ボヘミアガラスは、チェコ西部のボヘミア地域にて発祥し、花開いたガラス工芸産業です。
9世紀にチェコへと伝わったガラス工芸。その頃は装身具や窓ガラス、ステンドグラスが主な製作品でした。一般向けのガラス容器が作られるようになったのは、ヴェネツィアからガラス製造の技術が伝えられた13世紀頃からです。
14世紀後半、神聖ローマ帝国皇帝カール四世のもとで現在のチェコの首都・プラハが文化の中心地として繁栄します。この時代からガラス器の製造が本格的に始まり、ボヘミアグラスの基盤が出来上がります。
16世紀以降はルネサンスの時代であり、皇帝ルドルフ二世がガラス工芸を推進したことで、ボヘミアガラスは興隆期を迎えました。ヴェネツィアガラスの技法を取り入れた上で独自の装飾を施したボヘミアガラスは、ヨーロッパの諸貴族の間で愛されることとなりました。
現在でも大きな特徴となっている美しいカットやエングレーヴィング装飾は、この時代から継承、進化してきたものです。お手に取る機会がございましたら、是非ボヘミアガラスの持つ優雅な美しさを体感してみてください。
西村功は1923年生まれ、大阪府出身の洋画家です。
1948年に帝国美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業後、本格的に洋画家の道を進み始めます。
1950年代のはじめ、赤帽を題材にしたことを契機として、プラットホームや駅員、乗客などを描くようになりました。その後は二紀展や安井賞展で受賞を重ねます。
1970年に初めての渡欧を行い、題材の幅はパリの街並みや人々にも広がっていきました。1986年の二紀展では『シテ駅界隈』という作品を出品し、総理大臣賞を受賞しております。
複雑に塗り重ねられた色彩と線によるモチーフの造形が特徴的で、低い温度を感じさせる色彩感は、西村の目が映していた街や人々の情感を感じることができます。
構図としては写実性が重んじられていますが、独特ともいえる西村の色彩と線には彼の世界観が強く押し出され、いまだ多くのファンに愛されております。
油彩画の他水彩画も多く制作されており、油彩とはまた異なる表現の幅を楽しむこともできます。
パーカーは、イギリスの高級筆記具ブランドです。
1891年にジョージ・サフォード・パーカーがペンの特許を申請し、アメリカで製造を開始したことを起源とします。
インク漏れをしない「ラッキー・カーブ・ペン」という先駆的な万年筆の開発に始まり、創業当初から確実に売り上げを伸ばし続けました。
1920年代、パーカーは大きく高価な万年筆「デュオフォールド」を開発します。ビッグレッドと呼ばれるオレンジ色のデュオフォールドは、一躍世界を席巻し、現在に続く人気を確立しています。創業51年目に開発された「パーカー51」は、アカデミー賞のベストデザイン賞を受賞しており、また大きな人気を博しました。
この二つは第二次世界大戦の和平合意の際にも使用され、パーカーを代表するペンとして世界に知られています。
その後も革新的な機能性、デザイン性のペンの開発を続け、1962年と1990年の二度にわたって英国御用達(ロイヤルワラント)を授与されています。
現代においてもなお人気の万年筆ブランドとして確立しており、多くのファンに愛されております。
鈴木青々は、愛知県瀬戸市出身の陶芸家です。
瀬戸の陶芸家である河本五郎、加藤舜陶とともに「瀬戸の三羽カラス」として親しまれています。
20代の半ばに瀬戸の陶芸家・加藤華仙に師事し、本格的に陶芸の道を歩み始めます。はじめは黒瀬戸や織部など伝統的な陶芸技法での制作を行っていましたが、陶芸家・板谷波山やガラス工芸家・各務鑛三に師事し、制作技術を学ぶ中で、やがて独自の路線を開拓していくようになります。
文展や日展を中心に活躍され、後年には日展の評議員を務めるなど活躍されました。
鈴木青々の仕事の一つに、ガラス質のフリット釉を陶土にめり込ませて焼成することで、器の表面が色のついた砂地風に見える「彩砂磁」という製法を生み出したことがあります。
伝統技法を基礎として、この彩砂磁や七宝、象嵌、金彩などの技術を併用しながら、幅広い作品を製作されています。
造形や色彩の自由度が高く、斬新ともとれる作品の多い作家さんです。
大矢亮は、名古屋出身の油彩画家です。
1974年に名古屋市で生まれ、6歳の時から絵画教室に通い、絵と共に過ごしてきました。
1998年に愛知県立芸術大学日本画科を卒業後、同年の院展にて初入選を果たします。2000年に大学院を修了してからも愛知芸大との関わりは続き、大学の模写班で長年模写事業に取り組みました。
そこでの技術を生かしながら、独自の発想から新たな日本画のスタイルを模索し、現在も制作を行っております。
大矢亮の作風として、物語の世界のようなファンタジー性、フィクション性が取り入れられていることが挙げられます。幼少期より物語を考えながら絵を描くことを好み、続けてきたことが、現在の作品にも表れていると言えます。
また、古画をユーモラスにアレンジした作品なども有名であり、大変人気を集めています。
近年多くの個展が開催され、その独特な感性で描かれる日本画は今なお多くのファンを生み出しています。どこかで機会があれば、是非一度その世界観をご堪能ください。
パブロ・ピカソはフランスを拠点に活動した画家で、キュビズムの創始者です。
現代においてその名を聞かないことはないほどの有名画家であり、「20世紀最大の画家」と呼ばれています。
生涯に渡って芸術活動を行い、残した作品は油彩画と素描だけでも一万点を超えるといわれております。
幼いころよりその才能を如何なく現しており、美術教師であった父は十三歳のピカソの描く絵を見て筆を折った、という逸話が残っています。
初期はヨーロッパの伝統的な絵画を制作していましたが、ピカソの画風はその人生の中で何度も転換します。
一度目の大きな転換は1901年、親友の自殺に起因するものでした。乞食や娼婦などをモチーフとし、暗青色を基調とした画風で暗い感情を吐き出すような描画がされました。この頃は「青の時代」と呼ばれます。
二度目は「ばら色の時代」と呼ばれ、モンマルトルに移住し、恋人と順風満帆に暮らしていた頃に起きました。
そして三十代の頃に、ピカソを代表する画風である「キュビズム」へと転換します。四十代からは新古典主義、シュルレアリスムへと移り変わり、この頃の代表作として『泣く女』や『ゲルニカ』が挙げられます。
その後も細かく画風が変わりますが、それはやはり圧倒的に多くの作品を残してきたピカソであるからこその変遷だと考えられます。ピカソの持つ絵画史は、後世の芸術家に多大な影響を残しています。
神話や歴史を描く時代から印象派へ、そして現代アートへの道を耕した開拓者として、「20世紀最大の画家」という呼び名が確立しているのです。