リモージュ磁器(リモージュ焼)について紹介致します。
リモージュ磁器とは、フランスはヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の都市・リモージュの製陶所で製作される磁器のことを指します。最初にリモージュ磁器が作られたのは1771年となり、それから現在まで生産が続いております。
18世紀当時の西洋では、東洋の「白磁」が大変尊ばれており、ヨーロッパでそれを生産できるのはドイツのマイセンだけでした。東洋の白磁は「カオリン」と呼ばれる白陶土が必要であり、フランスの一大名窯であるセーブル王立磁器製作所は国内でそれを見つけられずにいました。
そんな折、リモージュ近郊でカオリン鉱床が見つかります。カオリンはセーブルに運ばれますが、リモージュの人々も地域産業発展のため、カオリンを使った硬質磁器の製陶をはじめました。これがリモージュ磁器の起源となります。
19世紀後半には黄金時代と呼ばれ、実に50近くの窯が作られ、リモージュ焼は広く世界に認知されるようになりました。
特徴としては、高温焼成した白い生地に絵付をし、さらに焼成することで表れる白くきめ細かい白磁です。初期から続く花や植物をモチーフとした装飾の作品の他、少し黄色がかった素地の作品などもあり、人気を集めています。
三田村義広は、1978年生まれの江戸切子作家です。
江戸切子とは、1834年に江戸でビードロ屋を営んでいた加賀屋久兵衛が金剛砂(研磨剤に使用される粉末状の鉱物)を用いてガラスの表面に彫刻を施したのが始まりとされています。1881年にはイギリス人技師であるエマニュエル ホープトマン氏の指導により、江戸切子のカット技法が確立されました。
その後大正から明治にかけて江戸切子は急速に発展を遂げ、1985年には東京都の伝統工芸産業に、2002年には国の伝統工芸品に指定されました。
三田村義広は、大学を卒業後江戸切子職人である根本幸雄のもとへ通い詰めて弟子入りを果たしました。
8年の修行ののち、2010年には「使う人の生活に溶け込む器を作りたい」と考えた際に浮かんだ「空間」「余白」の言葉からhaku硝子を設立しました。
江戸切子は「矢来」や「七宝」など、伝統的なパターンを複数組み合わせて作られますが、氏はそこに大胆なカッティングを取り入れることで現代の食卓にも溶け込むようなまったく新しい江戸切子を生み出しています。
日本の貨幣の始まりは中国の開元通宝をモデルに作られたと言われており、7世紀後半に作られていた富本銭が最古のものとされています。富本銭や和同開珎などに続き、多くの種類の貨幣が登場しますが、形は丸の中に正方形の穴が空けられているものが主でした。
16世紀になると穴の開いた銭貨に加えて、金や銀を用いた貨幣が登場し各地で鉱山が開かれると様々な領地ごとの貨幣が登場したり偽の貨幣が製造され流通までするようになります。
江戸時代に入ると徳川家は貨幣の統一化に着手するようになりました。その中で銭貨では寛永通宝が登場し、また小判、大判、二分判などが流通するようになります。しかし、西日本においては丁銀や豆板銀と呼ばれる銀の塊のような重さで物の価値を計る秤量貨幣(しょうりょうかへい)が主流で、江戸など東日本で取引をする際には両替を行う必要がありました。両替レートは変動制だったこともあり、江戸幕府はレートを統一しようと画策し「南鐐二朱銀」が登場します。これには「以南鐐八片換小判一両(この二朱銀八枚で小判一両に換えられるという意味)」と記され、これは決まった額面を持った日本で最初の「計数貨幣」で、計数貨幣は現在の貨幣と同じ、1枚ごとに決まった価値をもつ貨幣です。
またその後登場する天保一分銀という銀貨は、額面より少ない量の銀から鋳造することで、銀の価値と額面の差額が幕府に入るというカラクリを用いて幕府の財政を安定させることにも寄与しました。
その後明治時代に入ると通貨単位が「円、銭、厘」に変更されます。当時の1円は一両と同じ価値だった為、一般の人々の間ではなく主に貿易などの場で流通していました。
また銭や厘といった円より下の単位は昭和28年に廃止され、以来日本の通貨単位は円で統一されています。
エミール・ナントワーヌ・ブールデルは1861年に南フランスの家具職人のもとに生まれます。幼い頃から父の仕事を手伝い、木彫りの技術などはこの時に習得したと言います。
15歳になるとトゥールーズの美術学校に通い、その後パリの美術学校にも通いますが、権威主義的な作品制作に失望し2年で退学しその後はパリで制作活動を続けます。
1893年、ブールデルは近代彫刻の父と称されるロダンの工房へ入り下彫り職人として働くことになります。初めはロダンの影響を強く受けたブールデルですが、ロダンの影響から逃れ、自己の表現をいかに確立するかという課題に直面します。
制作のなかで次第に中世ロマネスク彫刻を連想させるような自然で力強い作風を確立していったブールデルは「アポロンの頭」や「弓を引くヘラクレス」などの作品で完全に自己の表現を完成させることができました。
15年勤めた工房を独立した後は、自信の評価を高めるとともに後進の指導にも力を入れ、ジャコメッティ、ヴィエイラ・ダ・シルヴァ、ジェルメーヌ・リシエなどの作家を育て、清水多嘉示、柳原義達ら日本人彫刻家にも大きな影響を与えています。
1929年に息を引き取ったブールデルはもっとも偉大なフランス彫刻家の一人と称され、工房は今では美術館としてブールデルの栄光を後世に伝え続けています。
吉田一也は1970年、京都生まれの陶芸家です。
20代の頃、自身が中国・インドをバックパックで旅した際の経験から自然と野生を深くリスペクトするようになり、猫を通じて野生の気高さを表現するべく、主に猫の焼き物・墨彩画を制作しています。
目の粗い白土に西陣織や神社仏閣からヒントを得た絵付けを行い、瞳等は釉薬でつややかに仕上げることで猫のぬくもりや野生の鋭さが両立しています。
氏が制作する猫たちは瞳孔が縦に細長い昼の目、対して瞳孔が丸い夜の目があり、耳の形や体の造形もわざと変えることにより、すべての作品が世界に唯一の個体となっています。
現在は京都市左京区鞍馬町に窯を持ち、犬や猫と暮らしながら作品制作を行っており、日本各地で個展も開催しています。釉薬で瑞々しく潤んだように仕上げられた瞳と、表情豊かでいきいきとした猫たちは素朴ながらも確かな存在感を放っています。
猫好きな方は、ぜひ一度吉田一也の作品をご購入してみてはいかがでしょうか。
津金日人夢(つがね ひとむ)は1973年熊本生まれの陶芸家です。
1993年に有田窯業大学校ロクロ科修了後、熊本に戻って父のもとで作陶を始めます。はじめの頃は父にならった作陶を行っておりましたが、独自の作品表現を求める中で新たな形を見つけ出します。
津金の作品の特徴は、なんといっても「青磁」ではないでしょうか。
中国宋時代の青瓷の研究を意欲的におこない、青瓷ならではの品格を損なうことなく、自己流の現代的表現を模索しました。日本工芸会を中心に公募展での受賞を重ね、東京国立近代美術館で開催された『青磁のいま』展にて青瓷の現代作家10人に選出されております。2008年には日本工芸会正会員に認定、2010年は熊本県伝統的工芸品に指定と数々の成績を収めております。
全国各地の百貨店にて、個展を開催しており、これからの活躍も楽しみな青瓷の現代作家さんでございます。