田口 寿恒(たぐち としちか)1940年4月13日~現在
東京都出身で鍛金家で人間国宝になります。高校を卒業後、父・田口恒松に師事しその道を歩み始めます。お父様の代までは展覧会に出品することはせず、それまでは主に茶道具、やかん、急須、ぐい飲み、徳利といったお酒の酒器等を制作していたそうです。「人がやりたがらないことをやろう」と考えた結果が鍛金でした。鍛金の魅力はまさにその打った跡が魅力で光の当たり方で見え方が違うので徳に飾る必要がない作品が特徴になります。田口は、良い物をつくろうと日々精進しているが、なかなか成果に表れないがどう育っていくかがとても楽しいそうです。同じものを制作しようにも毎回違うものができるので作っている本人もどうなるかわからない。そこがまた一つの魅力でもあるそうです。2006年に重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
骨董品・古美術の作家一覧
関谷 四郎
関谷 四郎(せきや しろう)1907年2月11日~1994年12月3日
日本の鍛金家で秋田出身の作家になります。5歳の時に父を亡くし幼時のころに大病にかかった影響で足が不自由になり座業を生業とするべく秋田市内の森金銀細工工店で伝統工芸の銀線細工を学びました。鍛金講習会の為来県しておりました河内宗明と出会い弟子入りしております。1938年に独立をし東京の本郷団子坂に工房を設立。1942年の第5回新文展にて初入選をし、その後同展や日展に出品致します。その後も優秀賞、教育委員会賞、特別賞等を受賞し1977年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。彫金による表面加工はせず、鍛金のみで織りなす豊かな質感や異種の細かい板金をろうで溶接する技法の創出な作品を制作しておりました。肺炎の為1994年12月3日東京都板橋区の老人医療センターで死去致しました。
米光 光正
米光 光正(よねみつ みつまさ)1888年5月1日~1980年3月29日
日本の金工家、彫金家になり熊本県出身の作家になります。江戸時代から続く肥後象嵌の伝統を伝えた人間国宝になります。叔父の吉太郎に師事し厳格な指導のもと修行をなされました。以来77年にわたり象嵌一筋で生きてこられました。肥後象嵌は主に鉄地に金銀銅をはめ込み、鉄砲や刀鍔に施されてきましたが、明治頃の廃刀令により制作中止が余儀なくなれました。その後、花瓶や置物にも象嵌が生かされるようになり、現代工芸の発展の基礎を作ったのが吉太郎でしたが光正は師に学ぶ一方で若い時期より絵画・書道・茶道・生花などの諸工芸を学んでおります。その後全国工芸展に度々入選し、40歳で独立。60歳頃より後継者の育成に熱心にとりかかりました。1965年「肥後象嵌・透」の技術保持者として人間国宝に認定されました。1980年3庄29日に脳出血の為死去致しました。
斎藤 明
斎藤 明(さいとう あきら)1920年3月17日~2013年11月16日
東京都西巣鴨に鋳金家斎藤鏡明の長男として誕生。1935年父の鏡明に技法を学んだが、38年(斎藤 明18歳の時)に父が急逝し1909年に設立した工場を引き継ぎました。工房には、佐々木象堂や2代宮田藍堂らが冬の間制作場としていたため、技術の指導を受ける機会に恵まれました。1950年高村豊周に師事し、豊周が逝去するまでその工房の主任をつとめた。その後日展や工芸展等に作品を出品し数々の賞を受賞致しました。その功績あって1993年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。2013年11月16日老衰の為死去致しました。斎藤 明は、伝統工芸で新たに吹分(ふきわけ)という技法を生み出し青銅に真鍮や銅など異なる金属を鋳型に流し込んで、色彩的な変化を付けると同時にその境界の金属の交じり合う微妙な融合の美を追求致しました。
高村 豊周
高村豊周は日本の鋳金家であり、彫刻家の高村 光雲の三男として明治23年(1890年)7月1日に東京で誕生しました。
鋳金(ちゅうきん)とは、溶解した金属を鋳型に流し込み、冷却してから取り出し、表面を研磨などで仕上げる技術のことを指します。18歳で津田信夫の門下に入り、大正4年(1915年)3月に東京美術学校鋳造科本科を卒業しました。在学中、「実在工芸美術界」などのグループを組織し、これらの活動を通じて長年にわたって工芸の近代運動に没頭しました。伝統的な技法を駆使し、業界の大御所的存在でありながら、鋳金家協会長も務めました。特に晩年の回転体による円壷の成形は、他に類を見ない卓越した技術を発揮し、まさに日本を代表する鋳金家の一人と言っても過言ではないでしょう。
また、銀座の4丁目交差点にある「和光」の名付け親でもあります。1972年、肺炎のため東京都文京区の自宅で死去しました。
亀文堂
亀文堂(きぶんどう)とは滋賀県の湖東で主に鉄瓶を製造していた鉄瓶屋です。波多野正平によって創業されました。昭和20年代まで4代に亘って引き継がれていましたが、高級な鉄瓶の需要がなくなってきたことにより、終わりをつげます。
正平は弟の秦蔵六と共に京都の龍文堂の2代目・四方安之助に師事します。蝋型鋳造を学び、のちに滋賀の東近江に移り住み、亀文堂を創設しました。最初は文房具や銅器なども作っておりましたが、幕末から昭和にかけて鉄瓶が一般家庭にも使われるようになってから、鉄瓶制作に力を入れます。そして自然をモチーフとした浮彫の鉄瓶が高い評価を受け、亀文堂の鉄瓶が広く知られるようになりました。初代の亀文堂正平の作品がやはり一番有名ではありますが、三代目亀文堂・安次郎は鉄瓶だけではなく、花器や香炉などの作品も多かったとされています。戦争などによって、鉄瓶の需要がなくなり、4代で終わてしまった亀文堂ですが、その高級な美術品としても見られる鉄瓶は今でも国内外で高い評価を受けています。
