白隠 慧鶴は、江戸時代中期に活躍した禅僧です。
臨済宗の中興の祖として知られており、白隠禅師とも呼ばれています。
白隠は、1686年に駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)で生まれました。
幼い頃に寺で地獄にまつわる話を聞き、その恐ろしさから数日間泣き伏せました。
そして「どうすれば救われるのか」と考えた白隠は、15歳で松蔭寺の単嶺和尚のもとで出家します。
その後は各地を巡りながら厳しい修行に励み、やがて深い悟りに至りました。
白隠は、坐禅や公案修行を重視するとともに、日常生活のあらゆる行為を修行と捉える姿勢を説きました。
また、仏法をより広く庶民に伝えるために多くの書画を残しており、力強い筆致の禅画や、地獄・極楽を描いた作品は親しみやすく、人々に禅の心を伝える役割を果たしました。
白隠の教えは、後世の弟子たちによって今日まで受け継がれています。
彼は精神文化や美術の分野にも大きな影響を与えた、日本の禅を語るうえで欠かせない人物といえるでしょう。