雑誌などの媒体に使われるものを「イラスト」と呼びます。
今となっては当たり前に聞く「イラスト」という言葉ですが、この言葉ができたのは戦後になってからで、宇野亜喜良、横尾忠則、和田誠らによって広められたといっても過言ではありません。
また、上記の3名や当時のイラストレーターはグラフィックデザイナーから転身していることが多く、みゆき族やヒッピーファッションが広まっていた当時の若者の支持を広く得ることになり瞬く間に広まっていきました。
宇野亜喜良の作品は、主にペンで少女や猫などを描かれていることが多く、少しノスタルジックな雰囲気を感じる作風の物が多いです。
またどの年代の作品を見ても「古さ」を感じさせない普遍的な魅力を感じさせてくれる作家です。
王錫良は、中国の美術工芸作家です。
1922年の景徳鎮に生まれ、若くから珠山八友の一人である王大凡に師事し、磁器と絵画を学びました。
1950年頃に在籍していた陶器科学研究院では、王大凡をはじめとする景徳鎮磁器の実力者たちと共に過ごし、目耳と腕を養いました。四十、五十代に差し掛かってからは祖国を旅し、自然に対する造詣を深め、創造に落とし込みました。
王錫良は、シンプルに表現された風景画や人物画を得意とします。中国絵画の潮流を汲み、かつその中で自然的で滑らかな構図が意識されています。高尚さを排し、自然へ帰するような作風が、中国で広く愛される彼の魅力です。
1979年には、景徳鎮で初めての「中国工芸美術大師(中国の人間国宝)」の受賞者となっています。2016年には個人作品のオークション総売上高が1億元(日本円で19億円)を超えており、名実ともに中国屈指の芸術家であるといえるでしょう。
中畑艸人は、和歌山県出身の油彩画家です。
18歳の頃から独学で絵画を始めた艸人は、早くも日本水彩画展で入選を果たし、才能の片鱗を見せていました。26歳で上京し、硲(はざま)伊之助に師事して油彩画を始めました。その後は一水会会員となり、主に風景画を描く作家として活躍しました。
しかし、たまたま足を運んだ競馬場で競走馬に魅せられ、その後の艸人の画題は大きく転換します。躍動的な競走馬を描くために馬の生態を幾度にも観察し、また訪欧を繰り返す中で外国馬の観察を行いました。そうして、馬をモチーフとした彼独自の画風が成立していきました。
艸人の描く競走馬は日本だけでなく競馬の本場であるイギリスでも評価を得ています。また、競馬界からも反響を呼び、中央競馬会馬事文化賞選考委員も務めました。
日展で特選を受賞した『発走迫る』の他、馬をモチーフとした作品以外でも多くの作品が描かれており、版画も多く制作されるなど長く親しまれる作家であります。