今中洋二は、京都市生まれの洋画家です。
明るく写実的な風景画で知られています。彼の作品は、特にスペインの風景や街並みにインスピレーションを得たものが多く、度々スペインへ渡航して現地の景色や文化を深く研究しました。
上野の森美術館大賞展や独立美術協会展など、日本国内の展覧会に数多く出展し、高く評価されました。
今中の作品は晴れやかな風景が特徴的です。油彩の厚みを活かした繊細な光の表現や緻密な描写は、まるで自らの足でそこにいるかのような体験を演出します。
2011年に逝去しましたが、現在も彼の作品は美術館やギャラリーで展示され、コレクターからの人気も高いです。特にスペインの田園風景や歴史的建造物を題材にした作品は、彼の代表作として知られています。
栗原一郎は、東京出身の日本の洋画家です。
主に抽象的なスタイルで知られ、特にその大胆な色使いと力強い筆致が特徴的です。
武蔵野美術大学で絵画を学び、卒業後は同大学の教授であった小貫政之助に師事し、学びを深めました。その後、芸術家としてのキャリアをスタートさせ、1975年にはシェル美術賞展で三席を受賞したり、安井賞展に入選したりと広く認められるようになりました。
栗原は後年にかけて多くの個展を全国各地で開催し、特に抽象絵画の分野で注目されました。また、「立軌会」というグループの一員として、抽象表現主義を強調する芸術活動を行い、現代美術の発展にも貢献しました。
彼の作品は暗色を基調とし、力強くも影を残すような色彩を用います。
静物や風景も描きますが、特に評価されるのは女性をモチーフとした作品です。
青山龍水は1905年生まれ、長崎県出身の西洋画家です。
東京美術学校を卒業後、1937年に二科展で初入選し、その後には文科省美術展覧会で無監査推薦されており、高い技量が評価されました。1945年に仁科会員と日展委員になっています。この頃、東郷青児と親交があったようです。1955年にはヨーロッパへ渡り、サロン・ド・コンパレーゾンに出品するなど知名度を上げました。1978年に仁科会の理事長に就任しました。その後も総理大臣賞受賞やサロン・ド-トンヌに招待出品するなど活躍しました。
作風は、少女や風景をモチーフとして描かれたものが多いです。その作品は独特な世界観を持つものが多く、魅力的なものとなっています。
高間惣七は1889年東京都生まれの洋画家です。
東京藝術大学西洋画科に在学時、第7回文部省美術展覧会で初入選しており、その後、卒業しています。卒業後、第1回帝国美術院展覧会で特選を受賞しており、以後、第5回展まで連続で特選を受賞しています。1924年には、金沢重治、田辺至らとともに槐樹社を設立しました。他にも、東光会の設立や日展審査員を返上して独立美術協会に参加するなどの動きが見えます。
作風は、穏やかな陰りのない明るい色調で詩的な画風が魅力的です。また、テーマとして身近なものを選ぶ傾向があり、室内や生活風景、育てている鳥などが見られます。
黒澤信男は埼玉県出身の洋画家です。
1930年、埼玉県に生まれ、17歳の時に白日展に初入選しています。その後、東京藝術大学に入学しました。1952年に日展でも入選し、1959年には白日会会員として活動しています。以降も数々の賞を受賞しています。中には、日展記念内閣府賞や日展特選など名だたる賞もあります。現在でも白日会会員、日展会友として活動しています。
作風としては、山脈や自然などの「原風景」をモチーフにしていることが挙げられます。実際の風景を描いており、中でも雪景色の作品が多く、豪雪地帯を盛んに描いています。
雪景色の作品は人気が高く、比較的高評価がつきやすいです。
平野遼は、大分北海郡(現在の大分市)出身の洋画家です。
幼少期に福岡県八幡市(現・北九州市)に移り住み、独学で絵画を学びました。
1949年、新制作派展に蝋画「やまびこ」で初入選し、1951年には自由美術家協会展に「詩人」で初入選しました。その後、自由美術家協会の会員となり、1964年には麻生三郎らと共に主体美術協会を設立しました。
平野の作品は、人間の内面や社会の在りようを深く見つめ、独特の筆致と重厚な色彩で表現されています。特に、苦悩や不安、矛盾を抱える人間の普遍的な心情を描き、「魂の画家」と称されました。
主な作品に「裸形の風景」や「修羅A」「修羅B」などがあります。
人気が高いのは、そういった心情描写が表れる「人間」をモチーフとした作品です。
晩年には無所属となり、海外を旅しながら活動を続けました。
平野遼の作品は、北九州市立美術館や福岡県立美術館などに収蔵されており、現在も多くの人々に親しまれています。