曽根 茂

曽根 茂は、油彩で風景画を描く写実画家です。

1971年生まれで 三重県菰野町(こものちょう)で生まれます。
小さい頃から写実画を描き続けており、個展などにも出展し、学生をしながら絵を描き続け、1996年に京都大学文学部史学科考古学専攻を卒業します。
卒業してからも個展や展覧会への出品を続け、現在も風景画家として活動されております。

曽根茂は描く作品の現地の写真を撮り、取材を重ね、そこから自分の感じた感覚(ありのまま)を交えて風景作品を描くそうですが、実際に曽根茂の作品を見ていると、写真よりも鮮明に空気感や光の感覚、風の心地よさや香りまでも作品からあふれてくるような。
そんな不思議な感覚になりました。

もしかすると、そういった曽根茂のありのままの感覚が交わる事で、見た者が作品自体に懐かしさを感じ、引き込まれる理由なのかもしれません。

高野 三三男

高野三三男は1900年代の日本とフランスで活躍した画家です。

1922年に東京美術学校(現・東京藝術大学)洋画科に入学するも、1924年に起きた関東大震災にて被災。その復興の騒ぎで落ち着いて絵画の制作が出来ないことからフランスに渡ります。渡仏後は個展の開催、展覧会への出品など精力的に活動し、フランス画壇で認められていきます。

女性の寝室やイタリア喜劇をモチーフとした絵画を得意とし、1930年にフランス政府に買い取られた『仮面舞踏会の夜』もイタリア喜劇のコロンビーヌやアルルカンがモチーフだとされています。

1940年に藤田嗣治とともに帰国。帰国後は一水会の会員として毎年作品を出品して中心的存在になり、文展・日展等の審査員を歴任しました。1954年には現代日本美術展で大衆賞を受賞するなど、日本とフランスで活躍して両方で高い評価を得た作家です。

高野三三男の娘はピアニストの高野耀子であり、高野耀子は高野三三男のアトリエにグランドピアノを並べて演奏していたというエピソードがあります。ジャンルは違えど芸術に親子で芸術に身を置くことはとても素晴らしいことですね。

三輪 良平

三輪良平は美人画を中心に描かれた昭和後期から平成時代に活躍した日本の画家です。

京都市の表具師の次男として生まれ、京都市立美術専門学校卒業後、山口華楊に師事し華揚が代表をつとめる晨鳥社(しんちょうしゃ)へ入塾すると翌年には昭和27年の日展に「憩ひ」にて初入賞その後の日展でも「裸婦」で特選、「舞妓」で白寿賞を受賞、この頃、中路融人ら晨鳥社の若手と研究会「あすなろ」を結成しました。
日展審査員や評議員をつとめるなど日展を中心に制作活動を行い、現代日本画壇の発展に尽力した方です。

また描かれた舞妓は年若い娘も多く昔舞妓として活躍していたのは十代前半の女の子であり着物は派手で鮮やかな物が多かったそうです。
しかし現代に近づくにつれ舞妓の年齢層も上がって行き作品の舞妓も年齢層が上がっている事がわかります。
そして描かれた作品は裸婦や舞妓を題材として華麗な女性美を描き、特に舞妓を多く題材にしており着物の美しさ、女性のハッキリとした顔立ちを描き全体のバランスがとても美しい作品です。

大道寺 光弘

大道寺光弘は北海道出身の彫刻家です。その特徴は「生命力のあるブロンズ像」です。
大道寺光弘は数多くのブロンズ像作品を作っていますが、そこには銅像とは思えない生命力や優しさがあります。彼の作るブロンズ像の表情はとても柔らかく、温かな心が宿っているかのようです。
世界中のコレクターや企業が注目する現代作家の一人と言えるでしょう。

大道寺光弘の作品の中でも、得意とするが少女を題材にしたものです。
画像にありますのは大道寺光弘の『FRIENDS』という作品で、少女の前には一匹の犬が片手を挙げ少女を見上げています。
少女は微笑みながら友達を見て、犬も友達の少女にじゃれつきたい。柔らかな日差しが差し込む午後、これから友達と遊ぶ様子。そんなとても心温まる情景が伝わってきます。

