鄭道昭(てい どうしょう)は、中国南北朝時代に活躍した北魏を代表する書家・詩人です。名門の出身で、光州の刺史などの要職を歴任しました。
鄭道昭が現在の中国山東省の岩山に残した摩崖刻石は「鄭道昭刻石」などと総称されています。同時代に見る北魏の六朝楷書独特の角ばって固い筆づかいの「方筆」ではなく、南朝寄りの角が丸く柔らかい印象の「円筆」の書が特徴とされ、鋭い角を持つ一般的な北魏楷書とは異なり、ゆったりとした風格と気品を兼ね備えています。
清代の包世臣や康有為らによって再評価され、明治以降の日本の書道界にも大きな影響を与えました。
浅利 法生は、日本におけるハンドメイドパイプ制作の草創期を支えたパイプ職人の一人です。1948年に生まれ、油絵画家として活動する傍ら、趣味でパイプを喫していた浅利 法生は、1974年にハンドメイドパイプの本場であるデンマークへ渡り、北欧パイプ作家の巨匠であるシクステン・イヴァルソンの弟子イエス・コノウィッチ(Jess Chonowitsch)のもとで研鑽を重ねました。
「ASARI TOKYO HAND MADE」の刻印で流通した作品が確認されており、日本製クラフトパイプ黎明期の作家として愛好家の間で高く評価されています。特にブライヤー材を用いた一点制作を得意とし、実用性と造形性を兼ね備えた作風が特徴です。
国内では戦後から喫煙文化の広がりとともに海外製パイプが普及しましたが、浅利法生は日本人職人による本格的なハンドメイドパイプ制作に取り組んだ先駆的存在の一人とされています。現在でも中古市場やオークションでは高い人気がございます。
高岡銅器は、約400年前より主に富山県高岡市で生産されている金工品です。
江戸時代初期、二代目加賀藩主・前田利長公が高岡城を築いた際、城下繁栄の新たな産業政策として、7人の鋳物師や刀装彫金師を招いたことが始まりとされています。
鋳物師たちを中心に鋳造工場を富山県高岡市に作り、当初は鍋や釜等の日用品や農作業用の鍬や鋤などの実用的な鉄鋳物を製作していました。
江戸時代中期になると、生活や文化の水準が向上し、仏具や梵鐘、灯篭、大仏のような大型のものなど「唐金鋳物」が盛んに作られるようになります。特に仏具は、一般家庭にも仏壇が普及したことにより需要が高まり、高岡の鋳物産業は大きく発展しました。
「唐金鋳物」とは、主に銅に錫を加えた青銅を基本とする合金鋳物で、用途に応じて鉛などを加える場合もあります。銅合金は鉄に比べて流動性が高く、複雑で繊細な造形が可能であるとともに加工性にも優れ、美術工芸品に適した素材です。
こうした特性を生かし、美術品や仏具、花器、茶道具など、美術性の高い製品が数多く作られるようになりました。
さらに、品種の増加により、着色や象嵌、彫金といった加飾技術も発展し、装飾性豊かな工芸へと展開していきます。
刀装具に用いられていた彫金や象嵌といった精密な装飾技法が取り入れられたことで、高岡銅器は生活用品を超え、美術品としても高く評価されるようになりました。
明治時代には、パリやウィーンで開かれた万国博覧会にも出品され、高い評価を受けました。これにより世界でも知られるようになり、輸出工芸品として美術銅器は確固たる地位を確立しました。
製造工程は、原型作りから始まり、鋳型の作成、溶解した金属の鋳込み、冷却・型外しを経て、研磨や彫金、着色といった仕上げ加工が施され完成します。
それぞれの工程は専門の製作所や職人による分業制で行われており、一つの地域でその工程が完結する点は、他産地にはあまり見られない高岡銅器の大きな特徴です。
「高岡銅器」という名称ではありますが、真鍮や青銅などの銅合金以外に加え、アルミ合金・錫・鉄・金・銀など様々な金属も用途に応じて用いられています。
1975年には、国の伝統工芸品指定を受けました。
力強さと繊細さ、そしてしなやかさを併せ持つ造形は高岡銅器の大きな魅力であり、時間の経過とともに生まれる風合いの変化も楽しむことができます。
幹山伝七は、尾張瀬戸出身ながら京都で活躍した陶工で、加藤孝兵衛の第三子として生まれました。
幼名は繁次郎、のちに孝兵衛を襲名し、製陶においては「伝七」の名を用いました。
1863年(文久3年)には「幹山」または「松雲亭」と号し、加藤幹山として知られるようになりますが、1872年(明治5年)にはこれらを廃し、「幹山伝七」を正式な姓名としました。
はじめは彦根藩の御用窯である湖東焼に招かれて従事し、同窯の廃窯まで勤務。その後、1862年(文久2年)9月に京都・東山霊山へ移り、磁器製造を開始しました。京都において磁器を専業とした先駆者とされています。
作品には「幹山精製」「大日本幹山」などの銘を用い、特に「大日本」の表記は海外輸出を意識したものでした。また、明治天皇の御用品には特別に「幹山」や「幹山欽製」といった銘を高台内の縁に小さく記すことが許されていました。
但野 英芳(ただの ひでよし)は、但野硝子加工所の二代目として活動する江戸切子作家です。
同じく江戸切子作家である父・但野孝一のもとに育ち、幼少期より江戸切子と親しむ環境にありましたが、当初は強い関心を示さず、建築系の専門学校で建築やデザインを学び、設計事務所に勤めました。
その後、父・孝一氏のコンクール入賞作品を見て、江戸切子の伝統美やクリエイティブさに感銘し、江戸切子作家の道を志し、1992年に孝一氏に師事しました。
エミール・ガレやルネ・ラリックといった西洋のガラス工芸作家の作品にも影響を受けながら、独自の意匠を生み出しています。
但野の作品は、直線を中心とした伝統的な文様とやわらかな曲線を組み合わせ、動植物や風景をモチーフにし、自身で考案したデザインに特徴があります。
多くのダイヤモンドホイールを使い分けることで、曲線や繊細で複雑なカットを可能としています。また、2色の色ガラスを被せ表現の幅を広げ、削る深さを変えることでグラデーションや立体感を表現しています。
従来の江戸切子の技法と、但野独自の技術でつくられる作品は、江戸切子新作展、大阪工芸展、全国工芸品コンクールなど様々な国内の作品展で入賞歴があります。
また、パリ「WAO工芸ルネッサンスプロジェクト」に選抜出品されるなど、国内外で評価を受けています。
篠崎 英明(しのざき ひであき)は、日本の伝統工芸である江戸切子の分野で活動するガラス工芸作家の一人です。
特に酒器やぐい呑、冷酒杯といった実用性と鑑賞性を兼ね備えた作品を多く手掛けています。
作風としては、江戸切子の伝統的な文様(矢来・麻の葉・菊繋ぎなど)を基礎としつつ、カットの精度やバランスに重きを置いた端正な仕上がりが特徴です。
過度な装飾に寄らず、光の反射や透明感を活かした、落ち着いた意匠が多い傾向にあります。