吉田 萩苑

吉田萩苑は1940年 山口県萩市三見床並に生まれます。15歳より人間国宝の十代 三輪休雪に入門し修行を重ね、天鵬山窯の開設に際し技術指導者として招かれ尽力しました。
1968年生まれ故郷である山口県萩市玉江に玉隆窯を開設しますが1986年の事故により46歳という若さでこの世を去りました。

吉田萩苑に関する略歴や詳しい情報はかなり少なく、現状分かっているのは上記の部分のみとなります。

前端 雅峯

前端 雅峯は、山中塗の塗師であり、棗師です。

前端雅峯は1936年、前端家八代目、前端春斉の長男として石川県にて生まれます。
幼いころから父の前端春斎の仕事を手伝いながら技術を磨きました。
1961年頃からは更なる技術向上を求め茶道具の漆芸を村田道寛に師事して学び、石地塗は中村長寛。加賀蒔絵を保谷美成に師事しながら学んだ後、二代目春斎としても活動を始め、同時にこの頃、財団法人無限庵(石川県指定文化財)を設立します。1972年には大徳寺金毛閣(重要文化財)の解体修理の古材で棗を制作し、この際に「雅峯」の雅号を受けました。
山中塗の伝統技術を守りながら、棗などの茶道具を中心に制作を重ね伝統柄をモチーフにしつつ絵画的で彫刻的な作品が高く評価されています。
特に蒔絵の技術が素晴らしく今でも多くの茶人から愛されております。

山下 保子

1946年に東京都で生まれた彼女は、1968年に女子美術大学日本画科在学中に日春展に作品が入選します。1969年には女子美術大学日本画科卒業、1979年と1992年にはそれぞれ日展特選受賞、2008年に第40回日展日展会員賞を受賞、2019年に日展内閣総理大臣賞を受賞と、現在は日展会員である素晴らしい活躍をされている女流画家です。

女性の姿を主流といて描き、その洗練された構成方法とタッチ感が魅力的で、見る者を作品に引き込む力がひとつひとつの作品にあります。

玉野 勢三

玉野勢三は、大阪府出身の彫刻家です。

パブリック作品として駅前や病院の入り口などに飾られていることもあるので、作品を見たことがある方もおられるのではないでしょうか。

乾漆作品やテコラッタ作品も手掛けますが、多く作られているのはブロンズ作品です。イメージから型取り、鋳造まで、すべて自らの監修のもと行います。

玉野勢三の作品は、子供をモチーフとするものが多いです。自身が四人の子供を抱える父親であり、生活での交流の中からインスピレーションを育みました。

大らかで動きのあるものから、ふとしたしぐさや表情をとらえたものなど、感情豊かな子供の様子が独特な丸みと共に表現されています。

日本において多くの個展が開催されています。最初は1983年の生駒市からはじまり、自身の生まれである大阪を中心に全国で開催されるようになりました。2008年からは毎年開催され、現在でも予定が組まれています。

 

伊藤 東彦(いとう もとひこ)

1939年、福岡県大牟田市に生まれ。

1960年にデザイナーを目指し東京芸術大学美術学部工芸科に入学するが、安保闘争の影響によりデザイン系の科目を受講することができず、新設されたばかりの陶芸科を選んだことをきっかけに、陶芸の道を進むことになる。

大学院陶芸専攻科修了後、茨城県いわき市の常磐窯業株式会社に勤務するが一年後に退社。活動の場所を笠間に移し、一年間松井康成に師事した。
茨城県窯業指導所の研修生となるが、まもなく笠間市内に築窯して独立し、本格的な作陶活動を展開するようになる。

作品の表面に布目の文様を写し出す布目技法が用いられているのが特徴的。
布目の紋様の上に、花や草木などの絵柄を絵付し、しっとりとやわらかい印象を与えた作品を手掛けている。

布目技法により独自の世界観を作り上げ、1999年に紫綬褒章を受章する。

松岡 政信

松岡政信は日本美術院同人として活動している日本画家です。

1932年に大阪府で生まれました。18歳の時から中村貞以に師事し、1953年に日本美術院展にて初入選、以降同展で多数受賞いたします。1954年には第39回院展奨励賞を受賞、その他高島屋などで個展を開催するなど活躍されています。

松岡政信と言えば『花』を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。これまで花をモチーフにした作品を数多く手掛けており、一凛一凛、その花特有の美しさを表現しています。

モチーフを限定する作家さんも多くおられますが、松岡政信の描く「花」は色とりどりで四季折々、実に多彩であります。葉の一片までのふくよかな表現からは、松岡政信の幾多の花に対する真摯な観察力がうかがえます。

