池田満寿夫は、1934年生まれの昭和を代表する作家・芸術家です。
1980年代にテレビなどのメディア出演を多くしていたことからご存じの方も多いかと思います。池田満寿夫を一躍有名にしたのは、芥川賞を受賞した「エーゲ海に捧ぐ」ではないでしょうか。
文学の他にも彫刻や陶芸、映画監督などとマルチな才能を発揮しておりますが、その中でもやはり画家としての一面は、官能的な「池田芸術」が前面に押し出たものが多く、国際的にも親しまれています。
そんな池田満寿夫は数多くの作品を輩出しており、制作した版画は1000点余り、陶芸作品は3000点を超えるとみられています。版画は絵画作品の中でもかなり力を入れられており、木版やシルクスリーン、リトグラフなどを制作していますが、中でもドライポイント技法による銅版画は高い評価を得ております。
池田満寿夫の官能的な芸術世界は、深層意識を駆り立てるような不思議な魅力を感じられます。機会がございましたら、是非一度ご鑑賞ください。
備前焼にて人間国宝に認定されていないものの、近年、人気が高まってきている原田拾六という陶芸家をご存知でしょうか。
岡山県の備前市に生まれた原田拾六は東京農業大学を卒業してから普通の会社員として働いておりました。
ですが、ギャラリーなどで陶芸の作品を見かけているうちに改めて故郷である備前の焼き物を認めるようになり、1971年に小六窯を築窯し作陶を始めていきます。
その後は桂又三郎に師事し、古備前の研究をしておりますが桂又三郎から「末恐ろしい鬼才」と言わしめるほどの腕前でした。
師からそれほどまで言わしめるということはもともとの才能のみならず、努力されていた結果ではないでしょうか。
原田拾六の作品は古来の備前焼の特徴を活かした独創的で豪快なものとなっております。さすがは師の桂又三郎から「鬼才」と言わしめるほどです。
備前焼はシンプルな造形が多いのですが、原田拾六の作品は創造性のある作品が多いです。
その作品はアメリカ ニューオーリンズのメトロポリタン美術館やニューオリンズのミュージアム・オブ・アートにも収蔵されており、国内のみならず海外からも人気の高い作家となっております。
バーナード・リーチはイギリス出身の芸術家です。
画家、陶芸家の他にデザイナーとしても知られています。
リーチは官僚であった父の影響で香港で産声をあげました。
幼少期を日本で過ごした事で日本に憧れを抱きます。その後ロンドン美術学校で高村光太郎と出会い、高村光雲を頼り来日。高村光雲の協力等を得て日本でエッチング教室を開きます。その生活の中で富本憲吉や柳宗悦、白樺創刊のメンバーと出会い交流を深めていきました。
一時期日本を離れ、香港等に滞在していたリーチでしたが、そういった縁もあり柳宗悦の民藝運動や日本民藝館の設立等に関わりました。
日本から帰国したリーチは英国イングランドのコーンウォールのセント・アイブスに新たに窯を開きます。東洋の文化と西洋の文化の融合を目指した新たな挑戦でした。
そういった活躍からリーチは英国ではスタジオ・ポタリーの父と言われています。
人気小説家の原田マハさんがリーチを題材とした小説を書くなど、国内でも人気の高い芸術家であります。
三代目佐々木二六は1917年に愛媛県に生まれました。
1932年旧制三島中学校卒業後は、初代・二代のもとで陶磁器製造に従事し、1940年三代目佐々木二六を襲名しました。
二六焼の命名は、祖先で楽焼を製作した人から二代目になることと、初代の本名『六太郎』の六を合わせたものになります。
初代二六によって今日まで継承された技術は、福島県有馬焼の浮き彫りから手掛かりを得たものです。
佐々木二六の作品は、ろくろを使わずに竹ヘラ1本を使い緻密な細工を施す伝統的な技法を受け継ぎ、『心を彫る』を信条として作品を手掛け、蟹などの生き物をまさに生きている姿のようにとらえ、土の上に再現しています。
陶芸家 鎌田幸二は、1948年京都に生まれました。
高等学校卒業後は、作陶を志し、五条坂共同登釜で清水正氏の指導を受けます。
京都府立陶工職業訓練校専攻科修了後は、指導員として働きながら共同登窯『鐘鋳窯(しょうじゅ)』にて天目の研究を始めました。
1972年には日本伝統工芸展に初入選します。
1979年に五条坂共同登釜の休止により、自宅にガス窯を築きました。
養成研修会にて、重要無形文化財(人間国宝)清水卯一氏と出会い感化された鎌田幸二氏は、のちに『鎌田天目』と呼ばれる独自の天目を世に送り出します。
天目釉の研究を重ね、油滴天目を中心にオリジナルの翠青天目、燿変紫光天目など、あらゆるバリエーションを手中にした鎌田幸二氏の作品は、東京、ニューヨーク、パリで展覧会を開催し多くの方々を魅了しています。
三浦 竹軒は、京焼(清水焼)を代表とする京都府出身の陶芸家です。
京焼の名工『初代 三浦 竹泉』が父であり、その三男として生まれました。当初は三代竹泉として活動をしていましたが、昭和9年に独立をし、竹軒という名に改名しました。
陶芸作品としては茶道具・煎茶道具を中心に制作をしており、現在でも高い人気を誇る陶芸作家です。
現在は、伝統技術を継承した三浦竹軒の三男が二代目に襲名しており、初代同様多くの愛好家がおります。