レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)はオランダの画家です。
バロック期に活躍し、フェルメールなどと並べて語られることが多く、時代を代表する画家です。バロック様式の絵画は強い明暗法と、リアリズム的でありながら躍動感のある構図が特徴的です。
レンブラントはその中でも「光と影の魔術師」と呼びならわされるほど、卓越した明暗表現を操る画家として知られています。
生涯に渡って絵画と向き合い、描き続けた彼ですが、その裏では度重なる不幸がありました。
20代で画家としての名声を得、結婚。妻・サスキアとの間に四人の子をもうけますが、そのうち三人が間もなく死去。のちの大傑作となる絵画『夜警』の制作中に妻サスキアまでが結核で死去してしまいます。その後は財政困難に陥り、借金に追われながら晩年期を過ごすなど、まさに激動の生涯でした。
晩年にあってもレンブラントは筆を離さず、その人生を落とし込むように絵画を描き続けました。主には油彩。そして銅版画や、1000を超えるほどのデッサンなど、名実ともに大作家として西洋美術史に名を刻んでいます。
中国文人の文房趣味とされる硯、墨、筆、紙の四つの文房具のことを文房四宝(ぶんぼうしほう)といい、文房四宝の硯の中でも最高峰とされているのが今回ご紹介する端渓硯になります。
中国の硯は唐硯(とうけん)と呼ばれ中国四大名硯として種類は端渓硯(たんけいけん)、歙州硯(きゅうじゅうけん)、洮河緑石硯(とうがりょくせきけん)澄泥硯(ちょうでいけん)の大きく4つに分けられます。
この他にも代表的なもので松花江緑石硯(しょうかこうりょくせきけん)、羅紋硯(らもんけん)があります。
唐硯全体の特徴としては装飾が豪華なものが多いという点と、硯に天然石が持つ紋様が表れるという点にあります。
この紋様のことを石紋(せきもん)といい、天然石特有の多種多様な紋様が、観賞価値を高めるためには非常に重要なものとなっております。
石紋で有名なものが、青花(せいか)、蕉葉白(しょうようはく)、冰紋(ひょうもん)臙脂暈(えんじうん)翡翠(ひすい)石眼(せきがん)金、銀線(きん、ぎんせん)等多くの種類が存在します。
画像の物は硯全体が壷型の形をしており、二体の獅子が彫刻された珍しいお品物であり、機械で彫刻されたものではなく手掘りの作品で、こちらが老坑と呼ばれる珍しい石を使っていたり石の紋様である石紋というものがあれば高値の評価額が期待できるお品物になっております。
この他にも、中国骨董は中国人バイヤーの方にも大変人気があり、中国で起きた文化大革命(1966年~1977年)以前のお品物でしたら、書道具に限らず高値の評価額が期待できます。
吉田萩苑は1940年 山口県萩市三見床並に生まれます。15歳より人間国宝の十代 三輪休雪に入門し修行を重ね、天鵬山窯の開設に際し技術指導者として招かれ尽力しました。
1968年生まれ故郷である山口県萩市玉江に玉隆窯を開設しますが1986年の事故により46歳という若さでこの世を去りました。
吉田萩苑に関する略歴や詳しい情報はかなり少なく、現状分かっているのは上記の部分のみとなります。
前端 雅峯は、山中塗の塗師であり、棗師です。
前端雅峯は1936年、前端家八代目、前端春斉の長男として石川県にて生まれます。
幼いころから父の前端春斎の仕事を手伝いながら技術を磨きました。
1961年頃からは更なる技術向上を求め茶道具の漆芸を村田道寛に師事して学び、石地塗は中村長寛。加賀蒔絵を保谷美成に師事しながら学んだ後、二代目春斎としても活動を始め、同時にこの頃、財団法人無限庵(石川県指定文化財)を設立します。1972年には大徳寺金毛閣(重要文化財)の解体修理の古材で棗を制作し、この際に「雅峯」の雅号を受けました。
山中塗の伝統技術を守りながら、棗などの茶道具を中心に制作を重ね伝統柄をモチーフにしつつ絵画的で彫刻的な作品が高く評価されています。
特に蒔絵の技術が素晴らしく今でも多くの茶人から愛されております。
1946年に東京都で生まれた彼女は、1968年に女子美術大学日本画科在学中に日春展に作品が入選します。1969年には女子美術大学日本画科卒業、1979年と1992年にはそれぞれ日展特選受賞、2008年に第40回日展日展会員賞を受賞、2021年に日展内閣総理大臣賞を受賞と、現在は日展会員である素晴らしい活躍をされている女流画家です。
女性の姿を主流といて描き、その洗練された構成方法とタッチ感が魅力的で、見る者を作品に引き込む力がひとつひとつの作品にあります。
玉野勢三は、大阪府出身の彫刻家です。
パブリック作品として駅前や病院の入り口などに飾られていることもあるので、作品を見たことがある方もおられるのではないでしょうか。
乾漆作品やテコラッタ作品も手掛けますが、多く作られているのはブロンズ作品です。イメージから型取り、鋳造まで、すべて自らの監修のもと行います。
玉野勢三の作品は、子供をモチーフとするものが多いです。自身が四人の子供を抱える父親であり、生活での交流の中からインスピレーションを育みました。
大らかで動きのあるものから、ふとしたしぐさや表情をとらえたものなど、感情豊かな子供の様子が独特な丸みと共に表現されています。
日本において多くの個展が開催されています。最初は1983年の生駒市からはじまり、自身の生まれである大阪を中心に全国で開催されるようになりました。2008年からは毎年開催され、現在でも予定が組まれています。