竹内浩一は京都出身の日本画家で、動物や自然をテーマにした精緻な描写で知られています。
中学では美術教師の勧めで美術クラブに参加し、京都市立日吉ヶ丘高等学校(旧・京都市立美術工芸学校)日本画科に進学します。
高校卒業後、一度は家業の友禅染めに従事しましたが、山口華楊氏に師事し、晨鳥社に入塾するなど本格的に画家を志します。
1967年に日展初入選を果たすと、その後も数々の展覧会で受賞を重ね、1977年には山種美術館賞展で大賞、1988年には日展で特選を受賞しました。
また、2002年から2007年までは京都市立芸術大学の教授を務め、後進の育成にも尽力しました。
作風としては、初期は感傷的な抒情画を制作していましたが、宋代絵画に触発され、生命や自然の本質を追求する作風へと発展しました。
淡く描かれた色調や細部に行き渡るほどの繊細な線描からは、生物の命そのものが吹き込まれたかのような印象を受けます。
竹内浩一の作品は、動物や自然をテーマにしたものが多く、その精緻な描写と独特の感性で、高く評価されています。
羽田裕は1939年生まれ、神奈川県横須賀市出身の洋画家です。
1965年に東京芸術大学大学院を修了しました。その後、1974年まで同大学の非常勤講師を務めました。ローマ留学を経て、イタリアの風景をはじめとした写実的な風景画を手がけるリアリズム風景画家として知られています。彼の作品は、千葉県千葉市にある写実絵画専門の美術館「ホキ美術館」に所蔵されるなど、高い評価を得ています。
羽田氏の作品は、イタリアの風景画や宮殿、古城、教会など、特にローマ近郊の風景を題材にしたものが特徴的です。また、日本を題材とした作品では、富士山を描いたものがよく知られています。いずれの作品も写実的かつ繊細で、特にローマ近郊の城や教会を描いた作品では、自然風景の中に神秘的な建造物が調和して描かれています。
羽田氏の作品の中でも高い評価を受けるものには、日の出や夕暮れの時間帯を背景とした作品が多い傾向にあります。その写実的で明瞭な描写が特に高く評価されています。また、題材についても、日本の富士山とローマ近郊の風景のどちらも広く支持を集めています。
森田茂は1907年茨城県出身の洋画家です。
元は茨城県内の小学校で子供たちに絵画を教えていました。1926年に白牙会に入選し、1928年には画家を志し教員を退職して上京しました。その後、同じ茨城県出身の熊岡美彦が設立した熊岡洋画研究所に入所しました。
日展や東光会をメインに出品しており、日展顧問や東光会会長に就任している事から高い技量がみられます。
作風は原色を多く使用しており、絵具を塗り重ねる事で強い重厚感を味わうことが出来ます。また、古典的な油彩画に見られる遠近法はほとんど使わず、に版画のような平面的な構図が見られます。
代表的な題材は「舞妓」「富士」「薔薇」「黒川能」が挙げられます。特に「黒川能」は郷土芸能の黒川能で1966年以降、描き続け人気のシリーズとなっています。
大津英敏は1943年熊本県出身の洋画家です。
東京藝術大学院在籍中に同大学教授であった山口薫に師事しました。卒業後は、独立展など数々の展覧会に参加し、画壇からの注目を集めました。1979年に家族と共に渡仏し、1981年に帰国しています。その後も意欲的に作品を作り、様々な賞を受賞しました。その実力は多摩大学理事長を務めるほどです。
作風は、家族を題材にした淡い色調が多いです。少年時代の思い出に着想をえた「毬シリーズ」と渡仏を機に二人の娘をモデルにした「少女シリーズ」に大きく大別されます。この他にも作品は存在しますが、この2シリーズは大津英敏の代名詞とも言えるため人気があり、高額につながりやすいです。
高田誠は1913年に埼玉県浦和で生まれた洋画家です。
浦和で明治初頭から代々続く産婦人科の次男として誕生しました。旧制浦和中学4年次の際、仁科展に初めて出品し入選を果たします。その翌年、安井曽太郎に師事することになります。中学卒業後は、安井の紹介で仁科技塾に入塾し、熊谷守一や山下新太郎らに指導を受けました。さまざまな展覧会に出品しており、一水会、新文展、日展には大きく関わっています。1978年には日本芸術院会員に任命され、1984年には勲三等瑞宝章を受章。1987年には文化功労者に選ばれ、1990年には浦和市名誉市民の称号を授与されました。これらの業績から、彼の素晴らしい実力が認められました。
作風は点描を得意としており、安井曽太郎の影響から脱し、独自の画風を磨きました。点描以外では、強い色合いを生かし、鋭い色彩感覚と技術力でまとまった表現を実現しています。風景画や静物画が多く、特に山の風景や花を題材とした作品が人気です。
ジョアン・ミロは1893年スペイン・バルセロナ出身の画家です。
ヨーロッパを代表する画家の一人であり、アンブレ・ブレトンらと共にシュルレアリスム運動に参加しているためシュルレアリストに含まれていますが、作風が全く異なるため独自のポジションを得ています。世界各地で制作活動を行っており、パリやパルマ・デ・マヨルカ、バルセロナにアトリエを持っていました。1966年には大阪万博に向けて作品を制作するために来日しています。その中で、絵画に加えて陶器や彫刻など多様な作品を残しています。
作風は、無意識を利用した自由な線や形が特徴的です。また、カタルーニャ地方の独特な世界観を表すような色彩も魅力的な作家です。
ミロの作品には象徴的な記号がみられます。そのため、記号の数が多い物や特徴的なものが人気があり、高い評価を得やすい傾向にあります。また、鑑定書や外箱などの付属品の有無や絵画の状態などで評価の上下がございます。