西出大三(にしで だいぞう) 1913年6月7日~1995年7月8日(享年82歳)は日本の截金師です。1985年に諸工芸の截金の分野で2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
石川県にて生まれ、東京美術学校で彫刻を学びます。在学中に京都の浄瑠璃寺の木造吉祥天立像の模刻を制作する際に台座に施された截金の文様が復元不可能であり金泥で代用したこを聞き、截金の研究に取り組むようになりました。
それ以後は多くの藤原・鎌倉期の仏像や仏画の截金作品を見て回りながら、制作技法や道具などを研究して、独力で復元することに成功しました。
西出大三は元々彫刻家であったため、その経験から造型技術を活かし、動物や鳥類(馬・牛・犬・雀・鶏など)を彫刻し、これらに截金を施す作品を得意としました。さらに岩絵具による彩色、砂子、野毛といった金箔の装飾技法を併用することで、より繊細で美しく華やかな作品を生み出しています。
骨董品・古美術の作家一覧
川北 良造
川北良造は、人間国宝にも認定されている石川県の木工芸家です。
1934年に石川県山中町(現加賀市)に生まれ、木工芸家だった父の技術を学んだ他、人間国宝の氷見晃堂にも師事しその技術を磨きます。挽物と呼ばれる木材をろくろで削り出す技法を得意としており、作品のほとんどは皿や椀、棗など円形のものとなっています。木の特性を熟知した川北の作る作品は、シンプルながら非常に深みのあるものに仕上がっており、その作品は国内外問わず高い人気を集めています。
その高い技量が評価され、1994年には重要無形文化財(人間国宝)「木工芸」保持者に認定され、師の氷見晃堂に続き日本を代表する木工芸家となりました。
近年は新たに象嵌を施した作品の制作も行っており、その進化は今も注目を集めています。
奥田 元宗
奥田元宗は 1912(明治45)年、広島県双三郡八幡村(現在の三次市吉舎町)に生まれます。小学校4年生の頃から、図画教師であった山田幾郎教諭の影響で絵を描き始める。1930(昭和5)年に上京し、同郷の日本画家・児玉希望の内弟子として本格的な画家生活に入ります。人物画や花鳥画を中心でしたが、戦況悪化にともない郷里に疎開します。古典資料もモデルも不足している中で故郷三次の自然を写生することに没頭します。1949(昭和24)年の日展にて《待月》が特選と白寿賞を受賞し、風景画家としての画業を歩み始めことになります。
その後、風景画を通して日本画の新たな表現を模索し続け、1975(昭和50)年における《秋嶽紅樹》にて「元宋の赤」を切り拓きます。以降、自然の風景を赤で表現することに傾倒しています。「元宋の赤」と言われる独特な赤色が特徴です。
尾形 月耕
尾形月耕は、1859年9月に江戸京橋で生まれた浮世絵師・日本画家です。
絵を描き始めたのは父の勧めによるもので、1881年頃には新聞や雑誌の挿絵を手がけるようになり、人気を博しました。当時、日本の出版業界が勃興していたこともあり、新聞挿絵画家として絶大な支持を得ました。尾形月耕は、時代の風俗を的確に捉え、人々が求めるものを作品として発表できる画家でした。
また、師につかず独学で絵を習得し、挿絵や木版画を数多く手がけるなど、時代を代表する人気画家として高い画力を誇りました。特に人物画を得意とし、江戸や明治の風俗、美人画、故事・伝説など幅広い題材を描きました。その作風は、たおやかで繊細な花や美人から、力強い英雄まで多彩であり、多くの人々を魅了しました。
平福 百穂
平福百穂は日本画家、歌人で画家平福穂庵(順蔵)の四男として、秋田県仙北市に生まれました。本名は貞蔵。幼い時から秋田市の豪商である那波家のコレクションなどで、秋田蘭画を見て育ったが、1890年から父から絵を学びはじめる。同年末に父が急死すると、翌年から父の後援者の援助を受け、本格的に絵を学び始めます。同じ年の秋に開かれた亡父の追悼画会で画才を認められます。1894年に上京し、四条派の第一人者川端玉章の内弟子となります。1897年に川端塾の先輩だった結城素明の勧めにより東京美術学校に入学します。1899年に卒業後、1900年に素明らと无声会を結成、日本美術院のロマン主義的歴史画とは対照的な自然主義的写生画を目指します。自然主義と古典を融合させ、独特な世界観を生み出す画家として評価されています。
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高田 博厚
高田博厚(たかたひろあつ)は、明治33年(1900年)8月19日、矢田郷村(現石川県七尾市岩屋町)に生まれました。晩年、七尾の知人の中に宛てた手紙の中で高田は、七尾湾の夕空に浮かぶ雲が大変美しかったと回想しているそうです。高田が2歳の時、父親が弁護士開業の為福井市に移り住みます。福井市順化尋常小学校、旧制福井中学校卒業後、18歳で上京するまでの青春時代を福井で過ごしました。中学校1年とき、東京美術学校に在学中の彫刻家・雨田光平氏の作品によって、初めて彫刻に触れ、文学、哲学、美術書に熱中していました。まもなく長年の友人(画家)に彫刻家で詩人の高村光太郎を紹介され、その交流などを通して独学で彫刻を勉強したようです。またその頃、当時白樺派に送られたロダンの彫刻(ロダン夫人)に強く打たれました。
緑和堂では、高田博厚の作品を強化買取中です。
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三代 山田 常山
