浮田 克躬

浮田 克躬(うきた かつみ)
東京都出身の画家になります。小学時代は、集団生活になじめず不登校となり、専ら好きな絵を書いていたそうです。
もともと、絵は好きでしたが1934年に第1回聖戦美術展をみて本格的に画家を志します。
浮田さんは、東京美術学校に在学中、安井曽太郎さんの教室に在籍し師事しておりました。1950年に同行を卒業の年に新制作派教会第4回展に初入選致します。その4年後、田崎廣助さんに師事。

1979年ブラジルの風景画を、自己の写実表現を用いて制作したことが称され、ブラジル政府よりコメンダドール・オフィシャル章を受章。
主に北海道やヨーロッパの風景を主題に制作活動を行っておりました。1989年心筋梗塞の為死去致しました。

伊万里焼・有田焼

皆様、こんにちは!緑和堂でございます。
今回は、伊万里焼と有田焼についてご説明させていただきます。

現代においての「伊万里焼」は佐賀県伊万里市で生産される焼き物であり、「有田焼」とは佐賀県有田町で生産される焼き物のことを指します。
そのルーツは元々1つであり、1610年代に肥前国有田で日本最初の磁器製作が開始されたことに由来します。生産は有田ですが、製品の積み出し港が伊万里であったために「伊万里焼」という名が浸透しました。

日本の磁器製作の歴史は、豊臣秀吉が朝鮮出兵で多くの朝鮮人陶工を連れて帰ってきたことがきっかけです。それまでの日本は陶器の製作が行われてはいたものの、磁器は中国からの輸入品のみでした。
有田で磁器の原料となる陶石が朝鮮人陶工により発見され、そこから磁器の製作が日本で開始されました。当初の磁器は乳白色の下地に青の染付を施した作品が主であり、日本人陶工たちは中国作品を模倣するあまり漢字が読めないのに真似た字を書いたり、焼き方が不十分で歪んでしまった作品が多く見受けられます。この頃の日本磁器創成期とも呼べる作品を「初期伊万里」と言います。

やがて技術が研究され進化し、1640年頃に青以外の色を配した色絵磁器の生産が行われ始めました。初期の色絵磁器の技法で生産された磁器を「九谷焼」と呼びます。また、将軍家や大名などへの贈答品として豪華な絵柄を売りとした「鍋島焼」や、1670年代に地肌の余白を残した絵画的要素のある絵柄の「柿右衛門様式」などが誕生し、色絵磁器の人気は高まっていきました。
一方で、素朴で粗さの残る「初期伊万里」は次第に市場から消え去ってしまいました。

色絵磁器が主流となり、中国が磁器の輸出を禁止してしまったことからオランダなどの外国が日本の磁器を輸入するようになりました。海外で日本磁器を見た王族・貴族はその美しさから絶賛し、「IMARI」という名でヨーロッパに知れ渡ることとなりました。世界的に知られるドイツの陶磁器メーカーのマイセンは、アウグスト王の命により「IMARI」を模した作品の製造を行わせたことにより誕生したと言われております。
この頃の江戸時代期に作られた磁器を「古伊万里」と言います。

明治に入り、伊万里焼と有田焼は産地の地名から呼び名が分けられました。
どちらも素晴らしい陶磁器を生産しており、歴史ある焼き物として有名です。しかし、現在では後継者不足により危機を迎えております。日本の価値ある伝統工芸品が今後も存続するよう、また、その価値を最大限に後世に伝えられるよう弊社も尽力していきます。

レスリー・セイヤー

カリフォルニア在住の女流画家です。
1947年、アメリカのアリゾナ州フェニックスにて生まれました。

レスリー・セイヤーの作品は、色鮮やかで明るい花々をモチーフに描かれています。抽象画の柔らかいフォルムが色彩豊かな花とマッチして温かい雰囲気を醸し出すのが特徴的です。

レスリー・セイヤーが絵を描き始めたのは2才の頃であり、祖母が作っていたカントリー・キルトの明るい色彩に影響されクレヨンで絵を描きだしました。その才能はすぐに開花し、高校時代から次々と賞を受賞すると、彼女が生み出す明るく華やかな世界観は世界中のファンを魅了していきました。
日本においても来日イベントが開かれるなどして、温かい印象の絵が好きな方にとっては根強い人気を誇っています。

