ミハイル・シュミアキンは、ロシア・モスクワ出身の現代芸術家です。主に画家、版画家、彫刻家など、様々な芸術場面で活躍されている作家です。先鋭的・宗教的象徴作品を創作し、ソ連政府から弾圧を受けながらも創作活動を続けたことで知られています。
1943年にモスクワで生まれ、1957年にはソビエトにあるレーピン美術学校入学するも1959年には学校を追放されます。1964年・1966年にはそれぞれ発表展や個展を開催していますが、圧力がかかりわずか数日で展示会を禁止されます。
そんな中でも作品の表現をし続ける彼は、1971年にはパリで版画展を開催、1975年には初めて日本にも訪れています。
心に刺さるようなメッセージ性の強い風刺と怪奇的な画風が特徴で、上記記載の通り、度々当時のソ連政府より弾圧を受けていました。それでも芸術家としての表現は留まることはなく、ヨーロッパをはじめ、日本でも人気は徐々に高まってきました。
独創的で時代の奥深さも感じることができる作品は、現在でも注目度が高い作家になります。
高級ハンドパイプを制作・販売を行っている、日本を代表する喫煙具ブランドの一つとして近年注目度が高まってます。
柘製作所は、1936年に柘恭一郎によって創業されました。
元々は幼少期に象牙のシガレットホルダーの製作している親方の所で、長年住み込みで修業をした経歴があった為、自身も象牙のシガレットホルダーの製造を行おうとしていました。
しかし、第二次世界大戦の終結後、物理的に象牙の入手が困難となったため、着目したのが木製パイプの製造でした。以来、一点一点を一から丁寧に作り上げるハンドメイドパイプの高級ブランドとして着実に人気を高め、現在では世界的に知られるパイプメーカーとして、各種喫煙具や象牙製品などの製造・販売を行っています。
初代一斎が「一斎」の号を茶道宗家宗偏流家元より受け、現在三代目と、輪島初の茶道具専門の塗師として今でも時代と高い技術力が受け継がれています。
特徴的なのが、蒔絵と金彩の豪華さは勿論ですが、そこから見える細かな技術が行き渡っている重みのあるデザインが一斎らしいところかと言えます。余すことなく魅せる各作品は、高い評価を得ています。
輪島塗に対する愛ある一斎の感性は、その精密度が高い技術力で作り出す漆器を通して日本のみならず、世界からも注目され、二代目一斎からは海外での活動も積極的に行っております。
2013年に二代目が死去、現在は三代目が継承し、約70年以上作品に対する想いと技術が今も継承されています。
1946年、愛媛県にて、画家・定岡玲艸子(れいそうし)を父に持ち誕生した洋画家で、親子二代にわたって活躍しました。主にヨーロッパ、特にフランス・パリの風景を題材に作品を描き、「父子二人展」などの展覧会も開催しています。
彼の作風は、パリの日常風景を題材に、力強い筆致と独自の色彩感覚によって描かれるのが特徴です。取材旅行を行うなど創作への探究心も旺盛で、制作した作品が受賞することもありました。
晩年には日本の風景も描くようになりましたが、1994年、48歳の若さで逝去しました。
色彩の調和と筆致の緩急のバランスが絶妙で、魅力あふれる作品を多く残し、現在でも多くの人々に愛され続けている作家です。
曾我 蕭白は、江戸時代中期に活躍した絵師です。
独特で強烈な画風が特徴的で、「奇想の絵師」と呼ばれました。
彼に関する詳細な資料はほとんど残されておらず、その生涯は不明な点が多いです。
1730年に京都の商家に次男として生まれ、「高田敬輔」に師事したとされています。
両親と兄妹がいましたが、彼が11歳の時に兄が亡くなり、その3年後に父親、また3年後に母親が亡くなりました。
彼は、二十代~三十代にかけて伊勢や播州を巡りながら作品を制作しました。
大胆にデフォルメされ、荒々しく奇抜に描かれた作品はどこか妖しげな印象を与え、ある種の恐ろしさすら感じさせます。
このような作風は、当時から現代においてもなお、見た人が忘れられなくなるほどの衝撃を与え続けています。
代表作には『群仙図屏風』『旧永島家襖絵』などがあります。
周徳は、雪舟の優秀な弟子であり、雪舟流を正統に受け継いだ画僧です。
惟馨(いけい)と号し、山水画や人物画を得意としました。
周徳の生没年については明らかにされておらず、遺された作品などから16世紀初頭に活動していたとされています。
はじめは東福寺(京都府)に住んでいましたが、雪舟の死後は「雲谷庵(山口県)」を継いで、二代目庵主になったとされています。
周徳は、仏画や花鳥画などを題材とした幅広い作品を手掛けました。
墨の滲みやぼかし、濃淡を巧みに使い、立体感や自然の空気感を表現しています。
静かな美しさを感じさせるような、落ち着いた構図も魅力的です。
代表作には『山水図』『紙本墨画布袋図』などがあります。