森 寛斎
森 寛斎は、日本の幕末から明治時代に京都を中心に活躍した絵師、日本画家になります。本姓は石田、幼名は幸吉、のちに尚太郎となります。 森狙仙、森徹山、森一鳳・寛斎と続く森派の絵師になります。若い頃は攘夷(じょうい)運動に熱 …
森 寛斎は、日本の幕末から明治時代に京都を中心に活躍した絵師、日本画家になります。本姓は石田、幼名は幸吉、のちに尚太郎となります。 森狙仙、森徹山、森一鳳・寛斎と続く森派の絵師になります。若い頃は攘夷(じょうい)運動に熱 …
江戸初期から続く唐津焼の名工、中里太郎右衛門。技術の継承とともに、そこに現代的なデザインを組み込み作られる作品群は現在の14代目に至るまで、着実に受け継がれています。 中里又七を祖として現在まで続く中里家。特に注目された …
海野清は1884年に帝室技芸員の父、海野勝珉の三男として生まれます。 1911年に東京美術学校を卒業してからは父である海野勝珉と金工師、加納夏雄に師事し技術を磨きます。 1914年には大正博覧会に出展し2等賞を受賞、19 …
三輪休雪は、萩焼窯元・三輪当主が代々襲名している陶芸作家としての名称で、単に休雪(きゅうせつ)とのみ呼ばれることもあります。 三輪家の歴史は古く、江戸時代から400年続く伝統的な窯元です。世襲制の当主も現在まで十三代続い …
海野勝珉は1844年に茨城県水戸で生まれました。金属の彫金に関しては祖父の海野美盛から学び、その他にも当時の水戸藩の彫金会で権威となっていた萩谷勝平からも金属工芸の技術、技法を学びます。 明治元年には上京しますが、明治政 …
近代日本画の復興に尽力し、戦後は制作の傍ら美術行政にも取り組んだ日本画家・安田靫彦。日本画の中でも特に歴史画を得意とし、多くの優れた作品を残しています。 安田は1884年、東京日本橋に生まれました。13歳の帝室博物館の法 …
「練上手」にて1993年に国の重要無形文化財に認定された陶芸家として有名な人物は松井康成でしょう。 「練上手」とは異なる色の粘土を練り合わせてその収縮にて模様を表す技法です。色が違うといっても土は同一で顔料にて色を変えて …
金森映井智は「彫金」にて1989年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。 金森映井智は1908年に富山県の高岡市に生まれました。高岡市は鋳物産業が有名であり、大澤光珉を輩出した街としても有名です。そうい …
芹沢銈介は静岡県出身の染色工芸家で、人間国宝にも認定されています。 芹沢は、1895年の春の終わりに生誕しました。 その後東京高等工業学校に入学し、図案科卒業後に柳宗悦氏に出会います。 芹沢と柳宗悦の関係は生涯続く事とな …
松田権六は、1896年石川県金沢市に生まれました。 7歳の頃から仏壇職人の兄より蒔絵を習い始めます。 1925年に並木製作所(パイロット万年筆の前身)に入社し、万年筆やパイプなどに蒔絵を施し世界に広めました。 1927年 …
須田賢司は1954年に東京都に生まれた木工芸師です。 指物師を二代にわたって営む家庭に生まれた須田賢司は、東京都立工芸高校を卒業した後に父である桑翠に師事すると同時に母方の祖父である山口春哉より漆芸を学びます。1975年 …
「髹漆」という漆芸の漆を塗ることを意味する技法で2002年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された漆芸家に大西勲という職人がいます。 大西勲が作る作品はどれもこだわりを持っており、見るものを魅了します。 大西の得意と …
小森邦衛は石川県出身の漆芸家です。 1945年に輪島市で生まれ、20歳の時に和家具職人から輪島塗師に転身をし、はじめは沈金の技法を学ぶ為に樽見幸作に師事し、1968年に輪島市立輪島塗芸技術研修所沈金科に入所しました。そこ …
藤沼昇は、30歳の時にカメラマンから竹工芸へと転身を遂げた栃木県出身の作家です。 27歳の時に3週間のヨーロッパ旅行にて日本が持っている文化は世界に行っても恥ずかしくないといったことを感じて日本文化を継承しようと思ったそ …
太田儔は「蒟醤」にて国の重要無形文化財に認定された岡山県出身の漆芸家で、籃胎蒟醤を研究し、布目彫蒟醤や二重編み蒟醤などの独自の技法を確立させたことが有名です。 布目彫蒟醤とは太田儔が考案した技法で1ミリの中に3~4本の細 …
福島善三は2017年に58歳という若さで「小石原焼」にて国の重要無形文化財に認定された福岡県出身の陶芸家です。 小石原焼とは福岡県の朝倉郡にある東峰村(とうほうむら)が発祥の約350年の歴史がある焼物であり、日本で初めて …
伝統的な東洋絵画の線描を研究し描かれる作品たち。近代の日本画において革新的な朦朧体が導入される中、古径は線描による日本画を貫きました。 小林古径は1883年、新潟県の高田に生まれます。1899年には上京し、日本画家・梶田 …
中国色絵磁器を研究し、再現した陶芸家・加藤土師萌。最難関とされる数々の技法を自らのものとした功績が評価され、1961年には色絵磁器の人間国宝に認定されています。 加藤は1900年。愛知県瀬戸町に生まれました。当初は画家志 …
団扇片手に湖の畔で景色を眺める女性を描いた『湖畔』。日本洋画界の先駆者となった巨匠・黒田清輝の代表作です。 黒田は1866年、薩摩藩士の息子として生まれました。明治維新後、子爵となった伯父の養子となり、1872年に上京し …
数々の伝統技法を復活させ、指物工芸の技術を現代に受け継いだ木工芸家・氷見晃堂。その実力から木工芸で2番目の人間国宝に認定された人物です。 氷見晃堂は1906年、石川県の金沢に生まれました。実家は商家でしたが、祖父と父の教 …
青い服を纏い肘掛け椅子に座る女性の姿。梅原龍三郎と並び昭和洋画壇の双璧を成した画家・安井曾太郎の代表作『金蓉』は、当時の写実主義絵画のまさに基準となるような作品でした。 安井は1888年、京都の商家に生まれます。親の反対 …
京都府画学校の設立に尽力し、自身の私塾でも多くの著名な画家を育てた日本画家・幸野楳嶺。その功績は近代日本画の父と呼べるものではないでしょうか。 幸野楳嶺は1844年、京都に生まれました。1852年に円山派の絵師・中島来章 …
息子・雄と共に親子二代で備前焼の人間国宝に認定された陶芸家・藤原啓。鎌倉古備前様の質素な作風と、焼成の自然な変化をも利用した近代的な造形で備前陶芸界の牽引役を担った人物の一人です。 藤原啓は1899年、岡山県の農家に生ま …
横山大観や菱田春草らと並んで東京美術学校、日本美術院で日本画の革新に注力した画家が下村観山です。 観山は1873年、和歌山に …
安井曾太郎と並び戦後日本の洋画壇を支えたのが洋画家・梅原龍三郎です。 梅原は1888年に京都に生まれました。中学校を中退し、伊藤快彦の画塾で洋画の基礎を学びました。その後聖護院洋画研究所、関西美術院と渡り、安井曽太郎と共 …