佐藤 潤

佐藤潤は生物多様性をテーマに絶滅危惧種の動物たちを描く鳥獣画家で、動物画家として大変人気があります。

そんな佐藤潤は、1970年大阪市に生まれ、幼少期を大阪の工場街で過ごしました。自然、土や木々、虫たちなどとは縁の無い場所で育ったことから生き物たちに憧れの気持ちをつのらせて暮らしていました。 さらに幼い頃は体も弱く室内で過ごすことが多く、募らせた思いはやがて描くという表現に変わっていきました。
その後、佐藤潤は美術高校、そして 京都精華大学美術学部に 進学し、卒業後は欧州の国々を旅します。その中で画家として活動を始めますが生き物たちへの憧れは変わることなくリスペクトの気持ちをもって作品を作り上げています。

1995年に初個展を開き、2000年以降は日本全国の百貨店や美術画廊などで毎年個展を開催するまでになりました。その他に動物園などへの作品寄贈や、売上の一部をWWFジャパンへ寄付するなど自然保護や動物保護にも熱心に取り組みました。そんな中2009年、アメリカの大手パズルメーカーやその他の企業により作品が商品化されることなり、佐藤潤の作品は全米で販売されるようになりました。

佐藤潤の描く作品は動物を描くことが多いのはもちろんですが、ジャパネスクシリーズと言って、日本という国の美しさ、風習や伝統的な文化を多くの方に知ってもらうため、お正月の海老や鯛・端午の節句の鯉のぼり・七夕の笹やカササギなど日本の節句や行事をテーマにした作品や、吉祥をテーマにした作品・仏画の世界をテーマにした作品を作り上げています。
このジャパネスクシリーズは、パリの展覧会にも出品され日本の文化の美しさとクオリティの高さによって海外で高い評価を受けました。

佐藤潤は、日本と動植物の昔からある繋がりを伝えるような活動を行っていますが、2004年のインドネシア・スマトラ沖地震をきっかけに動物の為に何かしなければならないという思いが募り、絶滅危惧種の動物などに目を向け、動物たちの現状を訴えかける魅力のある作品を作り上げています。

 

SEIKO セイコー

セイコー(SEIKO)は、時計事業で著名な日本の企業です。

創業は1881年で、服部金太郎がセイコーの源流会社となる「服部時計店」を立ち上げたのが始まりです。初めは中古時計の買取・修繕・販売を事業としていましたが、間もなくして国産クロックの製造販売を開始します。

戦後の高度経済成長期に差し掛かると、「世界に挑戦する国産最高級の腕時計を作る」という志のもとで1960年、当時の技術・技能を集約させた『グランドセイコー』を製作、販売を開始します。グランドセイコーは2017年からは独立ブランドとして、世界に名だたる高級時計ブランドとなっております。

また、1969年には世界初のクォーツ式時計となる『セイコークォーツ アストロン35SQ』通称『アストロン』を開発、販売しています。

現在はグランドセイコー、アストロンをはじめ幾つもの自社ブランドを立ち上げており、そのほとんどは文字盤にSEIKOのロゴを入れています。セイコーの時計事業の広がりを見せるとともに、今日の知名度を築き上げている要因ともいえるでしょう。

リモージュ カップ&ソーサー

Limoges リモージュ

リモージュ磁器(リモージュ焼)について紹介致します。 リモージュ磁器とは、フランスはヌーヴェル=アキテーヌ地域圏の都市・リモージュの製陶所で製作される磁器のことを指します。最初にリモージュ磁器が作られたのは1771年とな …

三田村 義広

三田村義広は、1978年生まれの江戸切子作家です。 江戸切子とは、1834年に江戸でビードロ屋を営んでいた加賀屋久兵衛が金剛砂(研磨剤に使用される粉末状の鉱物)を用いてガラスの表面に彫刻を施したのが始まりとされています。 …

古銭

日本の貨幣の始まりは中国の開元通宝をモデルに作られたと言われており、7世紀後半に作られていた富本銭が最古のものとされています。富本銭や和同開珎などに続き、多くの種類の貨幣が登場しますが、形は丸の中に正方形の穴が空けられて …

ブールデル

エミール・ナントワーヌ・ブールデルは1861年に南フランスの家具職人のもとに生まれます。幼い頃から父の仕事を手伝い、木彫りの技術などはこの時に習得したと言います。 15歳になるとトゥールーズの美術学校に通い、その後パリの …