『幸せでないと描けない』この言葉は レスリー・セイヤーが常に言い続けている言葉であり、彼女は普段の生活から幸せでいられるよう、綺麗な花壇や美しい風景に囲まれた生活をしてるそうです。きっと彼女の幸せな気持ちが、作品全体の明るく華やかな色調を生み出しているのでしょう。

金寿堂

金寿堂は、鉄瓶をはじめとした茶道具を手掛けたことで知られる工房です。
明治から昭和にかけて多く流通したとされ、国内だけでなく海外(特にアジア圏)でも人気だそうです。

鉄瓶は鋳鉄で作られた湯沸かし用の器で、茶道や日常の湯沸かしに用いられます。湯がまろやかになるとされ、南部鉄瓶や京鉄瓶など地域によって技法や意匠が異なります。

高品質な鉄を使い、職人がひとつひとつ丁寧に仕上げた金寿堂の鉄瓶は、その耐久性と見た目の美しさから広く愛されました。銅製の蓋や真鍮・銀製の摘みなどが特徴で、蓋裏には「金寿堂造」と刻印が刻まれています。

また、同工房の名人として知られる「雨宮宗」の銘があるものや、装飾性の高いものは特に評価される傾向にあり、作家の銘や付属品、錆び・水漏れ・補修跡の有無などによって価格が変動します。

藤村 庸軒

藤村庸軒は、千利休の孫にあたる千宗旦の直弟子であり、山田宗徧、鈴木普斎、久須見疎安らとともに「宗旦四天王」と呼ばれる茶匠です。表千家の流れをくむ庸軒流の開祖であり、漢詩にも精通した文化人でもあります。

庸軒は表千家久田流の初代・久田宗栄の次男として生まれ、呉服屋の藤村家の養子になったとされています。卓越した美的センスから儒学、漢学、和学に精通する広い教養を持ち、茶道だけでなく、漢詩・和歌・作庭・花道・茶具の製作に才能を発揮した人物です。庸軒には多くの師がおり、茶の湯は薮内紀智・小堀政一・金森重近・千宗旦の下で学んでいます。儒学は三宅亡洋を師としています。

庸軒の最大の功績はやはり、庸軒流の開祖となったことです。庸軒流は後にいくつかの派閥に別れはしましたが、現在においても継承され続けております。
門人には優れた茶人が多く、実の息子である藤村正員や、近藤柳可、比喜多宗積といった茶人たちが現代まで庸軒流を継いできました。

茶具の作成においても名を残しており、庸軒の作成した茶具は高い評価がされています。

伊藤 北斗

伊藤 北斗さんは、1961年生まれ、東京都中野区出身の陶芸家です。
デザイナーであった父親の影響を受け、東京藝術大学工芸科に入学しました。
様々な実習を経験する中、2年の時にロクロに触れたのがきっかけで陶芸を始めるようになりました。
3年の時に、当時東京芸術大学教授、そして人間国宝である藤本能道氏に出合い、藤本氏の多彩な色使いに惚れ、陶芸を選択するようになりました。
東京藝術大学大学院陶芸専攻修了後、藤本能道氏の内弟子となり、藤本氏が亡くなられるまで技術を磨き高めておりました。
藤本氏の死後、東京都日野市に築窯し作家活動を行っております。

伊藤さんは自身の技法として、「釉刻色絵金銀彩」という技法を確立させました。
「ボルドー釉」と命名されたワイン色に発色する銅系の釉薬を用いて、何度も焼成と塗り重ねをすることにより、深みのある複雑な発色を生み出すことに成功しました。
作品の特徴は、陶芸では珍しい金や銀、様々な色を帯びたきらびやかな色彩が放たれており、独創的で幻想的な作風に人気を博しております。

近年では、伊藤さんの作品が第66回日本伝統工芸展にて宮内庁がお買上げになるなどして、ここ数年で更に大きく評価されております。

北川 民次

北川民次は日本の洋画家であり、児童美術の教育者としても活動した人物です。 北川民次は1894年、静岡県に生まれます。 地主でもある北川家は製茶業を営んでおり、アメリカへの日本茶輸出も手掛けていました。小学校卒業と共に静岡 …

宮川 香雲

宮川香雲は真葛焼で有名な宮川香齋から分家した、京焼・清水焼の窯元で、現在3代目が活躍しています。 初代 宮川香雲は、真葛焼 2代 宮川治兵衛香齋(善翁)の三男として生まれます。治兵衛香齋の子は、長男が3代 光誉香齋、次男 …

