山名 貫義

1836年~1902年 山名 貫義(やまな つらよし)は、現在の東京都千代田区麹町の出身で明治時代に活躍した日本画家になります。明治維新後、工部省、内務省、農商務省に測量技術をもって出仕し、明治10年代の際に再び画道に戻り、1879年古画の模写を嘱託されます。1884年の第二回内国絵画共進会で審査員として加わり、「藤房奉勅訪楠氏図」「獣虫戯図」を出品し銀賞を授与されました。同年創立した鑑画会では、狩野永悳、狩野友信と共に、古画の鑑定委員として参加しておりました。その後、皇居造営の際に杉戸絵等を多数手掛け、当時の「今日新聞」(都新聞)に異なる10の分野において当時最も優れた人物を読者投票で選ぶという「日本十傑指定」の記事では、政治家では伊藤博文、軍師で榎本武揚、学術家で中村正直、著述家で福沢諭吉らと並び、10番目に画家として山名貫義の名が挙げられ,1896年に帝室技芸員となりました。現代ではあまり知られておりませんが、当時貫義は大和絵最後の大家として高く評価された画家になります。1902年6月11日67歳で死去しました。

山崎 光洋

 1890年~1979年 山崎 光洋(やまざき こうよう)は、石川県能美郡生まれの陶芸家になります。1912年に京都へ行き早苗会に入塾し山本春挙に日本画を学びました。以後、農展、商工展、パリ万博で賞を受賞し、京都の美術工芸展にも出品し受賞をしております。戦後の51年に清水六兵衛らと無厭会を結成し、58年展覧会を開催しております。60年に京都伝統陶芸家協会を創立し、幹事に就任しております。2代目の光洋は、京都で誕生したので京都をはじめ、関西県内で買取をさせて頂きますと、高い確率でお取り扱い致します。人間国宝などの作家ではないので、高額なお見積り金額は付きませんが、弊社緑和堂では買取可能な作家の一人となります。

龍文堂

龍文堂とは江戸末期から昭和33年頃までに8代続いた京都の鉄瓶屋になります。初代・四方龍文が京都で蝋型鋳造によって鉄瓶を造ることを創案したことが龍文堂のはじまりだと言われております。龍文堂の名声は明治から昭和の頃にかけて日本中に伝わるようになりますが、その一方で蓋の裏に「龍文堂」と名前だけ掘った贋作が数多く世間に出回ることとなりました。2代目龍文堂・四方安之助の弟子には亀文堂創始の亀文堂正平や、鉄瓶の作家として名高い秦蔵六がおり、どちらも近年に至るまで高い評価を博している作家です。夏目漱石の「吾輩は猫である」の文中にも「この様な時には龍文堂の松風の音を聞いて茶を喫するが、最高の贅沢」といった一節がございます。以上のことから龍文堂が、高級な鉄瓶として評価されていたことがわかります。

平田 陽光

平田陽光は1906年に初代平田郷陽の息子として誕生しました。
その後、父である初代平田郷陽に師事を受け人形造りを学んでいきます。
平田陽光の兄である二代目平田郷陽は国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されています。
兄の二代目平田郷陽が非常に精巧な生人形と呼ばれる1点物の人形造りに力を入れる中で、兄の郷陽とは違い平田陽光は限られた予算の中で良い物を作る事に力を注ぎ、市販品での高品質な人形造りを目指し活動していきます。
市販品の限られた予算の中でも平田陽光の人形造りの腕前はとても高く素晴らしい技術を持っていました。
平田陽光の作る人形は活き活きとした表情や指先までも精巧に作られた非常に美しい仕上がりとなっています。
また、平田陽光作品の中でも市松人形の人気は非常に高く現在でも高額で取引されています。

藤井 松林

1824年~1893年 藤井 松林(ふじい しょうりん)は、福山城下の長者町の武家屋敷で誕生しました。松林は、14歳の時に、御絵図師加勢になり絵画での腕を発揮する初めと言われております。この頃から、四条派の重役だった高田杏塢と吉田東里に絵の手ほどきを受けており、本格的に絵画の修行を始めたのは1849年24歳からになります。1856年に京都へ行き、円山派の中島来章の門をたたき、その同門には森寛斎、幸野楳嶺、川端玉章等後に名を残した画友がおりました。1889年宮内庁に作品を献上おり、写実派の妙技を遺憾なく発揮し、松林を代表する作品となっております。「游鯉図」、「百福図」になります。松林の描いた画題は花鳥、山水、人物等全般にわたり、和歌も嗜む文人画家でした。

山口 真人

山口 真人(やまぐち まこと)1978年に西山窯の6代目として愛知県瀬戸市にて生まれる。
2000年から陶芸家としての修業を開始、2004年に独立し瀬戸市に窯を開きます。2007年ごろから東海地方を中心に美術展に出品し高い評価を得ます。2013年には銀座黒田陶苑にて個展を開き成功、その後は毎年銀座黒田陶苑で個展を開き新作の発表を行っている。江戸時代末から続く瀬戸の窯元の当主である山口真人は伝統を受け継ぎつつ常に新しい試みに取り組んでおり、織部、志野、瀬戸、古瀬戸、さらには銀彩など多様な作品を作り出しています。そのどれもが深みのある色合いと土の手触りが感じられます。古いものを研究することで培われる技術で常に新しいものを探求し、伝統的でありながらも、今までにないものを創造する現代陶芸家。常に進化を続け、陶芸家としての円熟期を迎えた今では現代陶芸家注目の作家となっています。