中国郵政

中国郵政(中国郵政集団有限公司)は、中国中央政府管理下の郵政企業です。 1949年に「中国人民郵政」として発足して以後、郵政事業を主軸に物流等を担う機関として中国で大きな位置を占めてきました。2020年には現在の社名への …

坪島 土平

本名は坪島一男。三重県の廣永窯で作陶をしていた陶芸家です。 土平という号は、本名の苗字の坪島の坪の字を左右に分けたところからきています。本来の表記だと、土の字の右側中央の近くに点があります。土が飛んで付いたという事を表現 …

河本 五郎

河本五郎は表現としての陶磁器を追求し、その概念を推し広げた作家の一人です。 愛知県瀬戸市に生まれ、幼少より瀬戸の窯業に身を置きますが、伝統的な技術や価値観を客観的に捉え、個人の創意でそれらに対峙しました。 陶器の制作では …

二上 常太郎

二上常太郎は、富山出身の蝋型師です。 伝統工芸の街・富山県高岡市で生まれ、斯界に誇る技術保持者の一人として、銅器を愛しその鋳肌に魅せられ、およそ60年の間創作活動を続けて居られました。作品は鍛え抜かれた技法のたしかさと気 …

Meissen マイセン

マイセン(Meissen)はドイツ発祥の有名な磁器窯です。そして、ヨーロッパで初めて硬質磁器を生み出した窯でもあります。名前を聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。 交差した2本の剣をシンボルとしており、ノ …

デルフト窯

デルフト窯は16世紀からオランダで生産されている陶器です。 白地に鮮やかな青色で絵付けしたものはデルフト・ブルーと呼ばれており、日本ではデルフト焼とも呼ばれております。 オランダで活躍した画家フェルメールの作品にも登場す …

頼 山陽

頼 山陽は、江戸時代後期の日本を代表する歴史家であり、漢詩人、漢学者です。 1780年大阪江戸堀で広島出身の儒家であった頼春水(しゅんすい)の長男として生まれます。 翌年、1781年には広島藩藩儒に就任した頼山春水ととも …

宇野 亜喜良

宇野亜喜良はイラストレーターで50年以上日本のイラスト界ではトップを走り続けている人物でもあります。 「イラストレーション」「イラスト」と聞くと、「簡略化された絵」や「漫画やアニメみたいな絵」というイメージをお持ちの方も …

王 錫良

王錫良は、中国の美術工芸作家です。 1922年の景徳鎮に生まれ、若くから珠山八友の一人である王大凡に師事し、磁器と絵画を学びました。 1950年頃に在籍していた陶器科学研究院では、王大凡をはじめとする景徳鎮磁器の実力者た …

中畑 艸人

中畑艸人は、和歌山県出身の油彩画家です。 18歳の頃から独学で絵画を始めた艸人は、早くも日本水彩画展で入選を果たし、才能の片鱗を見せていました。26歳で上京し、硲(はざま)伊之助に師事して油彩画を始めました。その後は一水 …

中村 道年

中村 道年とは初代 一休庵 中村道年が全国各地で修行し、京焼・楽焼はいうまでもなく、高麗茶碗写し、染付などさまざまな種類の陶磁器の製法を身につけ、現在の五代目まで八事窯を守り続けている名称が道年となります。   初代 中 …

カールツァイス

カールツァイス(Carl Zeiss)はドイツの光学機器メーカーです。 1846年、カール・フリードリヒ・ツァイスが顕微鏡製作の工房をイエナに人類への貢献という情熱のもと設立したのが始まりです。 当時はレンズの性能におい …

ジュモー

ジュモーは現在のアンティークドールと言われる、人形制作が盛んだった19世紀フランスを代表する工房の一つです。 当時の人形は服を着飾る為の言わばマネキンのようなもので人形自体を愛でることはほとんどありませんでした。工房の創 …

林 隆一郎

林隆一郎は1942年生まれ、岐阜県土岐市出身の陶芸家です。 1974年に第21回日本伝統工芸展入選、1975年朝日陶芸展入選、1976年東海伝統工芸展入選、1979年第6回美濃陶芸展中日奨励賞、1982年独立と活躍の場を …

野間 仁根

愛媛県生まれの洋画家で、生涯に渡り海と釣りをこよなく愛した作家として知られ、海や森をテーマにした作品を多く描きました。原色で構成されている鮮やかな作風が特徴で、豪快なタッチと、鮮烈な色彩で大胆な配色が融合する作風が印象的 …

木村 表斎

木村表斎は、江戸時代末期から明治の初めにかけて活躍した京塗師です。業を継いだ弟の弥三郎が二代目としても活躍しました。 初代は滋賀県の近江高島郡小川村に生まれ、京都へ出た後に塗師・柴田藤兵衛に師事しました。その後は下京にて …