長谷川 一望斎

長谷川一望斎は尾張徳川家の御用鍔師の家系です。

鍔とは、刀装具の一種で、刀身と柄(つか)の間に装着されている金具の事です。 刀の重心を調節する役割もあります。江戸時代末期、戦の少ない時代が永く続き、刀は武具としてではなく美術品としての価値を持つようになります。
高度な彫金技術、象嵌技術が求められ、日本国内の金工技術は江戸時代末期から、広く西洋に門戸を開くことになった文明開化後の明治時代にかけて、最高潮を迎えました。
こうした時代背景もあり、明治時代初期の美術工芸品は金工に限らず、漆芸や彫刻とあらゆる面で高く評価されております。

長谷川一望斎は現在で三代目となりますが、一望齋『春洸』を襲名した後は茶道具を制作する一方で、竹次郎としても金工制作を続け、数多くの金工作品を発表しています。

耳野 卯三郎

耳野卯三郎は大正から昭和時代にかけて活躍した洋画家です。

耳野卯三郎は1891年に大阪で生まれます。
画家を目指し1907年に葵橋洋画研究所に入り絵画の技術を学び、その後東京美術学校(現材の東京芸術大学)に入学します。
初入選は1914年の第8回文展で『朝のカフェ』を出品し入選しました。
1916年に東京美術学校を卒業し文展、帝展、日展に出品を続け、1934年に帝展へ出品した『庭にて』が帝展特選の入選を果たしました。

文展、帝展、日展と数多くの場所で活動を続けていた耳野卯三郎ですが、油彩画だけでなく、童画や児童雑誌の挿絵を手掛けたことでも有名です。芸術を通して数多くの場面で活躍したことで耳野卯三郎は各方面から高い支持を集め、現在でもマニアの間では高い支持を集めております。

モイズ・キスリング

モイズ・キスリング(1891年~1953年)
ポーランド出身の画家になり、地元の美術学校で印象派の影響を受けユゼフ・パンキエヴィッチに師事します。19歳の時、パリを出てモンマルトで画家として本格的に絵を制作し始めます。
モイズ・キスリングさんは、第一次世界大戦と第二次世界大戦を自ら志願して従軍する。ユダヤ人だったことで、第二次世界大戦の際にナチスのユダヤ人弾圧を逃れるためアメリカに亡命し、その際ニューヨークとワシントンD.C.で展覧会を開きました。

モイズ・キスリングさんは、陽気で面倒見の良いリーダーだったそうで、モンパルナスの帝王と呼ばれていたそうです。社交的な一面もあり、芸術家以外にも映画俳優やモデル等幅広いジャンルの人々と交流があったそうです。

そんなモイズ・キスリングさんが得意していたのが、風景画、静物画、肖像画が得意としていたそうです。
モイズ・キスリングさんが制作した絵は、世界中で評判を受けスイスにあります、プティ・パレ美術館に世界最大のコレクションがあるそうです。

ジェームス・リジィ

ジェームス・リジィは版画作品の3Dアートで世界的に有名なアーティストです。

平面作品を立体的に見せる3Dアートの先駆者として名高く、地元であるニューヨークのような都会の日常風景である喧騒をポップに表現したことが高く評価されています。
彼の作風は明るい色味が特徴で、作品全体にアメリカが持つエネルギーを感じさせるものです。当初は都会の喧騒をテーマに描いていましたが、より独自性を出すため3Dへと作品を進化させます。
これは当時活躍していたヒロ・ヤマガタや、後に3Dアートの大家となるチャールズ・ファジーノが作品に取り入れるなど大きな反響を呼びます。
世界中にファンを獲得するにまで至ると、アトランタオリンピックの公式アーティストとなりポスターを手掛け、長野オリンピックにおいてもIOC公式アーティストになるなど、活躍の場を広げていきます。