吉田 一也

吉田一也は1970年、京都生まれの陶芸家です。 20代の頃、自身が中国・インドをバックパックで旅した際の経験から自然と野生を深くリスペクトするようになり、猫を通じて野生の気高さを表現するべく、主に猫の焼き物・墨彩画を制作 …

津金 日人夢

津金日人夢(つがね ひとむ)は1973年熊本生まれの陶芸家です。 1993年に有田窯業大学校ロクロ科修了後、熊本に戻って父のもとで作陶を始めます。はじめの頃は父にならった作陶を行っておりましたが、独自の作品表現を求める中 …

許麟盧

許麟盧は、中国の絵画・書画作家です。 1916年に中国は山東省蓬莱市で生まれ、幼いころから絵画や書画に触れて成長していきました。1939年からは書家・絵画家の溥心畲に師事し、技術と心得を学びました。溥心畲は朱子学をはじめ …

野村 義照

野村義照は、大阪府生まれの日本画家です。 1971年に東京藝術大学大学院を卒業すると、前田青邨、その後は平山郁夫に師事し、日本画の技量を高めていきました。 1977年。院展で日本画大賞を受賞したその年、野村義照は初めての …

服部時計店

服部時計店は、時計事業で著名なセイコー(SEIKO)の前身となる企業です。 創業は1881年で、当時21歳だった服部金太郎が輸入時計・宝飾品の販売店として銀座に立ち上げました。服部時計店は取引先の、特に外国商館から高い評 …

関 武比古

関武比古は、三代続く銀細工師です。 初代・関武比古は1908年の千葉県勝浦に生まれ、上京を機に打物の名匠である田島勝之師に師事し、銀細工を修行しました。その後、さらに香坂宗廣師のもとで技術を磨き、28歳で独立しました。数 …

城 康夫

城康夫は、京都出身の油彩画家です。 国画会が運営する日本最大規模の公募展・国展において幾度も受賞されており、以後も国画会会員として長く活躍されました。 リアリズムに準拠した静物画を得意としており、もっぱら題材にされるのは …

MONTBLANC モンブラン

モンブランは、1906年から続くドイツを起源とした筆記具メーカーで、有名な万年筆ブランドです。 その歴史は、ドイツ・ハンブルグに住む文房具屋、銀行家、エンジニアの三人が会社を作り、万年筆の製造に着手したことに始まります。 …

林 正太郎

林 正太郎は岐阜県土岐市下石町の窯元の子供として生まれました。 商業高校を卒業後、名古屋で就職しましたが、すぐに岐阜県に戻ってきました。 それから兄である林 孝太郎に師事し、陶作を手伝うようになりました。 初期の頃はガス …

小西 平内

小西平内は、兵庫県西宮市に「太閤窯」を構える陶芸家、およびその名跡です。 太閤窯を築いた初代・平内とその甥の二代・平内がおり、世に多く出ているのは二代の作品となります。なのでここでは、主に二代の紹介をさせていただきます。 …

中村 宗悦

中村宗悦は、石川県出身の漆芸作家です。 1932年に生まれ、十代の頃には父親から「髹漆(きゅうしつ)」という技法を学びました。以来、宗悦はその技法一筋で作品を製作していきました。 「髹漆」とは、へらや刷毛を使って漆を素地 …

山岸 正巳

山岸正巳は1929年に北海道の岩内で生まれます。 画家としては、バレリーナの少女などをモチーフとした人物画や、牡丹、薔薇などの静物画を得意とした作家です。 1952年に東京美術学校卒業し、学校卒業から彼の作品は注目を集め …

小向 貢嗣

小向貢嗣(こむかいみつぐ)は、青森県出身の画家です。 人物画と静物画を得意とした作家であり、特に人物画では老人を描いたものが多くあり、その写実的な画風が高い人気を誇っています。 静物画においては柘榴と葡萄を好んでいたよう …

山本 太仙

山本 太仙は1953年四日市に生まれました。 父は築窯業、祖父は急須作家で、作陶に恵まれた環境に育ち、高校卒業と同時に焼き物の道に入ります。 伝統工芸の萬古急須を作る傍ら、釉薬を研究し従来の赤土急須にない新しい感覚の施釉 …

象牙作品

象牙の特徴といたしましては、美しい光沢感、しなやかで滑らかな手触り、縞目模様をしていたりと多くの特徴が挙げられます。また、弾力性と粘りがあり、彫刻に最適な適度な堅さを持っていることから、古くから工芸品の素材として用いられ …