山近 泰

山近泰は1975年石川県能美郡にある代々続く窯元に生まれ、幼いころから九谷焼に囲まれて育ちました。
九谷五彩と呼ばれる赤・緑・黄・紫・紺青を駆使して、様々な動物や植物を生き生きと描く新進気鋭の陶芸家であり、その色鮮やかな色彩は、九谷焼の伝統を引き継ぎながらも、幻想的で独特な世界観を創り出しています。
造形から上絵付までの全ての工程を自ら手がける彼の作品は、平成29年伝統九谷焼工芸展で最優秀賞を受賞するなど、多くの美術展や工芸展で高い評価を得ています。
山近泰はもともと清山窯4代目として生まれましたが、独自の世界観を表現するためにも2011年、石川県野々市市に大志窯を開窯しました。

また、2022年にはイタリアの高級車ブランドであるアルファロメオのノベルティ制作を手がけ、さらに活動の幅を広げています。

De Simone(デシモーネ)

De Simone(デシモーネ)の創始者であるGiovanni De Simone(ジョバンニ デ シモーネ)は、1930年イタリア シチリア島で名門貴族の息子として生まれ、
13歳からファエンツァ陶芸学校で陶器制作を学びました。この学校はあのピカソも通っていたので同じ学校で一緒に芸術を学んだ方です。
ピカソは鮮やかな色の作品をキャンバス上で創造しましたが、デ シモーネはそれを陶器で創造してきました。一緒に学んだピカソから影響を受けていてピカソのタッチに似ている作品もあります。特徴は太陽の絵柄が必ず入っている事と鮮やかで明るい色彩の作品が多いことです。部屋に飾ってあったり、食卓にデシモーネの食器が並んでいるだけで気分がパッと明るくなるようなそんな気持ちにさせてくれる作品が多いです。シチリアでは特に著名で地元の人々に愛されています。

1991年に60歳で亡くなった後、ジョバンニ・デ・シモーネの芸術は彼の三人の娘たちと弟子たちによって受け継がれ、「チェラミケ・ディ・シチリア」の工房で続けられています。デ・シモーネの作風は、暖かな地中海の太陽やシチリア島の伝統的な日常を、鮮やかな色彩とシンプルな線で表現しています。彼の作品は今も人々に温かさを伝え、生命の尊さを感じさせます。

川喜田 敦

川喜田敦は、1938年東京都に生まれました。

法政大学経済学部を卒業後、高島屋勤務を経たのち林業にて生計を立てます。
1977年夏、39歳の頃より作陶をはじめ、4年後の1981年ごろに三重県津市、東京で初の個展を開催し,1986年には津市に自身の窯「竜合窯」を開きました。

祖父に「東の魯山人、西の半泥子」と称された16代久太夫こと川喜田半泥子を持ち、足跡を辿り朝鮮半島まで赴くなど半泥子の研究に熱心に取り組んでおり、半泥子にまつわる書籍も多数出版しています。

1991年には半泥子について語った『二人の祖父』を収録した『逃亡記』を出版し、記念として全国10か所を回る巡回展を開催しました。

自身も2001年、63歳の頃に祖父の号であった半泥子を襲名、二代目川喜田半泥子となりました。
襲名に際し開催した記念展において、祖父について「師でもあり反面教師でもある」「ワタクシの作陶の道を歩む」とし、初代半泥子と格闘してそこから生まれた多難を作品へと昇華しています。

 

十三代 横石 臥牛

十三代 横石臥牛は1925年、長崎県佐世保市生まれました。

現川焼は、1690年ごろに長崎で成立した焼きもので、鉄分の多い粘土を薄く成形し、白土で刷毛目の文様を施すことを特色としており、時期については諸説ありますが1740~1750年ごろに廃窯となっていました。
その後何度か再興が試みられましたがどれも長くは続かず、明治時代以降は製造されていませんでした。
父である十二代 横石臥牛は現川焼を現代に復活させたことで知られており、十三代 横石臥牛はその技術・質をさらに追及しました。

