浜野 直随

浜野 直随は江戸時代中期から後期の装剣金工家です。

1745年に生まれ、本姓は遠山といいます。
当初では中村直矩(なおのり)の下で学んでおりましたが、後に親戚関係でもあった浜野派の初代浜野矩随(のりゆき)の下で弟子として学んできました。
浜野派とは、浜野政随(まさゆき)を祖としており、矩随や直随などの弟子を育成してきた町彫りを代表していた流派です。この頃浜野派・奈良派・横谷派の江戸での装剣金工三派として一躍有名となりました。

町彫りは室町時代から江戸時代にかけて将軍家に仕えていた後藤家以外の金工が製作する小道具のことです。絵画のような彫刻製作を行ったことから町彫りの始まりとされています。

20歳の時独立をして江戸・浅草に開業を致しました。
作品としては赤銅や四分一を用いて高彫り色絵(裏面から輪郭を打ち出し、表面には図柄を加工する金工作品の基本となる技法)にて人物を彫りいれた鐔や小柄がを製作しており、得意としてきました。
浜野派を代表するほどの優工ともされてきました。のちに甲府や越後(新潟県)などにも訪れ、晩年では信濃(長野県)に住まれました。多くの作品を作られてきましたが、1819年に逝去されました。

山田 昭雲

昭和20年代の初めごろ、農業をしながら木彫に励んでいた初代山田昭雲。

そこへ訪ねてきた棟方志功に版画を勧められた際、彫刻刀で彫り進める棟方とは違いノミを金槌で叩きながら刻む様子に「叩き彫り」という表現をされた事で「叩き彫 山田昭雲」が生まれました。

とにかく地道に、細い線も小さな文字も、ひたすらノミでコツコツと叩いて彫るという方法が棟方にとっては新鮮だったのかもしれません。

二代目山田昭雲は、仏師初代の長男として1925年(大正14年10月10日)岡山県勝田郡に生まれ、旧制津山中学松戸高等航空機乗員養成所を卒業後、終戦を機に日本原の開拓地へ入植し、叩き彫を始めます。

1967年に第一回叩き彫昭雲展を京都で開き、 以後全国各地で200回余の「叩き彫昭雲展」を開きました。

昭和33年に離農して故郷へ帰り彫刻に専念し、昭和55年には日本原の元開拓地の一隅に工房を建てました。

二代目は叩き彫とはどんな掘り方かとよく尋ねられたそうです。その際は「コツコツとリズミカルに彫るのです」「師の門をたたくという気持ちなのです」また、「世の人々に問うという仕事なのです」と答えていたそうですが、これらは全て、初代の教えだったそうです。

現在は叩き彫三代目、尚公により祖父の作風を今に伝え続けられています。

 

井上 稔

井上稔は1936年4月16日、京都市に生まれた日本画家です。

中村大三郎の弟子となり、日本画を学んで徐々に頭角を現していきます。
井上稔の影響かどうかは分かりませんが、兄である野々内良樹(1930~2009)ものちに日本画家となり、弟の野々内宏(1938~)も日本画家になります。
三兄弟が皆日本画家という家族も珍しいのではないでしょうか。

1954年4月、京都学芸大学(現京都教育大学)特修美術科日本画に入学、1957年の第13回日展に『校倉』初入選。1959年3月に卒業後、4月に同専攻科(現京都教育大学大学院)に進み全関西美術展に『風景』出品、佳作賞受賞。

兄良樹、加藤美代三、下保昭、福本達雄、三谷青子らとともに朴土社を結成しています。

その後日展や京展での多数入選、受賞などを経て、2011年1月6日~3月6日には奈良県立万葉文化館で「井上稔展-奈良に魅せられて-」を開催、作品56点を展示。3月6日、奈良県立万葉文化館にて美術講演会の講師をつとめています。

REUGE リュージュ

リュージュはスイスで生まれたオルゴールメーカーです。
創業者はシャルル・リュージュ。
彼が1865年にスイスのサンクロワに移住したところから始まります。

初めはオルゴールのついた懐中時計を作ります。
産業革命の波はかなり以前に押し寄せ、世の中は工業化・機械化が当然のことになっていた時代です。
そんな中で、全てを機械任せにせず、こだわりを持った手作業で、一つ一つ丁寧に作り、多くの人々にその技術力を認められるようになります。
こだわりの手作業と伝統の作り方は現在まで続き、世界最高峰のオルゴールメーカーと呼ばれるに至りました。

