象牙の特徴といたしましては、美しい光沢感、しなやかで滑らかな手触り、縞目模様をしていたりと多くの特徴が挙げられます。また、弾力性と粘りがあり、彫刻に最適な適度な堅さを持っていることから、古くから工芸品の素材として用いられてきました。 その中でも象牙製品で人気のあるのが印鑑です。耐久性と耐摩擦性に優れ、重量感もしっかりとあり、質感もいいことから印鑑に最適とされてきました。象牙でも牙の内側は、木の年輪のような層になっており、中心にいくほど目が細かく密度が高いため耐久性に優れ、取れる量も少なく希少となっていたりもします。
象牙は密猟など違法取引が多発した為、 1989年にワシントン条約の下で国際取引は原則禁止となりました。しかし、象牙製品はこの世の中にまだまだ溢れており多くのファンがいたりと、人々の心を魅了し続けております。
象牙を扱うには『特別国際種事業』の登録が必要となりますが、緑和堂は、政府登録済みの取り扱い業者ですので、安心してご相談くださいませ。
1916年群馬県出身の象牙彫刻家の荒巻秀美さんは、繊細な彫りの技術と細かな表現力が特徴的な彫刻作家さんです。秀作展や象牙彫刻展などで数々の賞を受賞されています。
主な作品は象牙や珊瑚の彫刻作家となり、花をモチーフとしたネックレスや帯留めが主流ですが、中には細かな彫刻と高い技術力が表現されている彫刻置物もございます。世に出回る作品数は少なく、二次流通品もすぐに買い手が付くほどの人気作家となります。
年々象牙彫刻の相場は、条約や取り扱う市場が減っていっていることから下降傾向ですが、銘が確認できる作家さんは依然高い評価での取引がなされており、荒巻秀美さんもそのうちの一人です。
今後は象牙や珊瑚の取り締まりが厳しくなっていく一方かと思いますが、美しい彫刻作品は時を超えて、その美しさに魅了されるでしょう。
さらに、宮内庁御物、東京国立博物館・東京藝術大学所蔵品修復などご活躍されていました。
川端近左は、江戸時代末期から200年ほど続く漆工芸師です。当代は六代目になります。
始まりは、京都で近江屋という油屋を営んでいた左兵衛(初代)の好きが高じて始めた蒔絵がいつしか家業になったとされ、近江屋の「近」と左兵衛の「左」を取って「近左」と名乗るようになったと言われています。二代以降も先代の意匠を継ぎつつ漆工芸の世界を広げ、多くの作品を残されています。
現在比較的よく見られるのは五代、六代の作品です。五代は日本画を学びながら四代に家業を師事していた人物で、五代襲名前に日展で数度入選するなど、確かな技術を持った方でした。六代は漆工芸家・冬木偉沙夫に師事し、工芸の基礎を固めました。その後五代に師事し、2000年に六代を襲名します。そして現在まで数多くの作品を制作されています。
川端近左の作品でも目を引くのは、やはり豪勢な蒔絵のあしらわれた棗などですが、そのほかにも盆や莨入、重箱、食籠など幅広く漆芸品を制作しており、質の高さからどれもが高く評価されています。
神山易久(こうやまやすひさ)は、信楽生まれ信楽育ちの信楽焼の陶芸家です。
1936年に生まれ、1955年より近江化学陶器で働きながら、陶磁器デザイナーの日根野作三に師事し、陶磁器の理解を深めました。
妻は同じく陶芸家の神山清子であり、同じ「近江化学陶器」という会社に勤めておりました。やがて「近江化学陶器」の経営が傾き始めたのを機に妻・清子が独立し、工房を立ち上げます。易久はライバル会社「日本陶飾」にヘッドハンティングされますが、人間関係の不和から四年で会社を辞め、清子の工房に入ります。
清子と共に半地上式穴窯「寸越窯」を築窯し、信楽陶器の製作、自然釉の再現を行いますが、その後離婚。以降は国内外で個展を開くなど広く活躍されました。
2019年には、二人がモデルとして採用されたNHKの連続テレビ小説『スカーレット』が放送されています。
神山清子の再現した自然釉は、窯の中で器に降りかかった蒔の灰が自然と釉薬状になる焼き方です。つまりは、釉薬を一切使わない焼き方と言えます。
あらかじめ釉薬を仕立てないので、窯の中での灰の掛かり方は自然の成り行きに任せる形となり、結果として様々な表情を見せるものとなります。清子と易久でもまた変わった表情の作品が制作されております。
尚美堂は、大阪淀屋橋にて1900年より続いている美術工芸品の製造・販売事業会社です。
初代となる江藤栄吉郎は、23歳の頃に大阪淀屋橋の南に「尚美堂」を開業しました。創業当初から美術工芸品の他、時計や貴金属など多角的な展開をしており、業界の発展に深く貢献してきました。
創業当時からオリジナル品として扱っているもので『純銀青海盆』があり、製造工程が機械化した今でも、最大の特徴である「青海波」は職人の手で打つなど、流通だけでなく自社製品へのこだわりも感じられます。純銀青海盆をはじめ銀製品を多く制作しており、銀瓶などは今なお高い人気を持っています。
近年では宝飾品のメンテナンスや贈答品の製造・販売にも力を入れるなど、紡いできた伝統をもとにさらに枝葉を広げております。
いいものだけを愛したい、いいものだけをお勧めしたい、という尚美堂の心は伝統の中で今も育まれており、多くの人に支持を得ています。
美術品・骨董品として尚美堂作品は高い評価を得ているお品物が多いです。
レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)はオランダの画家です。
バロック期に活躍し、フェルメールなどと並べて語られることが多く、時代を代表する画家です。バロック様式の絵画は強い明暗法と、リアリズム的でありながら躍動感のある構図が特徴的です。
レンブラントはその中でも「光と影の魔術師」と呼びならわされるほど、卓越した明暗表現を操る画家として知られています。
生涯に渡って絵画と向き合い、描き続けた彼ですが、その裏では度重なる不幸がありました。
20代で画家としての名声を得、結婚。妻・サスキアとの間に四人の子をもうけますが、そのうち三人が間もなく死去。のちの大傑作となる絵画『夜警』の制作中に妻サスキアまでが結核で死去してしまいます。その後は財政困難に陥り、借金に追われながら晩年期を過ごすなど、まさに激動の生涯でした。
晩年にあってもレンブラントは筆を離さず、その人生を落とし込むように絵画を描き続けました。主には油彩。そして銅版画や、1000を超えるほどのデッサンなど、名実ともに大作家として西洋美術史に名を刻んでいます。