佐賀県立有田工業高校を卒業後、父より作陶を学び、1961年に十三代 横石臥牛を襲名しました。
1974年、第21回日本伝統工芸展で『現川刷毛目鉢』が入選となり、翌年長崎県無形文化財に指定されました。その他様々な展覧会に作品を出品し、多くの賞を受賞しています。

兄である横石松翁氏がろくろでの成形を担当し、横石臥牛氏が絵付けをするという二人三脚で制作を行っています。
彩度の低い地の色に葉脈のように広がった白く細やかな刷毛目があしらわれており、深みのある洗練された作風が特徴的です。

前田正博

前田正博は、1948年京都府に生まれました。
1969年に東京藝術大学美術学部工芸科に入学し、3年次より陶芸を専攻としました。1975年に同校大学院を卒業し、同年開催された第22回日本伝統工芸展で初入選を果たしました。

陶芸を志す以前は油彩画に取り組んでおり、油彩画特有の「油絵具を何層にも重ねる」点から着想を得、マスキングテープを用い、赤や青、黒などの原色や金彩・銀彩を何層も塗り重ねていく「洋彩」と呼ばれる技法を主として作品を制作しています。

紋様は幾何学、フクロウや狐など多岐に渡りますが一貫してどれも直線的にデフォルメされており、かわいらしくもありながらモダンな印象を与えます。

陶芸はその工程上、山中や緑の多い場所で制作するイメージですが、氏は誰でも気軽に作陶が楽しめるように東京・六本木に工房兼陶芸教室を開いています。

都会の真ん中にある工房は、現代陶芸家であり、モダンな印象の氏の作品とぴったりのイメージと言えるでしょう。

初代 徳田 八十吉

初代徳田八十吉 深厚釉 花瓶

初代徳田八十吉(鬼仏)は、四代続く九谷焼の名跡「徳田八十吉」の初代にあたる作家です。

古九谷・吉田屋の再現に生涯を賭け、九谷焼最高峰の作家として評価されています。指導者としても、浅蔵五十吉や二代八十吉、三代八十吉を育成するなど近代の九谷焼に強く影響を及ぼしている人物です。

1873年の石川県能美郡に生まれ、はじめは日本画家を志して荒木探令に師事しました。しかし次第に古九谷、さらに言えば吉田屋窯の青手に惹かれるようになり、義兄・山本佐平の教えもあり、陶芸の道に進むこととなりました。やがて独立し、自身も吉田屋窯の再現や九谷五彩などの研究を行うようになります。
釉薬の改良を行う中では、「深厚口釉」という独自の彩釉も発明しました。古九谷の美しさに八十吉独特の感性をもちいた作品群が評価され、1953年には上絵付(九谷)で国の無形文化財に認定されております。

初代から四代含め、九谷焼の代表的な作家である徳田八十吉の作品は、現在でも見られる機会が多くございます。

由水 常雄

由水常雄は、日本のガラス工芸家です。 早稲田大学大学院博士課程を修了後、政府招聘留学生としてチェコ(旧チェコスロバキア)のカレル大学にてガラス工芸史、東西美術交渉史を専攻します。日本に戻ってからは早稲田大学や多摩美術大学 …

島田 文雄

島田文雄は1948年、栃木県に生まれました。 兄に日本画家の松本哲男がおり、兄が絵を描くのを見て育ったために芸術家を志すようになりました。 東京芸術大学大学院時代に見た宋代の青白磁に強く惹かれ、以降青白磁の製作に取り組ん …

益田 芳徳

益田芳徳は1934年、東京に生まれました。 中学生のころ、教員であった利根山光人に絵画を学び、画家を志すようになりました。 1954年、20歳のころに上越クリスタル硝子株式会社(2023年10月廃業)よりガラス作品の制作 …

加藤 春鼎

加藤春鼎(かとうしゅんてい)は、三代に渡って続く瀬戸焼の家元です。 歌舞伎などと同じく、いわゆる襲名制の窯であり、歴代の当主が代々「加藤春鼎」を名乗る事となっています。 瀬戸焼で有名な愛知県瀬戸市に工房を構え、制作を行っ …

