ロバート・ワイランドは国際的に有名な海洋生物アーティストです。画家、彫刻、作家、写真家、慈善家、映画製作者としても活躍している経歴を持っています。
海洋生物アーティスト(マリンアーティスト)といえば日本だとラッセンが人気ですが、世界的にはラッセンと並ぶほどの人気があり、マリンアーティストの第一人者とも呼ばれています。
ワイランドは、19歳の時に世界中の100カ所に壁画を描くという壮大な挑戦を始めました。1981年から始め、30年近い年月をかけて100枚を超えるマリンアートの壁画を完成させ、プロジェクトを達成しました。このプロジェクトは「ホエーリング ウォールズ」という名がつき、史上最大の公共芸術プロジェクトの 1 つとなっています。この世界的プロジェクトで描かれた作品は、年間で推定10 億人が鑑賞し続けています。
その他にもカリフォルニア州ロングビーチのコンベンションセンターに描いた巨大な海洋壁画は、3エーカー(12140㎡)以上の大きさでギネス世界記録に登録されるなど、多くの活動を行っています。
ワイランドのこれらの活動は全て自然保護の為の行動で、環境問題への関心を高めるための活動として取り組んでいます。美術や芸術を通して地球の大切さなどを訴え続けています。
井田幸昌は1990年、鳥取県生まれの現代美術作家です。
彫刻家である父、井田勝己のもと幼い頃より芸術に触れながら育ち、2016年に東京藝術大学 美術学部絵画科を油画専攻で卒業、2019年には同学大学院美術研究科修士課程を油画専攻で修了しました。在学時から作品を発表し続け、個展やグループ展を数多く開催してきました。
2017年には株式会社IDA Studioを設立、決まったギャラリーには属さず海外での活動も精力的に行っています。そうした活動が評価され、2018年にはFobusJAPANが毎年選出している30 UNDER 30 JAPANの一人に選ばれました。
「一期一会」を製作におけるコンセプトとし、「現象そのものを作品に投影することで、過去から現在に至るまで、多くの“今”との出会いを心のフィルターを通して可視化することを目指す(IDA Studio公式HPより)」としています。
コンセプトの通り、表情や顔立ちをはっきりとは描かず、その瞬間を切り取った独特の画風・色彩が特徴的です。近年はブロンズや木彫りでの彫刻作成も行っており、確かな画力と表現力・世界観で、今最も注目の若手作家といえます。
ギィ・デサップは1938年にフランスで生まれました。
12歳でデッサン等に強く興味をもち、17歳でヴェルサイユ宮殿の一室を修繕した「アトリエダーバル」に入学しそこで美術学等を学びました。18歳から20歳までの2年間はモロッコで兵役に就きました。その後はフランスに行き、そこで作品を製作していきます。
旅好きで知られるデサップは様々な国や地域を旅してきました。その経験が絵にも活きているのです。ポルトガル、スペイン、イタリア、オーストリア、ドイツ、などの国を旅し、時には中古の救急車を購入し、その車で生活しながらヨーロッパ全土を回ったりもしました。1980年にはカンヌ国際絵画祭で大賞を受賞し、パリやヴェネツィア、日本など世界各国で個展を開きその作品は国際的に愛されてきました。
作品の特徴は、油彩とアクリル絵の具を一緒に使うことで作り出される光の加減であり、表現したいものを作る為なら石や砂なども用いて表現されます。街灯の灯や夕焼けなどの自然光まで見事に表現され、まるでその絵が実際に輝いているかのように見えます。また人や建物を一つ一つ細かく描いているのも特徴であり、作品たちからはデサップが旅の中で焼き付けた景観を追体験できるような魅力を感じ取れます。
小澤 摩純は絵本などの挿絵なども手掛けている東京出身の女流画家です。
1962年に東京で生まれ、1981年に女子美術大学芸術学部版画科に入学します。在学中の1984年期特の新人版画大賞展にて買い上げ賞、大学版画展にて買い上げ賞を受賞します。1985年女子美術大学芸術学部版画科を卒業し、画家として活動していきます。
ほるぶ出版社『クリスマス急行』、佼成出版社『魔女シャーホ』などの挿絵・『ゆめがとびだしたケーキ』『くいしんぼうがまってるぞ』といった絵本なども手掛け作家として認知されるようになりました。個展なども開き、自身の作る作品のこだわりや、作り出したい世界観を表現しています。
小澤 摩純は、絵本などを手掛けていることからわかるように、優しくて柔らかい絵柄が特徴です。色彩が豊かで多くの色を使用しますが、調和という言葉がぴったりはまる美しいタッチで描かれています。
銅版画やシルクスクリーンなども手掛けており、いろんなことにチャレンジしているのも彼女の特徴で、絵本風のタッチのまま描く掛け軸のような和風作品を作っていたりもします。
小澤 摩純の作品は、絵本の挿絵などに使われるほどの優しい作品なので、学校や子供部屋など、子供が関わる所に飾ると柔らかい雰囲気になり空間が和やかになるように思います。
黒田重太郎は、滋賀県大津市出身の洋画家です。
1887年に生まれ、1970年に逝去されました。その間には、数多くの優れた作品を残されています。
黒田の作品は、優れた写実性と重厚に表現された色彩の質感が特徴的です。代表的なモチーフには「花」が挙げられるでしょう。そこに過剰な演出は無く、モチーフが持つ明暗と美しさが深みのある筆使いで表現されております。
生まれは大津市ですが、黒田は幼いころより大阪で生活しておりました。17歳の時に京都で洋画家・鹿子木孟郎に師事し、洋画を学びます。そして翌年には明治期を代表する洋画家・浅井忠の門に入りました。
その後は絵画制作の傍ら、渡仏して西洋絵画の技法や歴史を学びます。二度目の渡仏後の1923年、影響を受けて制作したキュビズム的な作品群が第10回二科会展にて評価され、二科会会員となりました。その後は二科会で活動しながら、関西を中心に後進の育成に注力します。
戦後は正宗徳三郎、鍋井克行らとともに二紀会を創始し、中心となって活動しました。20世紀の日本洋画界をけん引した作家として、彼の作品は現在でも多くの人々に愛されております。
櫻井 陽司は、新潟県生まれの、日本を代表とする画家の一人です。
上京し、油彩を始めるものの、一度は電気局に就職し、その後、画家になるという一風変わった経歴をお持ちで、画家になってからは、子供が病気になり、重労働の中、ご自身も背骨を痛めてでも、数々の作品を残し、力強く生きた印象がございます。
画廊や百貨店などで、精力的に個展を開催し、アート・ロべ個展に関しましては亡くなる2000年まで開催されております。
『九十以上生きて、線一本引いて死のう』という、有名な言葉を残しており、
最期の最期まで、絵に対する思い入れが強く、湧き上がるような力と生命の躍動感、魂の籠ったデッサンの線と、見る者に感動と強さを与え、櫻井 陽司の世界感へと引き込まれる魅力が、作品から感じられます。