 

 

田能村 竹田

田能村竹田は、豊後国岡藩(大分県竹田市)出身の南画家です。 1777年に生まれ、実家は岡藩主のお抱えの医者の家系でした。しかし生まれつき体の弱かった竹田は、22歳の時に藩主から医者の道に進まなくてもよいと言われ、学問の道 …

久隅 守景

久隅 守景(くすみ もりかげ 生没年不詳)は江戸時代前期の狩野派の絵師です。狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者と言われております。しかし守景の人生を記した資料や文献が少なく、謎が多き画家であります。生まれも不詳であり、狩 …

椿 椿山

1801年~1854年 椿 椿山(つばき ちんざん)は江戸時代後期の日本の文人画家になります。現東京都文京区小石川出身。旗本槍組同心の椿嘉左衛門定重が54歳のとき末子として誕生。椿山が7歳の時に父がなくなり、長じて世襲制 …

野口 幽谷

1825年~1898年 野口 幽谷(のぐち ゆうこく)は、幕末から明治期に活躍した南画家になります。東京都千代田区神田出身で、父は大工だった棟梁源四郎の次男として誕生。幼少期に患った天然痘からくる虚弱体質だった為大工を継 …

呉春

呉春(ごしゅん 1752年~1811年)は江戸時代中期の絵師です。四条派の始祖。初期の画号は松村月渓。呉春は京都の金座年寄役の家に六人兄弟の長男として生まれる。はじめは家業の金座を継ぎ平役を務めていた。金座は高給なため家 …

森 徹山

森 徹山(もり てつざん 1775年~1841年)江戸時代後期の絵師です。徹山は大阪で森周峰の子として誕生。主に出身の大阪で森派、四条派として活躍しました。森周峰の実子でありますが、叔父の森狙仙の養子となり、森派を継いで …

長沢 芦雪

長沢 芦雪(ながさわ ろせつ 1754年~1799年)芦雪は江戸時代の絵師です。長澤蘆雪と表記されることもある。円山応挙の高弟で、師とは対照的に大胆な構図、斬新で奇抜な画風を展開した。丹波国篠山にて生まれる。後に芦雪は父 …

駒井 源琦

駒井 源琦(こまい げんき 1747年6月12日~1797年9月27日)江戸時代中期の絵師です。姓は駒井、本名は源、名は琦で駒井源琦と表記されることが多い。円山応挙の高弟で、長沢芦雪と共に二哲と評されていました。芦雪は、 …

李 思訓

李 思訓(り しくん 651年~718年)唐時代玄宗朝に仕えた官僚である。画に長じており、子の李昭道とともに北宗画の祖とされています。若いころから芸才に優れており、唐の第3代皇帝の高宗の時に、江都令に就任しました。しかし …

岸駒

岸駒(がんく 1749/56年~1839年)岸駒は江戸時代中期から後期の絵師です。出身、出生は諸説ありますが石川県金沢市の説が有力である。幼少期は生活が苦しく、手習いしようにも師につくことができなかった。そのため店の暖簾 …

横山 華山

横山 華山(よこやま かざん 1781年または1784年~1837年)華山は江戸時代後期の絵師です。中国風に「黄華山」と署名している例もあり。出生や出身が諸説あり定かではないが、京都出身とされています。福井藩松平家の藩医 …

熊谷 直彦

1829年1月19日~1913年3月8日 熊谷 直彦(くまがい なおひこ)は、日本画家で江戸時代末期から大正時代の京都出身の作家です。1841年に四条派の有力な画家だった岡本茂彦に入門しました。岡本の死後は独学で日本画の …

菊池 契月

1879年11月14日~1955年9月9日 菊池 契月(きくち けいげつ)は、長野県中野市出身の明治後期から昭和中期にかけて活躍した日本画家になります。少年の時から絵を描くことが好きで、13歳の時に南画家の児玉果亭に入門 …

灰外 達夫

1941年~2015年 灰外 達夫(はいそと たつお)は昭和後期~平成時代の木工芸家で、石川県出身の作家。1956年より建具製作を学び、1971年(当時30歳)に建具店を自営で営み始めます。1977年から木工芸の創作を始 …

大坂 弘道

1937年2月20日~2020年9月25日 大坂 弘道(おおさか ひろみち)は日本の木工芸家になり、鳥取県倉吉市出身の重要無形文化財(人間国宝)になります。6番目の木工芸の人間国宝になります。ほとんどの人間国宝の方々は、 …

金山 平三

1883年12月18日~1964年7月15日金山 平三(かねやま へいぞう)は、大正~昭和の時代に活躍した洋画家になります。兵庫県神戸市出身、1905年9月に東京芸術大学の西洋画科本科に入学し、当時主任教授だった黒田清輝 …