鈴木 玩々斎は竹芸作家で、明治から昭和にかけて活躍しました。
16歳の頃に竹芸作家の山下巧竹斎に師事し、腕を磨いた後独立、その翌年森華堂より「元々斎」の号を受け、その後「玩々斎」に改名します。改名後は浪華籃友会展、大阪工芸展などの展覧会に出展し高い評価を受けています。
作風は主に煤竹や竹根を使用し花籠や敷物、煎茶道具や華道具などを手掛けており、非常に細密に作りこまれた網目の美しい作品や荒々しい印象を受けるような芸術性の高い作品なども手掛けています。使う素材も煤竹・鳳尾竹、紫竹、斑竹、古矢竹など作品によって使い分け、編み方も六ツ目編み・亀甲編み・菊底編み・花紋編み・透かし編みなど様々で技術の高さと作品に掛けるこだわりが垣間見られます。
また作家自身が昭和25年に亡くなっていることもあり、作品が50~100年ほど経っていることで竹が程よく風化することで美しい飴色になっている物も多く人気が高くなっています。
伊勢崎晃一朗は、1974年生まれの備前焼作家です。
人間国宝である備前作家・伊勢崎淳の長男として生まれ、現在においても活躍の幅を広げておられます。
東京造形大学の彫刻科を1994年に卒業し、その後はアメリカにて研鑽を積みました。1998年からは父・淳の弟子でもあった陶芸家、ジェフ・シャピロのもとで二年間陶芸を学びます。そして2000年に備前に戻り、父・淳のもとで陶芸家としてのスタートラインに立ちました。
以降は多くの展覧会で受賞を重ねつつ、個展やグループ展を開催する人気作家となっております。
伊勢崎晃一朗の作品では、オブジェ的な造形のものがよく見られます。今までにないような凝った造形を創り出す一方で、手の取りやすさなど使い勝手の点でもきちんと計算されており、まさにアート性と用の美が両立した現代的な備前焼といえます。
土色に関しても、備前伝統の重厚な色味のものから海鼠釉や金彩などを取り入れた豊かな発色を持つものまで様々であり、広くユニークな作品が楽しめる作家さんです。
岡崎忠雄は、京都府出身の日本画家です。
1943年に生まれ、昭和後期から平成の初期にかけて活躍されました。
牡丹をはじめ、花をモチーフとした日本画で主に評価を得ており、現在も根強いファンのいる作家さんです。
1968年に京都市立美術大学を修了し、その後はヨーロッパへの旅行などで自身の感性を磨きました。ヨーロッパの旅を契機として、イタリア風景の描画など西洋絵画に取り組むようになります。やがて自身の花鳥の表現に西洋画の遠近感を取り入れ、新しい日本画を追求していきました。
1984年に院展に初入選し、以降も複数回入選するなど、多く受賞歴を持つ方でもあります。もっとも多く見かけるのはやはり花の作品ですが、イタリアの風景画やキリスト絵画の模写でも高い評価を受けているため、まさに二面的な人気を持つ作家さんです。優美で繊細な花と荘厳な美しさの風景は対比的でありながら、なおかつ包括するような作家性が感じられます。
キヤノンは日本の光学機器やプリンターなどのOA機器メーカーですが、最初は高級カメラの製造を目的として創立された精機光学研究所という小さな研究所でした。1935年に日本で初のフォーカルプレーン式のカメラ「KWANNON(カンノン)」を試作したのが、キヤノンにおいては最初の製品となります。
その後カンノンと音が似ており、「規範」や「聖典」などの意味があり、「精機」とも親和性が高いことから商標を「CANON」で出願。その後、この呼び名で一般的に名前が知れ渡る様になりました。また当時の仮名遣いを踏襲している為、片仮名表記では小文字の「ャ」ではなく大文字表記のため「キヤノン」と表記されます。
カメラ産業においては1959年にはキヤノン初の一眼レフを発売、2001年頃からはコンパクトデジタルカメラやデジタル一眼カメラなどを発売、2013年頃からはミラーレス一眼機を発売するなど時代に合った製品を製作しています。
カメラメーカーではよく「ニコン」と比較されるキヤノンですが、”記録色”と言われる実際の色味に近い発色=あっさりした色が持ち味のニコンに対して、キヤノンは”記憶色”と言われる記憶の中に残った色を再現する=鮮やかな発色が持ち味であり、特に人の肌を美しく表現することが得意なため写真屋さんなどからの需要が高いです。
現在カメラ市場においてはソニーがかなりのシェアを占めていますが、それぞれの時代で最先端を走ってきたキヤノンの今後の活躍にも期待です。
中川義實は明治時代頃に活動した岡山県出身の金工師です。
義實について残された資料は少なく、明治時代頃までの金工師をまとめた『古今金工一覧』と父・正阿弥勝義の手紙の宛先と内容からその活躍を知る事が出来ます。
『古今金工一覧』によると「夏雄門中川氏十四代目ナリ東京後ニ京師住」とあります。ここから加納夏雄に師事した中川家の14代目である事が見受けれます。加納夏雄は京都の名工として知られ、中川家は父・正阿弥勝義の生家で岡山の金工師の名門として知られます。また、勝義との手紙から東京や京都・大阪にいたことは間違いありません。手紙の内容から神戸に光村家という顧客を抱えており、刀装具を依頼されていたことが分かります。
義實の作品は刀装具のほかに鉄瓶や香炉から仏像まで広く残されています。そのいずれも美麗であり、細緻に富んだ仕上がりとなっております。
残念ながら世にあまり認知されておらずインターネットでは海外向けの販売サイトのみヒットし日本語のサイトが全く出ない人物となっております。少しでも中川義實が世に広まり、緑和堂にお持ちいただけることを心よりお待ちしております。
金龍堂は、初代大國壽朗が発足した鉄瓶や金工品を得意とした工房です。
初代の大國壽朗の他にも松尾忠久、佐野直之らの有名作家が在籍していました。
金龍堂の歴史は古く、明治期~大正期にかけて多くの名品を世に残しました。
明治期は、亀文堂、龍文堂、金寿堂などの有名工房が数多く存在した時代で、その年代の職人達の技術力の高さは現在でも世界的に高い評価を受けている作品ばかりです。
今回紹介させていただく『金龍堂』も国内のみならず、中国本土や台湾などの煎茶文化が盛んな国でも高い人気を誇ります。
金龍堂の作品にも様々なタイプがありますが、特に人気が高いのは『鉄瓶』です。
特に初代である大國壽朗の作品となると数百万円で取引されている品も存在します。