瓜南 直子は、岩絵の具やアクリルなど多彩な画材を用いて描く日本画家です。
1955年に、石川県穴水町に生まれました。2歳の時に家族で東京に移り、その後も転勤族であった父親について、7歳で岡山県に、そして19歳で再び東京に戻ります。
一浪ののち、東京藝術大学美術学部工芸科(鍛金専攻)に入学し、1980年に卒業しました。
卒業後はスタイリストやフリーライターとして活動しましたが、30代半ばより鎌倉に定住し、日本画家である有元利夫の影響を受けながら、日本画を基調とした絵画の制作を始めました。
彼女が描くテーマは、自身が「兎神国」と名付けた世界です。
ー兎神とは月。ここは月に護られた国である。
ひのもと日本に寄りそうように、ひっそりと存在する国だ。
日本のA面が、私たちの生きる「現実社会だとすれば、
B面の「兎神国」は、時を越えて生きる日本の精神を司る国である。ー
と語られています。
作品では、月、人物、植物が多く描かれ、幻想性と静かな物語性をあわせ持つ世界観が、多様な画材を用いた独特な質感とともに表現されています。
鎌倉の文化人らとも交流があり、京都・鎌倉の神社仏閣などを舞台に現代アートの展示を行う「神〇光」の会員でもありました。
詞を紡ぐように、物語を綴るように描かれた作品を、瓜南自身で「兎神国」の博物誌である表現しています。
岐阜県岐阜市出身の加藤東一は、水墨画の分野で高い評価を受けた日本画家として名が知られています。
絵画への基礎を深めて行くため、また先に芸術の世界に足を踏み入れた兄・加藤栄三の後を追いかけて上京。東京美術学校日本画科に入学をします。卒業後は山口蓬春に師事し、自身の芸術に対する技術や感性を磨いた結果、第3回日展に「白暮」を初出品・初入選を果たします。その後も数々の賞を受賞し、日本に名が知られていくようになりました。
また、第1回岐阜市民栄誉賞受賞後に、岐阜市名誉市民となるなど、故郷への大きな貢献も印象的です。故郷をモチーフに描かれた数々の作品は、今も見るものに懐かしさや幻想的で穏やかな気持ちを与えてくれます。
浅野竹二(1900年~1999年)は、京都出身の木版画家で、日本画と創作版画の世界で活躍しました。明るく洗練された風景画や、ユーモアと詩情を感じさせる作品で知られています。
彼は京都市美術工芸学校、そして京都市立絵画専門学校で日本画を学び、土田麦僊(つちだ ばくせん)に師事しました。初めは日本画家として活動していましたが、1930年代に入ってから木版画に魅了され、独自のスタイルを築いていきます。
代表作のひとつが「名所絵」シリーズ。これは京都や大阪など全国の名所の風景を、鮮やかで開放的な色彩と、やわらかな光の表現で描いた作品群です。単なる観光名所を描いたものではなく、浅野自身の感性で再構成された情景が特徴です。
また彼は、自分で絵を描き、自分で彫り、刷るという「自画・自刻・自摺(じが・じこく・じしゅう)」にこだわり、創作版画の分野でも多くの魅力的な作品を残しました。鳥や虫、人の姿などを独特のデフォルメで表現し、どこかユーモラスで温かみのある作風が支持されました。
1960年には、アメリカの有名な画家ベン・シャーンが浅野を訪ね、彼の作品を「自由な発想とモダンな造形を、繊細な技で見事に融合させている」と絶賛しました。
晩年まで創作を続けた浅野竹二は、1999年にこの世を去りましたが、今なおその作品は国内外で高く評価され、多くの美術館やギャラリーで展示されています。
石垣定哉(いしがき さだや)は、三重県出身の洋画家で、綿密な風景画や抽象的な絵画を描くことで知られています。
1970年に愛知県立芸術大学を卒業すると、その後はニューヨークに留学し、版画等を学びます。当時のアメリカはポストモダンの流れの中にあったため、その時代で彼が得た知識や経験が、後の半抽象的な作風に影響しているのだと考えられます。
風景や人物を題材にしたものが多く、特にニューヨークや南欧、故郷の風景を描いたものが有名です。1980年代末から1990年代前半にかけて、ニューヨークの風景を半抽象的に表現した作品群が特に注目を集めました。
また、「イシガキブルー」という言葉が彼の代名詞として扱われ、その繊細かつ巧みな青の色彩には、国内外から高い評価を受けていました。
故郷である三重県東員町を始め、今もなお多くの人に愛されている作家だと言えます。
宇田 荻邨は、大正から昭和にかけて活躍した、三重県出身の日本画家です。
四条派を基盤に、大和絵や琳派の要素を取り入れた独自の作風で知られています。
17歳で京都に移り、四条派の流れを汲む菊池芳文に師事。京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)卒業後は、菊池契月のもとで更に腕を磨きました。そして、1925年に帝展に出品した『山村』で特選を受賞し、翌年には『淀の水車』で帝国美術院賞を受賞。これにより京都画壇を代表する日本画家として注目を集めました。
戦後は教育にも携わり、多くの後進を育てました。
1967年に勲三等瑞宝章、1972年に松阪市名誉市民を受けるなど、画業以外の功績も評価されています。
川島 睦郎(かわしま むつお)は、日本画家で、主に風景画・静物画・花鳥画を手がけ、近代~現代の日本画界で活動しています。
初期は 風景画 を主なモチーフとして描いていたが、次第に 静物画・花鳥画 に題材を移行していきました。
四季をテーマとする作品が多く、季節感・自然の移ろいを重視した表現がしばしば挙げられています。 後年は 花鳥画 を得意とし、「いのち讃歌」などのテーマで生命感・躍動感を表現する意図が語られることがあります。
日本画の伝統技法を丁寧に扱いつつ、題材・空間構成・色彩に独自性を織り込んでおり、一定の芸術的評価を得ています。