小川 長楽

小川長楽は楽焼の作家であり、現在は三代目が活躍しています。 楽焼の元祖である楽家。その楽吉左衛門十一代・慶入のもとに、初代・長楽が弟子入りしたことからはじまります。 そこで類稀な才能を遺憾なく発揮した初代・小川長楽は独立 …

田中 鐵邦

田中鐵邦は日本の金工師、打物師。 「てつくに」または(てっぽう)とも呼ばれています。 田中鐵邦についての文献的な資料が少ないため、詳しい詳細は分かりませんが、田中鐵邦の作品は高い技術面でも注目されており、高額で取引されて …

マン・レイ

マン・レイは20世紀のアメリカ出身の画家、写真家です。 絵画や写真だけでなく、彫刻や映画製作など芸術に関して多彩な才能を持つ方でもありました。 マン・レイの作品の評価は彼の生きた時代を含めあまり高くありません。 芸術家た …

西岡 小十

西岡 小十は「古唐津の神様」と謳われた人物です。 1917年、佐賀県に生まれ、1950年頃から約20年間にわたり唐津古窯跡の発掘に師事し、古窯跡の陶片に心奪われ、いつしか、発掘した陶片のような唐津を再現したいと思うように …

一楽斎

一楽斎は日本の明治時代の金工師です。 明治時代の金工師の作品は技術面も美しさも最高峰と称され、今も尚、市場では高値で取引されております。 江戸時代末期、戦の少ない時代が永く続き、刀は武具としてではなく美術品としての価値を …

山口 長男

山口 長男(やまぐち たけお)1902年11月23日~1983年4月27日 日本の洋画家であり、抽象絵画の先駆者になります。 山口さんは、生まれは韓国ソウルになり18年間韓国で生活した後、1921年19歳の時に日本に来ま …

高瀬 好山

高瀬好山 1869年(明治2年)~1934年(昭和9年) 高瀬好山は石川県金沢市生まれの自在置物を制作した金工です。 自在置物とは日本の金属工芸の一種です。 鉄や銀、銅などを組み合わせ動物や昆虫の形に模造する工芸品で、一 …

高塚 省吾

高塚 省吾(たかつか せいご)1930年7月26日~2007年5月28日 岡山県出身で、日本の洋画家になり美人画・裸婦で絶大な人気を誇った作家さんになります。 東京芸術大学で梅原 龍三郎や林武らに師事し1953年に卒業、 …

田村 耕一

田村 耕一(たむら こういち)1918年6月21日~1987年1月3日 日本の陶芸家で、1986年に鉄絵陶器で人間国宝に認定された陶芸家になります。 栃木県佐野市の誕生し、1941年東京美術学校工芸科図案部を卒業後、大阪 …

古吉 弘

古吉 弘(ふるよし ひろし) 1959年~現在 1959年生まれの広島県広島市出身の洋画家になります。 京都芸術短期大学に在学中に「大徳寺絵画研究所」に通っておられました。 1980年に卒業され、8年後に花と女性美展にて …

田口 寿恒

田口 寿恒(たぐち としちか)1940年4月13日~現在 東京都出身で鍛金家で人間国宝になります。高校を卒業後、父・田口恒松に師事しその道を歩み始めます。お父様の代までは展覧会に出品することはせず、それまでは主に茶道具、 …

関谷 四郎

関谷 四郎(せきや しろう)1907年2月11日~1994年12月3日 日本の鍛金家で秋田出身の作家になります。5歳の時に父を亡くし幼時のころに大病にかかった影響で足が不自由になり座業を生業とするべく秋田市内の森金銀細工 …

米光 光正

米光 光正(よねみつ みつまさ)1888年5月1日~1980年3月29日 日本の金工家、彫金家になり熊本県出身の作家になります。江戸時代から続く肥後象嵌の伝統を伝えた人間国宝になります。叔父の吉太郎に師事し厳格な指導のも …

斎藤 明

斎藤 明(さいとう あきら)1920年3月17日~2013年11月16日 東京都西巣鴨に鋳金家斎藤鏡明の長男として誕生。1935年父の鏡明に技法を学んだが、38年(斎藤 明18歳の時)に父が急逝し1909年に設立した工場 …