竹久 夢二
「夢二式美人画」と呼ばれる特徴的なスタイルの美人画。大正ロマンの象徴としてあげられる情感あふれるその作品は、多くの日本人を魅了しました。 夢二は1884年岡山県に生まれます。18歳の頃上京し、間もなく新聞や雑誌のコマ絵な …
「夢二式美人画」と呼ばれる特徴的なスタイルの美人画。大正ロマンの象徴としてあげられる情感あふれるその作品は、多くの日本人を魅了しました。 夢二は1884年岡山県に生まれます。18歳の頃上京し、間もなく新聞や雑誌のコマ絵な …
横山大観や菱田春草らと並んで東京美術学校、日本美術院で日本画の革新に注力した画家が下村観山です。 観山は1873年、和歌山に …
川端龍子は和歌山県に生まれた日本画家です。 1885年に和歌山市に生まれた川端龍子は1895年に母親・妹とともに上京し1899年に東京府立第一中学校に進学、同校から府立第三中学校が独立したタイミングで川端龍子に画家として …
洋画から日本画へ転向した異色の画家、小杉放庵。西洋と東洋の双方を見た彼が描く絵は、画壇でも評価され続けました。 小杉放庵は1881年、栃木県の日光に生まれました。1896年より地元の洋画家・五百城文哉に弟子入り、1900 …
畠中光享はArtist Group―風メンバーである日本画家です。 1947年に奈良市に生まれた畠中光享は大谷大学文学部史学科、京都市立芸術大学専攻科修了した後、1971年にパンリアル展(パンリアル協会)に出品しました。 …
森田りえ子は現在の日本画壇において、次代の日本画を託される画家として注目されております。 1955年の兵庫県に生まれ、幼いころから絵を描くこと、引いては美術全般を好んでおりました。 京都市立芸術大学に進学後は、岩絵の具に …
葛飾北斎と並ぶ江戸の有名浮世絵師・歌川広重。『東海道五十三次』に代表する数多くの作品は江戸庶民から現代に至るまで、多くの人々の心を掴みました。 広重は元々は江戸の定火消に所属する家系でしたが、幼いころから絵に対する興味を …
『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』、彼方に見える富士を背景に、そびえ立ち崩れ落ちようとする大波と、必死に耐える小舟の姿。 浮世絵界で最も著名な人物であり、世界的にも有名な浮世絵師・葛飾北斎によって描かれたその作品は、日本文化 …
奇想天外な作品の数々が現代でも人気な歌川国芳。 多岐にわたる奇抜なテーマと迫力ある画面構成は、江戸庶民からも人気を得ており、多くの作品が現代に受け継がれています。 国芳は1748年に江戸日本橋で生まれました。幼いころから …
戦後の日本画壇で、革新的な作風と対象を的確に描く画力が高く評価された日本画家。それが杉山寧です。 杉山寧は1909年、東京浅草に生まれました。東京美術学校日本画科に進学後は、日本画の革新運動にも加わりました。在学中には帝 …
狩野派絵師でありながら多くの浮世絵も描いた絵師・河鍋暁斎。幕末から明治へと向かう動乱の時代の中で、実力を発揮し、高い評価を得た人気絵師です。 暁斎は1831年に下総(現在の茨城)で生まれました。翌年は家族で江戸に移り、以 …
橋本明治は、島根県出身の日本画家です。 明治37年に生まれ、幼少期に祖父の影響を大きく受けて、絵画の道を進みます。 中学校を卒業した翌年の4月に上京。東京美術学校日本画科に入学しました。同期には、明治と共に日本画家の大御 …
棟方志功は日本を代表する版画家です。 「板画」と称した志功の版画は、その独特な作風から現在でも高い人気を誇っています。また「倭画」と称した肉筆画も、同様に人気の高いものとなっています。 志功は1903年、青森の刀鍛冶職人 …
石川晴彦は昭和後期まで活躍した画家で、仏画を多く手掛けたことで知られております。 京都に生まれた石川晴彦は、1914年に京都市立美術工芸学校絵画部に入学するも、1918年に中退し上京を志した矢先に京都で第1回国画展に感銘 …
上村松園は近代日本画家の中でも珍しい、女流画家として活躍した人物です。彼女によって描き出される凛とした佇まいの女性の姿は、追求し続けた「真・善・美の極致に達した本格的な日本画」の姿を現在に伝えています。 松園は1875年 …
山口蓬春は大正から昭和時代に活躍した日本画家です。 1893年に北海道に生まれた山口蓬春は、1903年に父親の転勤に伴って上京し中学生の時に白馬研究会で洋画を学んでいました。東京美術学校西洋学科に入学した後は、入学の翌年 …
中川一政は、東京都に生まれた洋画家で、洋画だけでなく美術家、歌人、随筆家としても活躍したことで有名です。 独学で洋画を勉強した中川一政は21歳の時に最初に描いた作品である「酒倉」を巽画会展に出品したところ、岸田劉生に認め …
加山又造は、京都出身の日本画家です。 西陣の衣装図案師を父に持ち、祖父は京都四條派、円山派に学んだ絵師の下で生まれ育ちました。父は弟子を抱えて工房を営んでいたこともあり、幼いころから父や弟子の方たちの仕事を見ていたことと …
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」奈良・法隆寺の秋を詠った有名な俳句、この一句を詠んだのが俳人・正岡子規です。 子規は1867年に、伊予国(現愛媛県松山市)で松山藩士の長男として生まれました。幼い頃から漢詩や書画を好んだ …
寛永の三筆、近衛信尹・本阿弥光悦と並ぶ能書家、松花堂昭乗。書だけでなく絵画・茶道にも秀でた文化人です。 1582年、和泉国堺に生まれ、1593年には同じ三筆の一人、公卿・近衛信尹に仕えました。1598年に出家し石清水八幡 …
東山魁夷は、1908年(明治41年)神奈川県横浜市に生まれました。 本名は新吉といいます。 東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、ドイツに留学しました。 ドイツ留学の後に太平洋戦争への召集に応じて軍隊にはいります。 …
金澤翔子は、1985年に東京で生まれました。 母は書家の金澤泰子です。41歳のときに授かった一人娘になります。 出産後、新生児期に敗血症にかかり、45日目に娘がダウン症であることを医師に知らされます。 当時は今ほど障がい …
福田平八郎は、大分県に生まれた日本画家です。 代表作である漣は昭和天皇と一緒に魚釣りをした際の作品として知られています。文具屋に生まれた福田平八郎は、幼少のころから絵を描くことが好きで数学が苦手で中学校を落第してしまった …
中島潔は旧満州国に生まれた有名な日本画家です。 満州国に生まれましたが、1歳の時に両親の故郷である佐賀県で育ち、高校を卒業後に上京し、印刷会社などで働きながら独学で絵の勉強を続け広告会社に就職、イラストレーターとして数々 …
大山 忠作は日本画家です。 福島県の染物業を営む大山豊春・きよの長男として生まれた大山忠作は家業が紺屋で父も趣味で日本画を描いていたことが影響したのか自然と画家を志すようになります。 1940年に東京美術学校(現.東京芸 …