そのこだわりは製作期間にも表れます。
一つを作り上げるのに最低でも3か月を要し、長いものでは1年に及ぶものもあります。
決して妥協を許さないその姿勢から作り出されたオルゴールの音色はとても繊細かつ美しいものです。

特にリュージュはオルゴールの中でもシリンダーオルゴールを作っています。
オルゴールにはシリンダーオルゴールとディスクオルゴールの2種類があり、シリンダーオルゴールはより繊細な音を出すことができます。
シリンダーがゆっくりと回転し、シリンダーに植えられた小さな突起が、弁(櫛歯)を弾くことで音が鳴るわけですが、その弁を増やし、突起を増やせば、より複雑な曲を奏でることができます。
その分、要求される技術力は高度になり、リュージュがその弁の数を144本用いていることで、リュージュの技術力の高さが分かります。

手巻きのため、巻き直せば何度も聞けることから、親から子へ、子から孫へとその音色を伝えることもできます。

時代とともに家族を見つめるリュージュのオルゴール。
今日もどこかで誰かのために奏でられていることでしょう。

浦口 雅行

伝統的な青磁のみならず、作品にて新な技術や表現をされている陶芸家の浦口雅行さんです。ダイナミックに独特な作品によって多くの人を魅了してきました。
浦口雅行さんの作品には「浦」の文字が刻まれており、箱にも「浦」の文字の烙印が押され筆にてサイン及びタイトルが書かれております。

浦口雅行さんは1964年東京都杉並区に生まれました。
1987年東京藝術大学美術学部にて陶芸講座を卒業し、1989年には同大学院三浦小平二研究室を修了致しました。1990年に日展にて国際陶芸展優良入賞をし、1991年には栃木県芳賀町に自身の工房を築窯しましたが、2001年茨城県石岡市に工房移転をしました。
2002年には茨城県芸術祭展覧会にて特賞を受賞し、2004年アメリカのニューオリンズ美術館に買上されるなど日本のみならず世界からも多くの評価をされてきました。
2006年に東京美術倶楽部2006東美アートフェアにて「青磁 浦口雅行展」を開催し、同年に茨城県陶芸美術館で「現代陶芸の粋」展に出品しました。2007年には「青磁 浦口雅行展2007」の開催や、2018年ドイツ エトリンゲン城美術館で行われたドイツ陶芸展に出品など現在も多くのご活躍をされています。

 

渡辺 武夫

渡辺武夫は出生地が東京都墨田区、出身地が埼玉県浦和市の洋画家です。

幼少期に東京都墨田区から埼玉県浦和市に移り住み、現代での高校2年生の時には画家になる決意を固めて、東京美術学校に入学をします。在学中である1938年に光風会展に出品した作品にて受賞をしました。
25歳の時、光風会賞と新文展で特選を受賞し、若くして素晴らしい作品を世にだし、このころは人物画を描いてきました。

1955年にヨーロッパ旅行に行き、現地の風景と触れ合う事で景観の美しさを感じ、風景画への路線変更をしました。帰国後には、「渡辺武夫滞欧作品展」での留学で培った成果発表をしました。
1973年に作品「カーニュの好日」にて内閣総理大臣賞を受賞し、1985年には「シャンパァニュの丘」にて日本芸術院賞を受賞いたしました。その他にもとても多くの賞を受賞し、評価されてきました。

また、美術教育にも従事していました。1947年から1951年までは東京美術学校師範科講師として、1951年からは埼玉大学教育学部美術学科講師、1966年から1973年まででは女子美術大学洋画科講師を務めていました。多くの活躍をされてきましたが、2003年に死去致しました。

 

遠藤 昭吾

遠藤昭吾は、東京都生まれの洋画家で、川端画学校、阿佐ヶ谷洋画研究所で油彩画の基本を学びました。川端画学校は1909年(明治42年)に東京都小石川下富坂町に日本画家の川端玉章が創立した私立美術学校です。太平洋戦争の最中に廃 …

ミューラー兄弟

ミューラー兄弟とは、フランス・モーゼル地方出身のガラス工芸の一家であり、ランプなどのガラス作品を製作するメーカーでもあります。 9人の息子と1人の娘の10人兄弟を総称して「ミューラー兄弟」と呼ばれています。 普仏戦争の時 …

四代 山田常山

山田常山は初代山田常山から、四代山田常山まで続いている陶芸家です。朱泥、緑泥などの中国急須や常滑焼を中心に作品が多く作られています。四代山田常山は、1954年に愛知県常滑市にて生まれました。 1980年に美濃陶芸展で長三 …

