任 頤(任 伯年)は、清末に活躍した中国の画家です。
花鳥・人物・山水画を得意とし、中国の伝統と西洋絵画の要素を融合させた独自の作風が特徴です。
また、海上派の蒲華、虚谷、呉昌碩とともに「海派四傑」と称されています。
任頤は、1840年に浙江省紹興府山陰県航塢山の農村に生まれました。
父の任鶴声、伯父の任熊・任薫も画家という環境で育ち、幼い頃から彼らの影響を受けていました。
15~16歳で叔父の作品を模写して売りはじめますが、叔父に知られた際には、怒られるどころか「才能がある」と弟子に招かれたという逸話が残っています。
太平天国の乱では旗手として活躍し、天京(南京)陥落と共に故郷に戻りました。
その後は上海にて「古香室」という扇子店を開き、文人画家たちと交流しながら画家としての活動を続け、1895年に肺炎で亡くなっています。