辻常陸とは佐賀県有田に窯を構える辻家の現当主が襲名した名で、当代は15代目に当たります。辻家の歴史は長く400年以上続く名門です。3代喜右エ門の時代に仙台藩主伊達綱宗によって皇室に献上された陶磁器が認められ皇室御用達となりました。その後も代々御用達となり世襲制となった15代辻常陸の現代でも宮内庁御用達として拝命しています。
この長い辻家の中で発明された焼成法の中に極真焼というものがあります。これは8代当主辻喜平次が研究の末完成させた焼成法で、製品と同質の磁土で匣鉢(さや)を作り、その中に本来の製品を入れ蓋をします、蓋の接触部分と内側に釉薬を施し焼成します。そうすることで匣鉢の中が真空になり空気の対流がなくなり深い呉須の発色と気品のある光沢が生まれます。これが極真焼です。
しかしながら極真焼は毎回製品と匣鉢を作り、焼成後に匣鉢を割る為ものすごい手間がかかってしまいます、そのことから長らく封印されていた製法でもあります。この製法の封印を解き現代によみがえらせたのが14代辻常陸になります。
京焼の伝統的な作品を製作している陶芸家として有名な久世久宝という家元をご存知でしょうか。
京焼の伝統を踏まえながらも仁清写色絵付や染付、金襴手などの技法を持つ陶芸家で、当代が5代目となります。
初代久世久宝は1874年に幕末の僧であった仁渓の子として生まれ、芸術作品に触れる事や高い精神を持つようにと鍛錬を続けている家系に生まれています。
作陶を始めてからは仁浴と名乗り大田垣連月らと親交を深めておりました。
仁浴の技術を裏千家13代圓能斎に認められてからは久宝という名を拝受しております。
久世久宝の作風としては女流作家として知られていることもあってか繊細なタッチと華やかな世界観を感じさせてくれることが特徴的であると言えます。
特に3代目製作の金襴手宝尽茶碗は美しい中にもどこか女性特有の可愛らしさを感じさせるような作品となっており、今も見るものを魅了しているのではないでしょうか。
今後も久世久宝の作品は多くの人々を魅了してくれることでしょう。
紙塑人形にて国の重要無形文化財に認定された福岡県出身の作家と言えば鹿児島寿蔵ではないでしょうか。
紙塑人形とは昭和初期に創生された日本人形であり、紙塑とは和紙などの繊維を煮詰めて糊などを加えてかき混ぜて作った粘土状の材料のことを指します。
その仕上がりは粘土や桐塑とは違い、柔らかな質感が良く生かされているのが特徴となります。
鹿児島寿蔵はこの紙塑人形の第一人者であり、彼の作る作品は和紙の美を極限まで追求し、更には丈夫さも兼ね備えるように研究を続けた結果、「紙塑人形」を創案しました。
鹿児島寿蔵の作る紙塑人形は、光沢があり優雅な雰囲気が漂った作品であり、まさに極限の美にこだわり抜いた職人技が光る作品ばかりです。
また、鹿児島寿蔵は短歌も愛していたこともあってか優雅な雰囲気のある作品を作ることに長けていたのではないでしょうか。
そんな鹿児島寿蔵の作った作品は没後もなお多くの人々を魅了していることは間違いないでしょう。
中村 元風(なかむら がんぷう)1955年(昭和30年)9月2日~現在、日本の陶芸家、科学者になります。今九谷窯アーティストとして活動、「芸術とは輝きの創出である」との信条のもと、光や色から構成される「輝き」を一貫したテーマを据え、アートとサイエンスの両面で追及し続けている。また、自身の研修開発により生み出した独自素材を用いて作品制作を行っております。当初祖父の中村翠垣(県指定無形文化財、日展参与)に師事してたが、祖父亡き後は、3代徳田八十吉に師事しておりました。
佐々木象堂は1960年に「蝋型鋳造」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。
1884年に新潟県に生まれた佐々木象堂(本名は文蔵)は、貧しい家庭で育った為高校に通いながら商家に奉公しておりました。画家を目指して上京しますが、極度の近眼であった為画家になることは断念しましたが、鋳造なら可能なのではないかと考えた佐々木象堂は初代・宮田藍堂に師事します。
宮田藍堂に師事して芸術家としての技術を身に着けていった佐々木象堂は、6年間の修行を経て独立することを認めてもらえるようになります。その後は1913年に日本美術協会展にて銅賞を受賞したことを皮切りに数々の賞を受賞していきます。中でも「鋳銀孔雀香炉」や「金銅鳳凰置物」は帝展に出品をすると両作品とも特選を受賞したことにより更に佐々木象堂の名は有名になっていきました。
戦時中には金属の調達が難しかったこともあり、陶芸にも打ち込み真野焼窯を創設し、子弟とともに陶芸にも打ち込んでいたとのことです。戦後は再び、鋳金家としての活動を再開し、数々の名作を残したことなどの功績を残した佐々木象堂の作品は人気の高い物となっております。
慶入は京焼の名跡・樂吉左衛門の十一代であり、歴代吉左衛門の中でも多くの作品を制作し、現代にも数々の作品が残っている作家さんです。
江戸時代末期に生まれ、それから明治にかけての激動の時代を慶入は生きました。徳川家の衰退により茶道が軽んじられていた時代でもあり、千家とのつながりが深かった楽家にも風当たりは強くありました。しかしながら慶入は、世事についての反応を示さず、自分らしい作陶を続けます。そんな慶入の心が見て取れるおおらかな作品が多く残っています。
楽家といえばノンコウと呼ばれている三代・道八が稀代の名工として知られており、ノンコウを敬慕していた慶入もまたノンコウを思わせる作品をしました。またそこに留まらず、三代以降の楽家が作り上げてきた研鑽も糧としながら型に縛られない斬新で自由な作品も制作しました。
楽と言えばやはり茶碗が想起されますが、慶入は茶碗に限らず幅広い作品を残しております。これは時代のお茶離れに合わせ、様々な道具を作ることで生計を立てていたからだともいわれています。
楽の伝統を継ぎながら、個性ある作風を持つ慶入の作品は多くの茶道具ファンから支持を集めております。