モイズ・キスリング(1891年~1953年)
ポーランド出身の画家になり、地元の美術学校で印象派の影響を受けユゼフ・パンキエヴィッチに師事します。19歳の時、パリを出てモンマルトで画家として本格的に絵を制作し始めます。
モイズ・キスリングさんは、第一次世界大戦と第二次世界大戦を自ら志願して従軍する。ユダヤ人だったことで、第二次世界大戦の際にナチスのユダヤ人弾圧を逃れるためアメリカに亡命し、その際ニューヨークとワシントンD.C.で展覧会を開きました。
モイズ・キスリングさんは、陽気で面倒見の良いリーダーだったそうで、モンパルナスの帝王と呼ばれていたそうです。社交的な一面もあり、芸術家以外にも映画俳優やモデル等幅広いジャンルの人々と交流があったそうです。
そんなモイズ・キスリングさんが得意していたのが、風景画、静物画、肖像画が得意としていたそうです。
モイズ・キスリングさんが制作した絵は、世界中で評判を受けスイスにあります、プティ・パレ美術館に世界最大のコレクションがあるそうです。
糸園和三郎は1911(明治44)年8月4日大分県中津町の呉服商の家に生まれる。小学校5年生の時に骨髄炎にかかり手術を受ける。小学校を卒業した後は、病気のために進学を断念。1927(昭和2)年上京し次兄と共に大井町に住む。父に絵を描くことを勧められ、美術学校に通い始めた。前田寛治の作品に感動し、29年には前田の主催した写実研究所に学ぶ。29年ごろから絵画展で入選ようになり多くの賞をもらったのもこの頃である。
その後の糸園は新しい画会を立ち上げたり、いろんな画会に参加したりなど美術協会に貢献している。43年に作り上げた画会は戦時中でも自由な表現活動をするための場として立ち上げられました。45年に笹塚の家が東京大空襲にあい作品のほとんどを消失している。故郷の中津市で絵画塾を開くなど地元を大事にする活動も行っている。
晩年は後進の育成などに力を入れ1957年から1981年まで日本大学芸術学部で指導を行った。その間1959年に脳動脈瘤と診断されるが、絵を描くことができなくなる可能性があることから、手術を受けず一年半の療養生活を送るなど絵に対しての熱い思いを持っている。
糸園和三郎の描く作品は、心に浮かんだ映像を長い時間をかけて醸成させ、キャンバスの上に写し換えるという描き方で、画面からは余計な対象物が排除され無駄な物が無く、描きたい対象をダイレクトに伝えてくる迫力がありますが、どこかさみし気で静けさを感じさせる。
舟木誠一郎は東京生まれの画家で、女性の美しさをモチーフにした人物画に長けた作家です。最近美術業界では話題に上がり評価が高くなっている、リアリズム、写実性を重視した、写実絵画の分類の作品を描く作家です。
基本的に描く作品は女性がモデルの作品になります。その中には裸婦画もありますが、女性の肌の質感、眼差し、手や髪や表情などを細かく描き外面的な美しさとにじみ出る内面的な美しさを表現しています。舟木誠一郎の作品を一言で表すとやはり「美」になると思います。
冒頭で写実性の高い作品をとお話させていただきましたが、舟木誠一郎が作る作品の中には写実的な人物画に更に加筆した作品もあります。「沈黙」という作品がそれにあたるのですが、その作品には美しい女性の背中から美しい白い羽根が生えており、幻想的な雰囲気を醸し出しています。このような作品は写実絵画とは異なった作品に分類されてしまいますが、絵の中の女性は美しく幻想的で物語に出てきそうな雰囲気を漂わせています。
このように写実性の高い女性画と、物語性のある幻想的な女性画を描いており、どちらも「美」を大事にした美しい作品です。昨今の写実性ブームと相まって舟木誠一郎の作品は人気が高いです。
林 喜市郎(はやし きいちろう)は50歳を過ぎてから画家デビューという異色の経歴を持った洋画家です。
林喜市郎は1919年、千葉県野田市に生まれます。
1946年にシベリア抑留(よくりゅう)を経験し、敗戦後、日本に戻り画家を志すようになります。
幼少期に生まれ育った千葉の故郷等を主題に、様々な風景画、主に民家を描く事で知られ、全国の民家を訪ね歩く事により、日本固有の藁葺(かやぶき)文化を世界に伝え浸透させるために活動を始めました。
数ある作品の中でも、山梨県忍野村風景が大多数を占めており、優美性と写実性に富んだ独特の技法で絶大な人気を得ました。
中でも 様々な風景画、民家を描く事で知られる画商、寺西進三郎(てらにし しんざぶろう)に認められ、約30年間に及ぶ全国の藁葺民家の取材旅行からは、今となっては、ほとんど消え去りつつある日本の原風景を再発見するとともに、「失われた民家百景」シリーズとして制作するに至ります。
愚直に生涯のライフワークとして民家を描き続けたことにより、繊細で日本の原風情を表現する作風が高く評価され、1970年に全国勤労者美術展都知事賞を受賞。後に一水会展に入選した後、4回に渡り入選し、併せて日伯現代美術展入選も果たします。
また、作品の集大成として1981年自叙伝「民家を描く12ヶ月」を刊行しました。
ダニエル・ボネックは1955年にフランスで生まれ現在も活動なさっておられる画家です。兄のアラン・ボネックも画家であり、二人は画風が一致からボネック兄弟の名前で個展を開くなど兄弟で精力的に活動しています。
絵の特徴として色彩豊かで植物が必ずと言っていいほど描かれており、人物も可愛らしく明るい表情の全体の雰囲気の明るい絵が多いです、また幻想的な風景を基本としており童話の世界のような絵が特徴的です。
主な活動、活躍としてはフランスを初めとして、ヨーロッパ各国・アメリカにて、多くの展示会が開催されています。またフランス大蔵省が絵を限定版のコイン、メダルに採用、1990年にユニセフが絵ハガキに採用したりと多くのメディア、国際的に注目を浴びています。
余村展さんは、1949年、群馬県高崎市に生まれた洋画家です。
1968年、都立南高校卒業後画家になりたい気持ちはありましたが家族やまわりに否定されデザインの道に進もうと考え東京芸術大学を受験するも失敗。それからお茶の水美術学院に学びながら1972年、5度目の芸大受験に失敗、アルバイトをしながら独学で絵の勉強を続け、3年後、友人に画廊を紹介され、そこで認められますそこから現在も画家として活動を続けておられます。また活動の始めとしてデパートを中心に活動し現在は各地のギャラリーを巡り活動しておられます。
多くの挫折を経験しながらも諦めず自身の感性を磨き続けた作家であり、写実的な花や果物、引き込まれるような雰囲気を持つ人形の絵画を描かれる方です。