1919年に初代が漆器製造を生業とし、以降現在に至るまで高品質で美しい国産漆器の製造・販売に注力しています。
創業以来「自分の目にかなった商品を出していく」という考えの元で製造された慶塚製漆器は、本物の輪島塗の伝統技法を守り、上塗りには国産漆を使用している為、信頼のあるブランド力はもちろん、上品で馴染みが良く、光沢や強度も比較すると一段と異なることが特徴的です。
注文を受けて製造する為、手間と時間がかかりますが、確かな伝統技術と信頼ある製品造りと、何よりも創業当初から受け継がれた工房の強い信念がより実感できる、満足度もぐっと高まるブランドとして、注目度は高まっています。
フランス出身のマルセル・デュシャンは、20世紀の美術界において最も影響力を与えた芸術家の内の1人として挙げられます。
1887年にフランスで生まれたマルセルは、幼少期の頃から絵を自ら描くなど美術の世界に触れていました。1912年、所属していた団体と意見がすれ違い、それまで制作していた油絵の製作を放棄します。この頃に世に出した油絵とは別の作品が、アメリカなどから反響があり、その影響もあり、以降活動拠点をアメリカに移します。
その後、既成の物をそのまま用いたり、あるいは若干手を加えただけのものを1つの作品として公表した「レディ・メイド」という作品を数多く発表します。それらの作品を見た上で、「芸術とは何か?」という疑念が生まれ、それまで主流だった「目で見る芸術」から「観念の芸術」へと転換させるきっかけを作り出しました。これが「現代アート」という概念のスタートとも言えます。
今現在、多種多様な現代アート作品が多く存在し、美術作品と関わりのある緑和堂でも、「現代アート」というカテゴリーに分類される数多くの作品と出会ってきました。マルセルが作り上げた芸術の表現は偉大なものであり、これからも発展し続けていく事でしょう。
ミハイル・シュミアキンは、ロシア・モスクワ出身の現代芸術家です。主に画家、版画家、彫刻家など、様々な芸術場面で活躍されている作家です。先鋭的・宗教的象徴作品を創作し、ソ連政府から弾圧を受けながらも創作活動を続けたことで知られています。
1943年にモスクワで生まれ、1957年にはソビエトにあるレーピン美術学校入学するも1959年には学校を追放されます。1964年・1966年にはそれぞれ発表展や個展を開催していますが、圧力がかかりわずか数日で展示会を禁止されます。
そんな中でも作品の表現をし続ける彼は、1971年にはパリで版画展を開催、1975年には初めて日本にも訪れています。
心に刺さるようなメッセージ性の強い風刺と怪奇的な画風が特徴で、上記記載の通り、度々当時のソ連政府より弾圧を受けていました。それでも芸術家としての表現は留まることはなく、ヨーロッパをはじめ、日本でも人気は徐々に高まってきました。
独創的で時代の奥深さも感じることができる作品は、現在でも注目度が高い作家になります。
高級ハンドパイプを制作・販売を行っている、日本を代表する喫煙具ブランドの一つとして近年注目度が高まってます。
柘製作所は、1936年に柘恭一郎によって創業されました。
元々は幼少期に象牙のシガレットホルダーの製作している親方の所で、長年住み込みで修業をした経歴があった為、自身も象牙のシガレットホルダーの製造を行おうとしていました。
しかし、第二次世界大戦の終結後、物理的に象牙の入手が困難となったため、着目したのが木製パイプの製造でした。以来、一点一点を一から丁寧に作り上げるハンドメイドパイプの高級ブランドとして着実に人気を高め、現在では世界的に知られるパイプメーカーとして、各種喫煙具や象牙製品などの製造・販売を行っています。
初代一斎が「一斎」の号を茶道宗家宗偏流家元より受け、現在三代目と、輪島初の茶道具専門の塗師として今でも時代と高い技術力が受け継がれています。
特徴的なのが、蒔絵と金彩の豪華さは勿論ですが、そこから見える細かな技術が行き渡っている重みのあるデザインが一斎らしいところかと言えます。余すことなく魅せる各作品は、高い評価を得ています。
輪島塗に対する愛ある一斎の感性は、その精密度が高い技術力で作り出す漆器を通して日本のみならず、世界からも注目され、二代目一斎からは海外での活動も積極的に行っております。
2013年に二代目が死去、現在は三代目が継承し、約70年以上作品に対する想いと技術が今も継承されています。
1946年、愛媛県にて、画家・定岡玲艸子(れいそうし)を父に持ち誕生した洋画家で、親子二代にわたって活躍しました。主にヨーロッパ、特にフランス・パリの風景を題材に作品を描き、「父子二人展」などの展覧会も開催しています。
彼の作風は、パリの日常風景を題材に、力強い筆致と独自の色彩感覚によって描かれるのが特徴です。取材旅行を行うなど創作への探究心も旺盛で、制作した作品が受賞することもありました。
晩年には日本の風景も描くようになりましたが、1994年、48歳の若さで逝去しました。
色彩の調和と筆致の緩急のバランスが絶妙で、魅力あふれる作品を多く残し、現在でも多くの人々に愛され続けている作家です。