竹本 輝夫は、昭和から平成にかけて愛媛県松山市を拠点に活動した陶芸家です。
1945年に松山市に生まれ、父親の勧めで蟹の意匠を特徴とする「水月焼」の創始者・好川恒方に弟子入りしました。愛媛県展で入選、無審査となった後は制作活動に専念し、現在は閉窯しています。
水月焼は、狩野派の画家・好川馬骨の長男である好川恒方が、1903年に松山の自宅に築窯して始めた陶芸です。「絵画を立体的に表現したい」という発想のもと、精巧な立体造形、とりわけ「天神蟹」をあしらった作品で広く知られています。恒方の没後は妻・好川恒悦が二代目を継承しましたが、2012年の逝去をもって水月焼は閉窯となりました。そのため現存作品は限られ、現在では骨董市場でも高く評価されています。
現在市場で確認できる竹本の作品には、白釉を基調に生き生きとした蟹をあしらった湯呑などがあります。 岩場から顔をのぞかせる蟹の躍動感や一点ごとに異なる表情には、高度な造形技術と独自の世界観が表れています。
宮松 影水(みやまつ えいすい)は、昭和の中頃に活躍した駒師であり、「夭折の天才駒師」として世に知られています。
宮松影水こと宮松幹太郎は、宮大工の祖父と棋士の父を持ち、1928年10月7日に東京の下町に生まれました。
父親の宮松関三郎は七段の棋士で、後の名人や高名な棋士たちを指導しました。死後には八段を追贈されています。
関三郎は、宮大工だった父親の影響、そして駒師で六段の棋士でもあった豊島龍山の没後に駒木地を譲り受けたことが、駒作りを始める契機になったと伝えられています。
父親の関三郎の影響を受け、影水も駒作りを始めます。
やがて関三郎が心臓麻痺で亡くなると、母親と弟妹たちを支えるために大学を中退し、駒作りに専念することとなりました。
父親から手ほどきを受けたものの、ほぼ独学で修練を積んでいきました。
やがて書体研究のため図書館に通うようになり、それが後の名品へとつながっていきます。
研究を通じて創意工夫を凝らす中で、豊島字母を影水流の駒文字に発展させました。「菱湖」「錦旗」「水無瀬」の書体を得意とし、その中でも「宮松菱湖」は代表作として知られています。
初期の作は「宮松作」であり、これには父親の関三郎の作も含まれています。中期は「影水作」となり、この時期の作品が名品として極めて高い評価を受けています。後期には再び「宮松作」へと戻っています。
1972年、肝硬変のため43歳でこの世を去りました。
幹太郎の生前、妻の登美も一緒に駒作りを行っており、幹太郎の没後は「美水」という号で駒作りを続けました。「芳雨書」という駒字は、書をたしなむ登美のオリジナルです。
ひらのにこは、長野県出身の現代画家です。
少女たちの揺れ動く心や繊細な感情に惹かれ、色鉛筆と透明水彩を使って、やわらかく淡い幻想的な女性像を描いています。
2014年から本格的に作家としての活動を開始し、自身が理想とする女性像を思い描くなかで、現在の少女像を描く独自の作風に辿り着いたといいます。
東京を中心に数多くの個展やグループ展を開催するほか、エッセイやCDジャケットなどのイラストも手がけています。
その独創的で繊細な美しい世界観はアートファンから支持を集めています。
2021年には自身初の作品集『White Light』を刊行したほか、美術誌の「完売作家全データ」特集にも取り上げられるなど、現代のアートシーンで近年注目を集める現代作家のひとりです。
淡い色彩で描かれる儚げな表情の少女像からは、心の奥に眠るかつての記憶や感情の揺れを思い起こさせます。
見る人の心にやさしく寄り添うような、淡く透明感のある色彩表現が大きな魅力となっています。
有吉光政(ありよし みつまさ)は、大阪府出身の洋画家です。
確かな写実技術と落ち着いた色彩感覚を持ち、日本の伝統工芸品や民芸品、古くからある身近な静物を温かみのあるリアリズム表現で描き出しました。
日本の洋画界において長年にわたり活躍し、グラフィックデザインの黎明期を支えた日宣美の創立会員としても知られています。
派手な色彩に頼らず、落ち着いたトーンの中でモチーフが持つ素朴さや伝統美を引き出す作風が、多くの美術愛好家に親しまれています。
杉山元次(すぎやま もとつぐ)は、昭和から平成にかけて活躍した日本の木版画家です。
1925年(大正14年)静岡県生まれ。会社員として働く傍ら版画を制作し、1975年より現代木版画の第一人者の舩坂芳助に師事します。
都市の風景を描きながらもどこか温かく静謐な抒情性があり、現代の住空間にも調和するデザイン性の高さが特徴です。
東京の都市風景や水辺の美しさを描いた作風で知られ、長年にわたり日本の現代版画界を牽引してきました。
アンヘレス・セレセダは、1962年にスペインのサンタンデールに生まれた油彩画家です。
1982年に同国の画家J・トレンツ・リャドが設立した地中海絵画自由学校に入学し、リャドの教えを学びながらモデルとしても活躍しました。リャドが描いた彼女の肖像画も現存しています。卒業後しばらくは同校で教鞭も取りましたが、現在は独立して活動を続けています。
光と影のコントラストや、優雅なタッチで描かれた花の作品などが特徴的で、また、師匠であるJ・トレンツ・リャド同様に肖像画家としても目覚ましい作品を残しています。
1994年以降はスペインや日本をはじめとする世界各地で展覧会を開催しており、J・トレンツ・リャドの後継者として光を浴び始めています。