五十嵐新平は、古曾部(こそべ)焼の祖になります。
寛政年間(1789~1801年)に摂津国島上郡古曾部村(大阪府高槻市古曾部町)に陶窯を築き、京風の焼き物を焼き始めました。
二代 新平は、別名を『一単斎信楽』と称し、国焼・南蛮・高麗などの写しを焼きました。
三代・四代は『信平』を称し、三島・絵高麗などの写し物・急須・盃・菓子皿・茶碗・火入・水注・花入などを製作しました。
またくらわんか茶碗や海老絵小皿なども焼きました。
五代の五十嵐新平まで続きましたが、明治末年に廃業となりました。
古曾部焼は、『遠州好み』を製作したとされる、遠州七窯のひとつに数えられています。
近年復興されています。
代々いずれも様々な『古曾部』の印を使用しています。
永楽善五郎は千家十職の一つである土風炉・焼物師であり、代々土風炉や茶碗を制作している京焼の家元です。当代は十七代目となります。
千家十職とは、千家の流れを汲む茶の湯の道具を代々に渡って制作する人たちのことを呼び、この「千家十職」という呼び名は、大正時代に、茶道界の復興と飛躍的に茶道具制作の需要が増えた時に、百貨店での展覧会の呼称としてはじめて用いられ、今日まで広く知れ渡ったものです。
永楽家はもともと、初代の宗禅から十一代保全までは西村家を名乗っておりました。初代宗禅は室町時代、奈良県の春日大社で日曜雑貨等を作っておりましたが、晩年に武野紹鴎からの依頼で土風炉を制作するようになったことで土風炉師「善五郎」を名乗るようになります。
九代目までは土風炉の制作をしておりましたが、十代了全は天明の大火により全焼した西村家の工房を整備したり、多彩な作品を作ったことで焼物師と認められたりする等の功績を残します。
十一代の保全は永楽の家祖となり、京焼の技術を習得したのち、紀州徳川家から御庭焼窯に招かれ作品を献上すると、その高い技術力が十代藩主であった徳川治宝に認められます。永楽の銀印と河濱支流の金印を褒美としてもらい、江戸から明治に時代が変わっていく際に、正式に姓を変えて永楽保全が誕生することになりました。
以降、現代の十七代まで代々永楽の名を受け継いでおり、その作風は交趾(こうち)、金襴手(きんらんで)、仁清写(にんせいうつし)などの華やかな趣向でありながら、「お茶にかなった」美しい器として人気が高いものとなっております。
猪飼 祐一は、京都府出身の陶芸家です。
京都五条坂にある壺屋喜兵衛(つぼやきへい)という江戸時代末期から続く陶器商の家に6代目として生まれ、幼い頃から陶器に親しみ育ちました。
初代は焼物の職人として活躍していました。
2代目からは焼物を売る商い専門に変わり、猪飼祐一の父親の代まで続きます。
父親が店を切盛りしていた頃は、『いずれは商売を継ぐのだろう』と軽い気持ちでしか考えていませんでしたが、次第に陶芸に惹かれていき、商売人兼陶芸家として芸術肌の陶芸家とは一風変わった目線の作品を手掛けるようになりました。
猪飼祐一が手掛ける作品は使い手の事を第一に考えた作品が多く、制作に入る段階で使ってくれる人の事を考える事から始まります。
そんな猪飼祐一ですが、人間国宝『鉄釉陶器』の保持者に認定された清水卯一の指導を受けており、その息子である清水保孝にも師事しています。
土のぬくもりを感じさせる灰釉作品を始め、重ね合せたような貫入と淡青の釉調に特色を持つ青磁作品を中心としてオリジナリティ溢れる作品を追求し、壺、花器、茶碗、皿などを制作しています。
日本伝統工芸展で活躍しており、数々の賞を受賞するなど輝かしい実績を持ち、味わいのある上品さと思わず手に取りたくなる肌合いを有した器で今後も非常に楽しみな作家として注目を浴びています。
愛知県豊田市出身、日本の陶芸家です。
若くして陶芸の世界へ入り、尾張地方の伝統陶芸である織部・瀬戸の作品に自身のオリジナリティを加えた唯一無二の作品を作陶しています。
志野・織部・瀬戸の伝統作品の魅力は勿論なのですが、私が感銘を受けたのは「ロスオリベ」シリーズです。アメリカのポップアートに触発されて作陶されたといわれていて、ドット模様や静物画はロサンゼルスの壁画に描いてありそうなユニークな絵付けが、ロサンゼルスの土を使った織部陶器に絵付けされている。和と洋の融合を聞いただけではミスマッチのように感じますが、実物をみると真新しさと美しさに魅了されます。
私もいつかロスオリベシリーズのぐい吞みで、日本酒を飲んでみたいと考えています。
茶道具や酒器類以外にも、陶器人形や陶器椅子などのアート作品も数多くあります。
現在も、全国各地で個展を開催していますのでお近くで開催の際には足を運んでみてはいかがでしょうか。
緑和堂では随時買取強化中です。思い入れの強いスタッフがおりますので、納得の鑑定・査定額をご提案させていただきます。
上田直方は、信楽焼の伝統を代々受け継ぎ、現在も守り続けています。
現在は六代目が当代として精力的に作陶活動を行っています。
信楽焼の歴史は古く、1300年以上の歴史があると言われ、茶陶は室町時代から始まったとされています。千利休からも茶碗の制作を依頼されることもあり、信楽焼は確固たる地位を築きます。
信楽焼の匠として、幕末から明治にかけて高橋楽斎と双璧して石井直方が挙げられます。二代目より石井直方を改め、上田直方となります。四代目・五代目は共に滋賀県無形文化財に認定されています。
そして、当代・六代目上田直方は2010年に襲名、現在に至ります。
六代目は五代目の息子ではなく、五代目長女と結婚して上田の家系へ入ります。
もちろん五代目に師事していました。
六古窯の一つとしての伝統のある信楽焼ですが、2020年に放送された連続テレビ小説「スカーレット」の放送により、人気に火が付きました。
タヌキの置物や壷といったイメージの強い信楽焼ですが、現地には上田直方の古来窯をはじめに多くの窯元がございます。興味のある方は是非、信楽の窯元で伝統の技に触れてみてはいかがでしょうか。
「孤高の天才」「油滴天目の第一人者」と呼ばれた加藤孝俊さん。
代々染付磁器を製作する窯元「真玉園」の嫡男として生まれます。
家業の「真玉園」を継ぎながらも、48歳の時に、「中国宋時代の陶磁を再現」という夢を果たすため、長年蓄積した窯業化学の学識を生かして宋窯陶磁に取り組みます。
以降、油滴天目・青瓷・月白釉など中国釉薬を使った作品を次々と世に送り出し、高い評価を受けます。技法はもちろんのこと芸術性の高い「美しい」作品には美術館からの買い上げが相次ぎました。
82歳で逝去されましたが、現在は息子・孝爾さんが「八代目真玉園」として、中国釉薬の研究と陶芸精神を父から受け継いでいます。父と同じく「美しい」陶芸作品は国内外で高い評価を受けています。