おかや木芸は、島根県で1952年に創業された木芸品の工房です。
「日常生活で使うもの」をテーマに、伝統技術を用いながらも現代的なデザインをしているのが特徴です。
主に希少銘木の「黒柿」を用いた作品を手掛けており、原木の仕入れや製材、木材の乾燥、製作までの全てを自社で行っています。
40年ほど前におかや木芸を継いだ五代目・岡 英司は、「漆芸デザイナーの中村富栄と出会ったことで現代的なデザインに目覚めた。様々な黒柿の銘品を見て、島根の優れた木工品を継承していくべきだと感じた。
そして復刻を手掛けるなかで学んだ、かつての名工たちの苦労や工夫、制作のポイントがデザインを考える際に活かされている。」と話しています。
また、「手しごとのすばらしさ」をコンセプトにした店内ギャラリーや、木工の世界を身近に感じられるワークショップスタジオなども運営しています。
市野雅彦(いちの まさひこ)は、兵庫県丹波篠山市出身の現代陶芸家で、丹波焼(丹波立杭焼)の伝統を受け継ぎながらも、独自の造形美やコンセプトを追求する作家です。
丹波の土「赤土部(あかどべ)」を用いた深い赤と黒のコントラストに装飾をそぎ落としたシンプルで緊張感ある造形美が特徴です。
「線紋」と表題される、削り出しの線文様によるリズム感のある作品が高い人気を持ちます。
作品単体だけでなく、展示空間や庭づくりも含めて「全体を作品」として構成する姿勢が見て取れます。
優れた造形力、素材への深い敬意、そして自然との共創を軸とした創作哲学が作品に力強く反映されており、国内外で高く評価されています。
今尾景年は、京都出身の日本画家で、花鳥画を得意としました。
初め梅川東居に浮世絵を学び、その後、鈴木百年に入門しました。
青年期は百年の影響もあり、南画風の絵柄が見られましたが、四条派の流れを受けて写生に根ざした緻密な描写と装飾性を併せ持つ作風を確立していきます。
1885年に奈良博覧会に出品した「余物百種の図」が一等金牌を受賞し、知名度を獲得することとなりました。
壮年期に画家としての成熟を迎え、久保田米僊や鈴木松年らと並び称されました。
景年は博覧会にも積極的に出品し、1900年のパリ万国博覧会で銀牌、1904年のセントルイス万国博覧会で金牌を受賞しています。
後年には帝室技芸員に任命され、公的にも高く評価されました。景年の花鳥画は国内外の美術館に収蔵され、今なお高い人気を保っています。
浜田知明は、日本の版画家・彫刻家です。1917年に熊本県で生まれ、2018年に100歳でこの世を去るまで、多くの作品を残しました。若い頃、戦争の影響を大きく受け、20代の大半を軍隊で過ごした経験から、戦争の悲惨さや残酷さをユーモアを交えながら作品を通して訴えました。
浜田知明は16歳で東京美術学校(現在の東京芸術大学)油画科に飛び級で入学しました。しかし、戦時色の強い時代であったため、画家として本格的に活動を始めたのは太平洋戦争後になります。
1950年、32歳の時に駒井哲郎や関野準一郎らと交流しながら、銅版画の制作に本格的に取り組みました。自身の戦争経験を基にした『初年兵哀歌』シリーズを描き、このシリーズは日本国内のみならず海外でも大きな反響を呼びました。その後、浜田は海外での受賞を経て、国際的に活躍するようになります。
浜田知明の作品は、戦争に関わる人々の悲しみや社会の不条理、人間心理の暗闇といった深刻なテーマを、自身の風刺を交えつつ、エッチングならではの冷たい色調で表現しています。しかし、悲しみや無念さだけでなく、ユーモラスな要素も取り入れながら、そこに人間への深い愛情が込められている点も特徴です。
浅野 陽は1923年、東京都本郷に生まれました。幼少期から芸術に興味を持ち、漆作品の勉強に励みました。その後、東京美術学校で富本憲吉や藤本能道らの作品に触れ、強く感銘を受け、自らも陶芸作家の道を志しました。1962年に入賞を果たすと、個展や展示会に作品を出品するなど、精力的に活動を展開しました。1976年には東京芸術大学の教授に就任し、後進の育成にも尽力しました。
また、浅野は絵画だけでなく食にも造詣が深く、食通としても知られています。「陶芸における美は使わないと半減される」という信念のもと、作品を制作してきたため、鉢や皿など日常的に使える食器作品が多く見られます。
日用とユニークさが融合した独特のデザインは、現在も多くの人々に愛されております。
淡島 雅吉(あわしま まさきち)は、日本のガラス工芸家・デザイナーで、「しづくガラス」と呼ばれる作品群で特に知られています。
日本美術学校(図案科)を 1933年に卒業。そこで染色工芸家・広川松五郎から指導を受けます。
卒業後は、各務クリスタル製作所の図案部に入り、デザイン・ガラス工芸の仕事に携わりました。
その後、保谷クリスタル硝子製造所などを経て、1950年に独立。自ら「淡島ガラス・デザイン研究所」を創設します。
デザイン関連にも活動し、通産省意匠奨励審議会の専門委員を務めた経験もあります。