華々しい活躍を遂げたジェームス・リジィですが、2011年に惜しまれながら世を去ります。彼の作品は現在でも多くの人々に親しまれております。

丹波守吉道

丹波守吉道は、桃山期・江戸期に活躍した刀工です。

吉道の初代は関の名工「兼道」の三男であり、兄に伊賀守金道・和泉守来金道、弟には越中守正俊がおります。

もとは美濃に住んでいましたが、のちに父・兼道と兄弟たちとともに京に移住します。やがて「三品派」という兼道を祖とする刀工の一派を形成し、江戸時代を通して京で繁栄することとなりました。ちなみに「三品」というのは、兼道の苗字から取られています。
四兄弟に近江守久道を加えた五人は「京五鍛冶」と呼ばれ、その中で丹波守吉道は独自の刃紋「簾刃」を開発したことで有名になりました。

簾刃(すだれば)は、簾を思わせるような独特な刃紋です。砂流から着想を得たといわれるように、刃先と並行する紋の流れが特徴的です。
吉道の二代目以降もこの技法を受け継ぎ得意としましたが、代を重ねるごとに誇張された傾向があり、初代吉道の作った刀身は簾刃の主張が落ち着いたものであると言われております。

糸園 和三郎

糸園和三郎は1911(明治44)年8月4日大分県中津町の呉服商の家に生まれる。小学校5年生の時に骨髄炎にかかり手術を受ける。小学校を卒業した後は、病気のために進学を断念。1927(昭和2)年上京し次兄と共に大井町に住む。父に絵を描くことを勧められ、美術学校に通い始めた。前田寛治の作品に感動し、29年には前田の主催した写実研究所に学ぶ。29年ごろから絵画展で入選ようになり多くの賞をもらったのもこの頃である。

その後の糸園は新しい画会を立ち上げたり、いろんな画会に参加したりなど美術協会に貢献している。43年に作り上げた画会は戦時中でも自由な表現活動をするための場として立ち上げられました。45年に笹塚の家が東京大空襲にあい作品のほとんどを消失している。故郷の中津市で絵画塾を開くなど地元を大事にする活動も行っている。

晩年は後進の育成などに力を入れ1957年から1981年まで日本大学芸術学部で指導を行った。その間1959年に脳動脈瘤と診断されるが、絵を描くことができなくなる可能性があることから、手術を受けず一年半の療養生活を送るなど絵に対しての熱い思いを持っている。

糸園和三郎の描く作品は、心に浮かんだ映像を長い時間をかけて醸成させ、キャンバスの上に写し換えるという描き方で、画面からは余計な対象物が排除され無駄な物が無く、描きたい対象をダイレクトに伝えてくる迫力がありますが、どこかさみし気で静けさを感じさせる。

同田貫

同田貫(どうだぬき)とは室町時代から活躍する刀工の一群です。 九州肥後国菊池の同田貫という地名に本拠地を置き、加藤清正のお抱えであったと伝えられています。 同田貫の刀には装飾をいくど施さず質素な作柄の出来の物が多いです。 …

篠原 如雪

篠原如雪(しのはら じょせつ)は福岡県生まれの漆芸作家です。 1919年福岡県に生まれ漆工芸が盛んな香川県の高松市で育った影響もありいつしか木彫漆芸家を志します。 木彫漆作家で有名な鎌田 稼堂(かまだ かどう)に入門し、 …

舟木 誠一郎

舟木誠一郎は東京生まれの画家で、女性の美しさをモチーフにした人物画に長けた作家です。最近美術業界では話題に上がり評価が高くなっている、リアリズム、写実性を重視した、写実絵画の分類の作品を描く作家です。 基本的に描く作品は …

林 喜市郎

林 喜市郎(はやし きいちろう)は50歳を過ぎてから画家デビューという異色の経歴を持った洋画家です。 林喜市郎は1919年、千葉県野田市に生まれます。 1946年にシベリア抑留(よくりゅう)を経験し、敗戦後、日本に戻り画 …

ダニエル・ボネック

ダニエル・ボネックは1955年にフランスで生まれ現在も活動なさっておられる画家です。兄のアラン・ボネックも画家であり、二人は画風が一致からボネック兄弟の名前で個展を開くなど兄弟で精力的に活動しています。 絵の特徴として色 …