本阿弥 光悦
1558年~1637年 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)は、江戸時代初期に活躍した、書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人等多岐にわたり活躍した方になります。生まれは、刀剣の鑑定を家業にする家元の長男として誕生し刀剣も触れ …
与謝 蕪村
与謝蕪村は松尾芭蕉・小林一茶と並び江戸時代における三大俳人に選ばれている俳人です。 与謝蕪村は摂津国(現大阪府)で生まれ、20代の頃に江戸に下り俳諧を学びます。27の頃に俳諧の師が亡くなり下総国(現茨城県)に住みますが、 …
井口 由多可
物語の中の世界のような穏やかな色彩で描かれるヨーロッパの街並み風景。「旅への誘い」をテーマに描いてきた洋画家・井口由多可の作品は、その穏やかな風景描写と澄んだ空気感に心が惹きつけられ、自分もこの世界に行きたい、と強く感じ …
白山 松哉
1853年10月24日~1923年8月7日 白山 松哉(しろやま しょうさい)は、明治から大正にかけて活躍した漆芸家になります。東京出身で、若い頃より小林好山や蒲生盛和の門下になり、蒔絵や螺鈿、堆朱等を学びました。その後 …
山名 貫義
1836年~1902年 山名 貫義(やまな つらよし)は、現在の東京都千代田区麹町の出身で明治時代に活躍した日本画家になります。明治維新後、工部省、内務省、農商務省に測量技術をもって出仕し、明治10年代の際に再び画道に戻 …
山崎 光洋
1890年~1979年 山崎 光洋(やまざき こうよう)は、石川県能美郡生まれの陶芸家になります。1912年に京都へ行き早苗会に入塾し山本春挙に日本画を学びました。以後、農展、商工展、パリ万博で賞を受賞し、京都の美術工 …
龍文堂
龍文堂とは江戸末期から昭和33年頃までに8代続いた京都の鉄瓶屋になります。初代・四方龍文が京都で蝋型鋳造によって鉄瓶を造ることを創案したことが龍文堂のはじまりだと言われております。龍文堂の名声は明治から昭和の頃にかけて日 …
平田 陽光
平田陽光は1906年に初代平田郷陽の息子として誕生しました。 その後、父である初代平田郷陽に師事を受け人形造りを学んでいきます。 平田陽光の兄である二代目平田郷陽は国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されています。 兄の …
藤井 松林
1824年~1893年 藤井 松林(ふじい しょうりん)は、福山城下の長者町の武家屋敷で誕生しました。松林は、14歳の時に、御絵図師加勢になり絵画での腕を発揮する初めと言われております。この頃から、四条派の重役だった高田 …
山口 真人
山口 真人(やまぐち まこと)1978年に西山窯の6代目として愛知県瀬戸市にて生まれる。 2000年から陶芸家としての修業を開始、2004年に独立し瀬戸市に窯を開きます。2007年ごろから東海地方を中心に美術展に出品し高 …
田能村 竹田
田能村竹田は、豊後国岡藩(大分県竹田市)出身の南画家です。 1777年に生まれ、実家は岡藩主のお抱えの医者の家系でした。しかし生まれつき体の弱かった竹田は、22歳の時に藩主から医者の道に進まなくてもよいと言われ、学問の道 …
久隅 守景
久隅 守景(くすみ もりかげ 生没年不詳)は江戸時代前期の狩野派の絵師です。狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者と言われております。しかし守景の人生を記した資料や文献が少なく、謎が多き画家であります。生まれも不詳であり、狩 …
椿 椿山
1801年~1854年 椿 椿山(つばき ちんざん)は江戸時代後期の日本の文人画家になります。現東京都文京区小石川出身。旗本槍組同心の椿嘉左衛門定重が54歳のとき末子として誕生。椿山が7歳の時に父がなくなり、長じて世襲制 …
野口 幽谷
1825年~1898年 野口 幽谷(のぐち ゆうこく)は、幕末から明治期に活躍した南画家になります。東京都千代田区神田出身で、父は大工だった棟梁源四郎の次男として誕生。幼少期に患った天然痘からくる虚弱体質だった為大工を継 …
呉春
呉春(ごしゅん 1752年~1811年)は江戸時代中期の絵師です。四条派の始祖。初期の画号は松村月渓。呉春は京都の金座年寄役の家に六人兄弟の長男として生まれる。はじめは家業の金座を継ぎ平役を務めていた。金座は高給なため家 …
ポール・アイズピリ
1919年~2016年 ポール・アイズピリは、フランスの画家になります。1919年彫刻家でバスク人の血をひく父のもとに誕生し、父は息子をブール象嵌学校に入学させたが、アイズピリは画家になるのが夢でその夢を捨てきれず、19 …
森 徹山
森 徹山(もり てつざん 1775年~1841年)江戸時代後期の絵師です。徹山は大阪で森周峰の子として誕生。主に出身の大阪で森派、四条派として活躍しました。森周峰の実子でありますが、叔父の森狙仙の養子となり、森派を継いで …
ベルナール・カトラン
1919年~2004年 フランス・パリ出身の画家になります。1945年パリの国立高等美術工芸学校に入学し、モーリス・ブリアンションに師事し、ムルロー工房へ出入りする様になります。結果、1965年「ムルロー工房の版画」のカ …
長沢 芦雪
長沢 芦雪(ながさわ ろせつ 1754年~1799年)芦雪は江戸時代の絵師です。長澤蘆雪と表記されることもある。円山応挙の高弟で、師とは対照的に大胆な構図、斬新で奇抜な画風を展開した。丹波国篠山にて生まれる。後に芦雪は父 …






