ギィ・デサップは1938年にフランスで生まれました。
12歳でデッサン等に強く興味をもち、17歳でヴェルサイユ宮殿の一室を修繕した「アトリエダーバル」に入学しそこで美術学等を学びました。18歳から20歳までの2年間はモロッコで兵役に就きました。その後はフランスに行き、そこで作品を製作していきます。
旅好きで知られるデサップは様々な国や地域を旅してきました。その経験が絵にも活きているのです。ポルトガル、スペイン、イタリア、オーストリア、ドイツ、などの国を旅し、時には中古の救急車を購入し、その車で生活しながらヨーロッパ全土を回ったりもしました。1980年にはカンヌ国際絵画祭で大賞を受賞し、パリやヴェネツィア、日本など世界各国で個展を開きその作品は国際的に愛されてきました。
作品の特徴は、油彩とアクリル絵の具を一緒に使うことで作り出される光の加減であり、表現したいものを作る為なら石や砂なども用いて表現されます。街灯の灯や夕焼けなどの自然光まで見事に表現され、まるでその絵が実際に輝いているかのように見えます。また人や建物を一つ一つ細かく描いているのも特徴であり、作品たちからはデサップが旅の中で焼き付けた景観を追体験できるような魅力を感じ取れます。
小澤 摩純は絵本などの挿絵なども手掛けている東京出身の女流画家です。
1962年に東京で生まれ、1981年に女子美術大学芸術学部版画科に入学します。在学中の1984年期特の新人版画大賞展にて買い上げ賞、大学版画展にて買い上げ賞を受賞します。1985年女子美術大学芸術学部版画科を卒業し、画家として活動していきます。
ほるぶ出版社『クリスマス急行』、佼成出版社『魔女シャーホ』などの挿絵・『ゆめがとびだしたケーキ』『くいしんぼうがまってるぞ』といった絵本なども手掛け作家として認知されるようになりました。個展なども開き、自身の作る作品のこだわりや、作り出したい世界観を表現しています。
小澤 摩純は、絵本などを手掛けていることからわかるように、優しくて柔らかい絵柄が特徴です。色彩が豊かで多くの色を使用しますが、調和という言葉がぴったりはまる美しいタッチで描かれています。
銅版画やシルクスクリーンなども手掛けており、いろんなことにチャレンジしているのも彼女の特徴で、絵本風のタッチのまま描く掛け軸のような和風作品を作っていたりもします。
小澤 摩純の作品は、絵本の挿絵などに使われるほどの優しい作品なので、学校や子供部屋など、子供が関わる所に飾ると柔らかい雰囲気になり空間が和やかになるように思います。
黒田重太郎は、滋賀県大津市出身の洋画家です。
1887年に生まれ、1970年に逝去されました。その間には、数多くの優れた作品を残されています。
黒田の作品は、優れた写実性と重厚に表現された色彩の質感が特徴的です。代表的なモチーフには「花」が挙げられるでしょう。そこに過剰な演出は無く、モチーフが持つ明暗と美しさが深みのある筆使いで表現されております。
生まれは大津市ですが、黒田は幼いころより大阪で生活しておりました。17歳の時に京都で洋画家・鹿子木孟郎に師事し、洋画を学びます。そして翌年には明治期を代表する洋画家・浅井忠の門に入りました。
その後は絵画制作の傍ら、渡仏して西洋絵画の技法や歴史を学びます。二度目の渡仏後の1923年、影響を受けて制作したキュビズム的な作品群が第10回二科会展にて評価され、二科会会員となりました。その後は二科会で活動しながら、関西を中心に後進の育成に注力します。
戦後は正宗徳三郎、鍋井克行らとともに二紀会を創始し、中心となって活動しました。20世紀の日本洋画界をけん引した作家として、彼の作品は現在でも多くの人々に愛されております。
櫻井陽司は、新潟県生まれの、日本を代表とする画家の一人です。
上京し、油彩を始めるものの、一度は電気局に就職し、その後、画家になるという一風変わった経歴をお持ちで、画家になってからは、子供が病気になり、重労働の中、ご自身も背骨を痛めてでも、数々の作品を残し、力強く生きた印象がございます。
画廊や百貨店などで、精力的に個展を開催し、アート・ロべ個展に関しましては亡くなる2000年まで開催されております。
『九十以上生きて、線一本引いて死のう』という、有名な言葉を残しており、
最期の最期まで、絵に対する思い入れが強く、湧き上がるような力と生命の躍動感、魂の籠ったデッサンの線と、見る者に感動と強さを与え、櫻井 陽司の世界感へと引き込まれる魅力が、作品から感じられます。
デビッド・ウィラードソンは、ディズニー界の生きるレジェンドと呼ばれている、ディズニー公認のアーティストです。
出身はアメリカで、スティーブン・スピルバーグが監督を務めた「レイダース-失われた聖櫃」のロゴマークなどを手掛けたことで名を知られ、その後アニメーション制作からディズニースタジオに所属し、ディズニーでのキャリアをスタートしました。
ディズニーアニメ作品「バンビ」「シンデレラ」「白雪姫」「リトル・マーメイド」「アラジン」「ライオンキング」などの、日本でも人気となった映画のポスターなどの告知物を手がけました。
ウィラードソンのディズニーに対する思いは強く、子ども時代のヒーローでもあり、憧れでもあるキャラクター達は、まるで魂を入れられたような表情を感じさせます。
彼の作品は、ディズニーが公式で好きに描いて良いと許可を出すほどのもので、キャラクター描写力と独特な表現力によって描かれるキャラクター達は、見るものすべてに元気を与えてくれます。ディズニーの公認アーティストは多くいるものの、公式から好きに書いていいと言わせてしまう作家は世界中でも数人と言われています。
鬼頭鍋三郎は1899年、愛知県名古屋市千種区生まれの洋画家です。
様々な作品がありますが、主には舞妓の画家として知名度を獲得しています。
学生時代から油絵を親しんでおり、明治銀行での就業を経ての1923年、上京して洋画家の岡田三郎助に師事します。そののち洋画家の辻永にも師事し油絵の腕を磨きました。
光風会を中心に活躍し、31年には光風会会員となり、のちに理事長も務めます。様々な展覧会で評価を得ながら、68年には愛知県立芸術大学の教授職も務め、70年には勲三等瑞宝章を受章するなど多くの業績を収めております。
代表作としては、第15回帝展で特選となった『手をかざす女』や、戦後に展開したバレリーナシリーズ、後節の鍋三郎の集大成となり、特に人気を誇った『舞妓』シリーズがあります。
女性美の本質を探求し、大胆な筆使いによる写実描写のなかで奥ゆかしさを表現させる。これこそが日本美術界の巨匠として名を知られる、鬼頭鍋三郎の魅力だと感じます。