三代山田常山は「常滑焼(急須)」で重要無形文化財に認定された人物です。 常滑(とこなめ)の時代は古く、日本六古窯の中でも最も古い歴史を持つとされており、その始まりは奈良、平安時代を代表する遠投の影響を受けて、十二世紀初頭 …
岩倉 寿
岩倉寿は香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身の日本画家です。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了します。京都市立芸術大学名誉教授です。京都市立美術大学 …
上村 淳之
上村松篁の子として京都に生まれる。特別科学学級での同級に、伊丹十三がいた。父同様、花鳥画を描きます。幼い頃から父松篁 の飼う小鳥達と共に過ごして来たため、鳥達が常に身近に居ることはごく自然なことでした。上村淳之は絵の道 …
歌川 国貞(三代目 歌川 豊国)
歌川国貞は浮世絵師随一とも言われる数万点の作品を残し、国芳や広重を押さえて当時一番人気を誇った浮世絵師です。 初代歌川豊国に弟子入りし、22歳の頃の作品が最古の作品として確認され、それから79歳で亡くなるまで、歌舞伎 …
辻 常陸
辻常陸とは佐賀県有田に窯を構える辻家の現当主が襲名した名で、当代は15代目に当たります。辻家の歴史は長く400年以上続く名門です。3代喜右エ門の時代に仙台藩主伊達綱宗によって皇室に献上された陶磁器が認められ皇室御用達とな …
中村 元風
中村 元風(なかむら がんぷう)1955年(昭和30年)9月2日~現在、日本の陶芸家、科学者になります。今九谷窯アーティストとして活動、「芸術とは輝きの創出である」との信条のもと、光や色から構成される「輝き」を一貫したテ …
佐々木 象堂
佐々木象堂は1960年に「蝋型鋳造」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。 1884年に新潟県に生まれた佐々木象堂(本名は文蔵)は、貧しい家庭で育った為高校に通いながら商家に奉公しておりました。画家を …
秋山 逸生
秋山逸生は1987年に「木象嵌」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された東京都出身の木竹工芸家です。木象嵌とは様々な天然の木材を用いて絵画や図柄を表現する木画技術となります。起源は古代オリエント文明にまで遡るとされ …
齋田 梅亭
齋田 梅亭(さいた ばいてい)1900年(明治33年)4月6日~1981年(昭和56年)6月1日は、日本の截金師になります。京都市下京区で西本願寺御用の截金師の家に生まれになります。京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術 …
高橋 貞次
19002年4月14日~1968年8月21日、日本の刀匠で、愛媛県出身。重要無形文化財保持者になります。1919年東京の中央党見解養成工となり、以後大正年間より古刀の作風を研究し、五ヶ伝に精通しました。1936年故郷松山 …
前田 竹房斎
前田竹房斎は、主に堺で活動した竹工芸家の名跡です。明治初めから平成まで続き、初代と二代がおられます。 初代は1872年の大阪に生まれました。十代半ばには竹工芸家・三代早川尚古斎に才覚を認められ、独学で竹工芸を学びました。 …
生野 祥雲斎
1904年(明治37年)9月10日~1974年(昭和49年)1月10日、竹工芸家で人間国宝になります。生まれは、大分県大分郡石城川村(現別府市)内成で、石城尋常高等小学校を卒業後、1923年(大正12年)19歳で佐藤竹邑 …
増田 三男
1909年(昭和42年)4月24~2009年(平成21年)9月7日、埼玉県北足立郡大門村(のちに美園村、浦和市、現さいたま市)に生まれの彫金家になります。文展などへの出品のほか、埼玉県立浦和高等学校でも美術講師として勤務 …
長野 垤志
1900年(明治33年)10月28日~1977年(昭和52年)、愛知県生まれ昭和時代の釜師になります。初めは洋画家を志したが、鋳金に転じ、山本安曇ついで香取秀真に師事しました。1927年(昭和2年)帝展に初入選し、193 …
高野 松山
1889年(明治22年)5月2日~1976年(昭和51年)3月5日、熊本県出身の日本漆芸家になります。幼少期より細工に興味を持ち、地元熊本の工業徒弟学校で漆芸を学びました。その後京都市立美術工芸学校(現在の京都市立芸術大 …
守住 貫魚
文化6年7月11日(1809年8月21日)~明治25年(1892年2月26日)、幕末から明治初期の日本画家になります。現徳島県徳島市明神町で、徳島藩の鉄砲方・庄野(または新居見)幸次郎延知の子として生まれます。1824年 …
岸 竹堂
文政9年4月22日(1826年5月28日)~明治30年(1897年)7月27日は、日本の幕末から明治時代に活躍した日本画家。岸派の4代目で、明治期の京都画壇で、森寛斎、幸野楳嶺とともに3巨頭の1人に数えられた画家になりま …
狩野 永悳
文化11年12月15日(1815年1月24日)~明治24年(1891年)1月29日幕末から明治期の狩野派の絵師になります。安土桃山時代を代表する絵師で、狩野永徳と同じ読みであるが、別人になります。江戸木挽町に生まれる。狩 …
堅山 南風
1887年~1980年、熊本県熊本市出身の日本画家で、本名は堅山熊次。横山大観に認められ、院展、日展等で活躍した作家。花鳥画、特に鯉を中心とする秀逸な魚類を描いた作品が有名。1914年の日本芸術院再興にも加わり、銅芸術院 …