松久 宗琳

松久 宗琳さんは京都生まれの正統派京仏師です。 1926年に仏師 松久 朋琳の長男として京都市に生まれました。幼少期は画家を志し絵画の勉強に励んでおりましたが、病を得て父の元に帰り、仏像彫刻の道を歩み始めます。 1962 …

野呂介石

野呂介石は江戸時代後期に活躍した日本の文人画家です。 主に花鳥水墨画を得意とし、詩文にも定評がありました。 紀州藩に仕えており、祇園南海や桑山玉洲と共に紀州三大南画家と呼ばれています。また当時は長町竹石、僧愛石らと共に「 …

山下 浦斎

山下甫斎は、1944年、石川県生まれの塗師です。 父の山下清峰より漆芸技法を学び、1978年に2代目山下甫斎を襲名しました。 山下甫斎の作る作品は、造形的な魅力だけでなく、侘びを感じさせるような美しい仕上がりに多くの茶人 …

柴崎 重行

柴崎重行は北海道八雲町にて、埼玉県からの移住二世として誕生しました。 現代では北海道の名産となった木彫りの熊ですが、柴崎重行はその先駆け的存在となった巨匠です。 今から約100年前、旧尾張藩からの移住が多かった八雲町はと …

金谷五郎三郎

金谷五郎三郎さんは、京都を代表する錺鋳物師で、代々同名を世襲しております。 茶道具や花器の製作において知られ、近年では装身具や建築装飾等の分野も手がけるなど、伝統の技に新たな活用を見出しています。 作品の特徴は、銀や銅、 …

村田 省蔵

村田 省蔵は、1929年石川県金沢市の生糸問屋の5男として生まれました。1944年に滋賀航空隊に入隊するが、1945年に終戦を向かえ中学に復学するという経歴を持っています。 復学後に第1回現代美術展にて宮本三郎の作品に惹 …

浮田 克躬

浮田 克躬(うきた かつみ) 東京都出身の画家になります。小学時代は、集団生活になじめず不登校となり、専ら好きな絵を書いていたそうです。 もともと、絵は好きでしたが1934年に第1回聖戦美術展をみて本格的に画家を志します …

伊万里焼・有田焼

皆様、こんにちは!緑和堂でございます。 今回は、伊万里焼と有田焼についてご説明させていただきます。 現代においての「伊万里焼」は佐賀県伊万里市で生産される焼き物であり、「有田焼」とは佐賀県有田町で生産される焼き物のことを …

レスリー・セイヤー

カリフォルニア在住の女流画家です。 1947年、アメリカのアリゾナ州フェニックスにて生まれました。 レスリー・セイヤーの作品は、色鮮やかで明るい花々をモチーフに描かれています。抽象画の柔らかいフォルムが色彩豊かな花とマッ …

金寿堂

金寿堂は、鉄瓶をはじめとした茶道具を手掛けたことで知られる工房です。 明治から昭和にかけて多く流通したとされ、国内だけでなく海外(特にアジア圏)でも人気だそうです。 鉄瓶は鋳鉄で作られた湯沸かし用の器で、茶道や日常の湯沸 …

藤村 庸軒

藤村庸軒は、千利休の孫にあたる千宗旦の直弟子であり、山田宗徧、鈴木普斎、久須見疎安らとともに「宗旦四天王」と呼ばれる茶匠です。表千家の流れをくむ庸軒流の開祖であり、漢詩にも精通した文化人でもあります。 庸軒は表千家久田流 …

伊藤 北斗

伊藤 北斗さんは、1961年生まれ、東京都中野区出身の陶芸家です。 デザイナーであった父親の影響を受け、東京藝術大学工芸科に入学しました。 様々な実習を経験する中、2年の時にロクロに触れたのがきっかけで陶芸を始めるように …

北川 民次

北川民次は日本の洋画家であり、児童美術の教育者としても活動した人物です。 北川民次は1894年、静岡県に生まれます。 地主でもある北川家は製茶業を営んでおり、アメリカへの日本茶輸出も手掛けていました。小学校卒業と共に静岡 …

宮川 香雲

宮川香雲は真葛焼で有名な宮川香齋から分家した、京焼・清水焼の窯元で、現在3代目が活躍しています。 初代 宮川香雲は、真葛焼 2代 宮川治兵衛香齋(善翁)の三男として生まれます。治兵衛香齋の子は、長男が3代 光誉香齋、次男 …