大樋 年朗

大樋年朗(本名:奈良年郎)は、代々大樋焼を継承する本家「大樋長左衛門」の十代目となる人物です。 大樋焼は金沢にある、楽焼を源流とした陶芸窯、およびその流派です。 年朗は1927年に九代大樋長左衛門の長男として生まれ、早く …

二代 徳田 八十吉

二代 徳田八十吉(魁星)は九谷焼の作家であり、代々続く九谷焼の名跡「徳田八十吉」の二代目です。 1907の石川県の能美市で、醬油商の五男として生まれます。その後、十代半ばごろで初代・徳田八十吉の養子となり、初代に師事する …

四代 徳田 八十吉

四代徳田八十吉は、代々続く九谷焼の名跡「徳田八十吉」の当代です。 人間国宝・三代八十吉の長女として1961年に生まれ、現在も活躍されている作家さんです。 幼いころより父の背中を見て育ちましたが、当初は陶芸家になるとは考え …

村田元

まずは作者の村田元氏についてご紹介します。 村田元氏は栃木県生まれの益子焼を主に制作していた陶芸家の方です。氏の経歴は面白く陶芸家として作品を作る前に画家として活動をしていました。日本画の師匠のもとで修行するも村田氏自身 …

北出 不二雄

北出不二雄は、1919年兵庫県に生まれました。 叔父であり、九谷焼の陶芸家である北出塔次郎の養子となり、陶芸の技術を磨きました。北出塔次郎は九谷焼の伝統を守りつつ現代化に貢献した作家として知られています。 1950年、金 …

北出 塔次郎

北出塔次郎は、1898年兵庫県に生まれました。 今でこそ九谷焼の巨匠と名高い北出塔次郎ですが、はじめは大阪美術学校日本画科で矢野橋村(1890-1965)から文人画を学んでいました。1921年、23歳の時に九谷焼の北出家 …

熊野 九郎右衛門

熊野九郎右衛門は、福井県鯖江市出身の陶芸家です。 1955年に生まれ、現在まで数多くの優れた作品を残されています。 地元北陸で活動する一方、ドイツやサハリンへの招待をはじめとして海外でも積極的に講演などを行い、近年では全 …

横浜焼

横浜焼は、広義には横浜港付近で作られた工芸作品の事を指します。 もともとは焼物の産地ではなかった横浜ですが、1859年の日米修好通商条約などを機に生糸や工芸品の輸出入が盛んになったことで全国から陶工が集まり、各々が制作を …

和太 守卑良

和太守卑良(わだ もりひろ)は1944年、兵庫県西宮市に生まれました。 1967年、京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)工芸科陶磁器専攻を卒業後、高知県安芸市で古窯の復興に尽力しました。その後茨城県笠間市に移住し開窯 …

珉平焼

珉平焼は、淡路の陶芸家であった賀集珉平の興した窯です。 窯の所在地にちなみ、淡路焼とも呼ばれています。 賀集珉平は1796年、淡路国に生まれました。 京都の名工と名高い初代尾形周平に師事し、文政(1818~1830)年間 …

中村 六郎

中村六郎は、岡山県備前市出身の備前焼作家です。 1914年に生まれ、2004年に逝去されました。その間には、数多くの優れた作品を残されています。 自身の父親が有名陶芸家と親しく、その影響で陶芸家を志すようになりました。終 …

金 正玉

金正玉は1941年、韓国は慶尚北道、聞慶市に生まれました。聞慶市は韓国のほぼ中心部に位置する都市で、首都ソウルより電車で四時間ほどの場所にあり、氏は現在も聞慶市の嶺南窯で作陶を行っています。 司饔院と呼ばれる朝鮮王朝御用 …

葛明祥

葛明祥(かつめいしょう) 清朝乾隆・嘉慶年間(1736年-1821年)頃に活躍していた、宜興窯(ぎこうよう)の陶工で親子三代にわたってこの銘を使用していたとされています。宜興窯では鈞州とよばれた河南省禹県を中心に作られた …

駒井 音次郎

駒井(komai)は、京都で代々刀の刀装具などを制作していた家で、1841年に駒井清兵衛が立ち上げた事で始まりました。 始まりは刀装具ですが、廃刀令があってから海外向けに装飾具の製造も開始します。装飾具の製造は、駒井清兵 …