雲色堂(うんしきどう)は日本・京都に伝わる伝統的な堂号つまり工房名で、とりわけ京都系鉄瓶の中でも名門とされる存在です。
江戸時代に京都で創設された雲色堂は、釜師の名門として知られ、初代は和田信濃大掾 藤原國次(ふじわらくにつぐ)という名高い釜師で、「天下第一釜師」と称されました。
初代以降も堂主は高い技術を受け継ぎ、茶釜や釣鐘の鋳造で寺院に名作を残すなど、工芸史にその名を刻んでいます。
京象嵌(きょうぞうがん)や銀打ち(銀覆)など、金属を組み合わせた精緻な装飾を鉄瓶に施す技法でも高く評価されており、明治期に一度途絶えてしまった京象嵌鉄瓶技術を、現代に復興させた工房としても注目されています。
山本長左氏は石川県加賀市で活躍する九谷焼の陶芸家で、「藍九谷」と呼ばれる染付け技法に優れた作品を制作されています。
型打ちによる素地に呉須で直接描く染付けは、焼成後に鮮やかな藍色に変化し、独特の風合いを生み出します。1990年には宮内庁から依頼を受け、天皇皇后両陛下の御紋入器を制作するなど、皇室や政府関連の重要な器も手掛けてこられました。工房「妙泉陶房」では、絵付けを長左氏が担当し、弟の篤氏が成形を行い、弟子とともに日常使いの器を制作。弟子は3年で独立させる方針を取り、個々の個性を尊重した分業体制を整えています。長左氏の作品は美しい染付けと使いやすさで多くの人々に愛され、食卓に豊かな時間をもたらしています。
鈴木那奈(すずき なな)は、日本の洋画家です。京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)にて学び、大学院でも洋画を専攻しました。
繊細な筆致と色彩で、女性の内面性を静かに描く詩的な世界観が特徴です。
女性をモデルに、現代を生きる女性の「しなやかな美」や「孤独」を描く視線がを大切にし、油彩で多色を混合して独自のモノトーンの色調を作り出す手法を採用しています。
また、花のモチーフも多く扱っております。
展覧会「光ゆれる」では、自然光にこだわりながら、少女の内面に揺れる繊細な感情や希望、喜びと悲しみ、光と影といったテーマを約30点の油彩作品で表現しました。
河野道一(こうの みちひと)は、山梨県甲府市を拠点とする現代の名工であり、甲州水晶貴石細工の第一人者として知られています。
1939年生まれ。昭和33年(1958年)から家業である河野水晶美術に従事し、昭和44年には職業訓練指導員としても活動を開始しました。平成3年(1991年)に伝統工芸士に認定され、平成22年(2010年)には山梨県政功労者として表彰されました。
日本伝統工芸展や伝統工芸新作展、伝統工芸七部会展などに20回以上入選し、山梨県水晶美術彫刻新作展では49回の受賞歴を持ちます。
彼の作品は、動物や人物、香炉、茶碗など多岐にわたり、原石の「なりたがっている姿」を引き出すことを重視しています。特に、瑪瑙を用いた茶碗などはその精緻さで高く評価されています。
使用する工具にはダイヤモンド工具をはじめ、木製の研磨材などを駆使し、研磨剤を塗りながら高速で回転する機械で削る技術は、五感を駆使した高度な職人技を要します。
永島福太郎(ながしま ふくたろう)は、日本の著名な歴史学者で、特に中世日本の都市史や茶道史、奈良地域の歴史研究において重要な業績を残します。
古美術・茶道具に関する多数の著作を執筆し、特に『天王寺屋会記』の編纂・刊行で知られ、茶会記・道具の記録の保存に大きく貢献しました。
収集家・目利きとしても一流とされ、当時の茶人や蒐集家との交流も活発でした。
中世都市の社会構造や茶文化研究によって日本歴史学と文化研究の基盤を築いた一人で、単なる学問的探究にとどまらず、地域文化への深い理解と普及意識に貢献し、多くの後進に影響を与え続ける歴史学者です。
野々内良樹(ののうち よしき)は日本画、特に花鳥画を得意とし、日展会員として幅広く活躍した作家です。
父は日本画家の 野々内保太郎、次男の井上稔・三男の野々内宏も画家として活躍した、日本画の伝統を受け継ぐ芸術一家です。
花鳥画や小禽(小さな鳥)を多く描いたことで知られ、柔らかで上品な筆致と写実性の高い自然観察眼が特徴です。
自然への観察を深く反映した色彩感覚と表現力が高く、日展での受賞と審査・委嘱歴、外務省買い上げなど国内で高い評価を獲得し、京都伝統の花鳥画を現代に伴う優雅で透明感あるスタイルに昇華しました。
さらに自身も審査員・指導的立場に立ち、多くの回顧展や美術館所蔵を通じて、後世にその画業を伝えています。