須賀 月真

須賀 月真(げっしん)は1919年に生まれます。 故須賀松園(国指定無形文化財保持者)に師事し蝋型鋳造の業に従事しました。 数多くの個展を開き、入選しており、1990年には、蝋型鋳造部門で、高岡市伝統工芸産業技術保持者に …

小林 東吾

小林東五は「李朝陶器の第一人者」として有名な陶芸家です。 小林東五は1935年、京都にて小林全鼑(こばやしぜんてい)の長男として生まれました。 父である小林全鼑は雲道人と名乗り、異色作家であり、僧でもありました。 小林東 …

藩 天寿

潘天寿は中国・浙江省寧波市に生まれた画家・美術教育家です。幼少期から書道、絵画、切手彫刻などに興味を持ちます。特に書道と絵画に熱中し生涯をささげる決意をしたほどでした。 学政時代は成績も優秀で、卒業後は教師として小学生を …

木村玉舟

木村玉舟は岡山県出身の陶芸家です。幻の備前焼と呼ばれる白備前を長きに渡り研究されております。毎年干支の置物の制作に取り組まれており、中でも鉄分の少ない土を焼しめることにより作り出される白備前の作品は多くの方から支持されて …

西村 計雄

西村計雄さんは1909年の北海道出身の画家です。 幼少の頃から画家になることを志し、1929年に東京藝術大学に入学をしました。同期として岡本太郎さんや東山魁夷さんがいます。 この頃は家族をモチーフにした作品を手掛けており …

加藤 春岱

加藤春岱(かとう しゅんたい)は幕末、瀬戸赤津村の陶工です。 1802年瀬戸の窯屋に生まれ、名を宗四郎と言います。 早くから才能を開花させ、15歳にして父・景典(春山)の跡をつぎ、御窯屋に列しています。 御窯屋(おかまや …

長運斎綱俊

1798年(寛政10年)に生まれる。 父は加藤和泉守国秀でその三男として生まれ育ち、出羽国米沢藩主上杉家の藩工となる。兄に山形藩工の加藤綱秀がいる。 水心子正秀に師事したとされ、その後江戸に移住して修行し、さらに大阪に上 …

坂倉 新兵衛

坂倉新兵衛は山口県長門市深川にある萩焼の窯元です。萩焼は慶長(1592年~1598年)の折、毛利輝元公が朝鮮李朝の陶工、李勺光、李敬を日本に招いたことによって始まったと言われております。 半世紀後に、李勺光の子である山村 …

月形 那比古

月形 那比古は鬼志野創始者であり、「炎の陶工」と謳われた日本の陶芸家です。 1923年、新潟県糸魚川市に専業農家の5人兄弟姉妹の三男として生まれます。 父は石刻匠で母は華道家という家庭環境でしたが、5歳の時に不慮の事故で …

伊勢崎 満

伊勢崎 満は、岡山県重要無形文化財保持者であり、伊勢崎淳(人間国宝)の兄です。 1934年岡山市備前市に岡山県重要無形文化財の細工師であった、伊勢崎陽山の長男として生まれました。 岡山大教育学部特設美術科を中退後は、家業 …

河井 武一

河井 武一は河井寛次郎の甥であり、寛次郎の一番弟子です。 武一は1908年島根県安来に生まれ、1927年寛次郎の元にて陶磁器の修行を開始します。 寛次郎の窯元へ修行に来ていたバーナード・リーチと共に作陶活動をしていました …

大淵 光則

大淵 光則は富山県出身の金工作家です。非常に細かい部分まで表現された作品が多く、発表のたびに驚嘆の渦を巻き起こしてきました。 大淵光則は1932年に富山県に生まれます。1948年に金工業界の名門である早川徳太郎氏に師事し …

服部 峻昇

服部峻昇は京都を代表する漆芸家です。 1943年の京都に生まれ、高校の美術工芸漆芸科にて漆芸を学びました。 1964年には塗師の上原清に師事し、翌年には漆芸家の浦省吾に師事しています。工芸展などで数々の賞を受賞しながらヨ …