野村義照は、大阪府生まれの日本画家です。
1971年に東京藝術大学大学院を卒業すると、前田青邨、その後は平山郁夫に師事し、日本画の技量を高めていきました。
1977年。院展で日本画大賞を受賞したその年、野村義照は初めてのギリシャ・ローマ旅行に行きました。そこでギリシャ古典美術に感銘を受け、研究をはじめました。その後もギリシャをはじめとしたヨーロッパ諸国に研究旅行を続け、その累計は30回以上に及びました。
野村義照は作品の題材として、ギリシャやローマ、ヨーロッパ各地の遺跡などを多く扱っております。青を基調とし、そこへ荘厳な遺跡や塔を写実的に、そして透き通るように表現します。繊細な色遣いと緻密な造形が、そのまま題材の持つ奥ゆかしさとして立ち現れます。
時に建物に限らず、彼のフィルターを通して、そこに在る美は静謐な形で描かれます。静謐で荘厳な世界こそが彼の絵画であり、魅力です。
油彩の日本画を主とし、リトグラフなどの版画作品も制作しています。
服部時計店は、時計事業で著名なセイコー(SEIKO)の前身となる企業です。
創業は1881年で、当時21歳だった服部金太郎が輸入時計・宝飾品の販売店として銀座に立ち上げました。服部時計店は取引先の、特に外国商館から高い評判を得たこともあり、すぐに目覚ましい躍進を遂げます。
1892年には国産クロックの製造販売を開始。まもなくして銀座四丁目の表通りに移転し、現在まで続く銀座の象徴「時計塔」が建てられました。その後1920年代に一度改築され、現在の銀座で見られるものは二代目の時計塔となります。
現在のセイコーのイメージからすれば意外かもしれませんが、服部時計店は時計や宝飾品の他、多く銀製品も手掛けておりました。銀瓶や盃にはじまり、花瓶、香炉、純銀像など仔細は尽きませんが、服部時計店の製品ジャンルとして大きな位置におりました。
製品には「服部製」の文字が彫られており、判別のしやすいものが多いです。お手持ちの銀製品に「服部製」の文字がありましたら、それは服部時計店製のものの可能性が高いでしょう。
関武比古は、三代続く銀細工師です。
初代・関武比古は1908年の千葉県勝浦に生まれ、上京を機に打物の名匠である田島勝之師に師事し、銀細工を修行しました。その後、さらに香坂宗廣師のもとで技術を磨き、28歳で独立しました。数年後には太平洋戦争に動員されますが、1948年から再び活発な制作を開始しました。
二代・関武比古は、初代の長男として1936年に生まれました。中学生の頃から父のもとで技術の研鑽に励み、1963年には父と共に「関工芸株式会社」を設立します。現在は三代・武比古監修の下、貴金属美術の伝統工芸品を製作を行っております。
「貴金属美術工芸品を、ひろく人々に」を標語として、伝統工芸の技法に、新しい技術をとり入れて制作されたいくつもの作品は、長らく人々から親しまれています。
城康夫は、京都出身の油彩画家です。
国画会が運営する日本最大規模の公募展・国展において幾度も受賞されており、以後も国画会会員として長く活躍されました。
リアリズムに準拠した静物画を得意としており、もっぱら題材にされるのは花や果実、石、陶器などです。そう聞くとシンプルな絵画に思われるかもしれませんが、城康夫の最大の特徴はその題材の活かし方にあります。
絵画の中心となるいくつかの題材が、乗せるように地面に並べられ、それをある視点から写真に収めるような画角で描かれます。まさしく「静物画」と言えるような、作用を起こさない”物自体”の表現が見事な作家さんです。
油彩画の製作が主な方であり、また同時に古典技法であるテンペラをはじめ、様々な技法を用いた絵画を近年でも制作するなど、新奇性の高い作家さんでもあります。
お目にかかる機会があれば、作品の持つ静謐さや落ち着きなど、城康夫の表現の世界を是非感じ取っていただきたいです。
モンブランは、1906年から続くドイツを起源とした筆記具メーカーで、有名な万年筆ブランドです。
その歴史は、ドイツ・ハンブルグに住む文房具屋、銀行家、エンジニアの三人が会社を作り、万年筆の製造に着手したことに始まります。1924年にモンブランの代表作となる「マイスターシュテュック」を製作し、一躍その名を世界に轟かせました。
やがてボールペンやサインペンなどの台頭により、万年筆はステイタスシンボルへと立ち位置を変化させますが、モンブランの万年筆はそのデザイン性と品質の高さから高級万年筆としての位置づけを獲得し、人気を確立してゆくこととなります。
モンブランの万年筆の特徴として、ヨーロッパ最高峰の山であるモンブランをモチーフとしていることがあり、ペン先には標高である「4810」と刻まれています。
現在ではリシュモングループの傘下企業となっており、万年筆の他腕時計やフレグランス、革製品など幅を広げた展開を行っております。
林 正太郎は岐阜県土岐市下石町の窯元の子供として生まれました。
商業高校を卒業後、名古屋で就職しましたが、すぐに岐阜県に戻ってきました。
それから兄である林 孝太郎に師事し、陶作を手伝うようになりました。
初期の頃はガス窯を利用し、天目や黄瀬戸など様々な作品を制作しました。
24歳の時に朝日陶芸展知事賞を受賞、翌年の1972年には日本伝統工芸展初入選や朝日陶芸展優秀賞に輝きました。
1974年には独立し、中日新聞社新人賞受賞を受賞しました。
1993年美濃陶芸展で最高の大賞を受賞、翌年には美濃陶芸展で加藤幸兵衛賞を受賞、1997年には庄六賞を受賞致しました。
この3つの賞を立て続けにとる事は同展が開催されて初めての快挙と言われております。
2002年には土岐市指定の重要無形文化財保持者に認定されております。
2012年には県指定重要無形文化財「志野」の保持者に認定されます。
作品の多くは「志野焼」です。釉薬をたっぷり使った豪快な作風が特徴的で、作品全体から感じられる迫力に圧倒されながらも、魅了されます。
その他にも、織部や天目など様々なジャンルの陶芸作品を作陶しています。