遠藤昭吾は、東京都生まれの洋画家で、川端画学校、阿佐ヶ谷洋画研究所で油彩画の基本を学びました。川端画学校は1909年(明治42年)に東京都小石川下富坂町に日本画家の川端玉章が創立した私立美術学校です。太平洋戦争の最中に廃校となるまで著名な日本画家・洋画家など多くを輩出しています。その中には小松均や映画監督として有名な黒沢明などが名を連ねています。
遠藤昭吾が描く主な作品は風景画です。昔ながらの自然の風景から、都会の中に残る貴重な自然風景を描いており、光を巧みに利用した見事な陰影が印象的で、まるでそこに本物の風景があるような錯覚を起こしてしまうような作品が多いのが特徴です。
自然風景を描き続けた遠藤昭吾は、自然の風景をモチーフとした写実的な作品を描く集団、新自然協会を設立し、作品発表の場としていました。この新自然教会の開催する超自然展に、第一回から第十回展まで毎年出品しました。
発表の場はそこだけではなく、日本洋画壇新鋭作家展への出品、銀座の画廊での個展などで作品の発表をしてきました。
1978年にはロンドンで個展を開くなど海外に向けても勢力的に活動を行いました。
自然を愛し、絵を通して豊かな自然を後世に伝えようと尽力した洋画家遠藤昭吾は、2008年にこの世を去っています。
ミューラー兄弟とは、フランス・モーゼル地方出身のガラス工芸の一家であり、ランプなどのガラス作品を製作するメーカーでもあります。
9人の息子と1人の娘の10人兄弟を総称して「ミューラー兄弟」と呼ばれています。
普仏戦争の時に兄弟は疎開し、その内の5人がエミール・ガレの工房で働き高い技術を身に着けていきました。
その為作品の多くはガレの影響を非常に強く受けています。
ミューラー兄弟の作品は花瓶やランプ、シャンデリアなどガラス作品を多く残しており、模様は幾何学、朱雀、3色の色を配合して作られた被せガラスの作品が多く、幻想的で美術品として価値の高い作品となっています。
ガラス工芸作品で有名なところは、エミール・ガレやドーム兄弟とありますが、シャンデリアやテーブルランプを多く残しているのは実はミューラー兄弟です。
中でも注目すべき点が、シェードのガラス部分を作ったのはミューラー兄弟であることです。また、土台のブロンズの部分は専門の工芸家に委託しており、ガラスのプロとブロンズのプロが共同で製作しているという点がオリジナル要素を高めていることに繋がり、当時のヨーロッパの富裕層階級を唸らせる作品を手掛けていました。
日本ではエミール・ガレやドーム兄弟がアンティークガラスで有名ですが、世界ではミューラー兄弟も劣らずの知名度と人気を博しています。
作品の素晴らしさや歴史的価値から、今後ますます見直されていくことでしょう。
山田常山は初代山田常山から、四代山田常山まで続いている陶芸家です。朱泥、緑泥などの中国急須や常滑焼を中心に作品が多く作られています。四代山田常山は、1954年に愛知県常滑市にて生まれました。
1980年に美濃陶芸展で長三賞を受賞しました。1984年に名古屋名鉄百貨店での個展を開催し、以降毎年開催しています。1986年には東京銀座和光での父子二人展を開催しました。2005年に父である三代常山が逝去し、2006年に四代目山田常山に襲名しました。襲名以前は本名である絵夢として活動されていました。
三代常山は「使いやすさを追求していくと美になる」と考えていました。四代常山も、茶器はただお茶を入れる道具ではなく美を追求した芸術品だと考え、実用性と使い勝手の良さを追求した作品作りを目指しております。偉大な師でもある父からは直接技術を教わった事はなく、すべてを目で見て覚えたそうです。良い土に他の土をブレンドして使うことで、今も変わらずに朱泥などの深い色合いの高品質な作品を、現代まで続けております。
急須の常山といわれ有名ですが、四代は茶器をはじめ、食器や花器の作品を作り、どれも大変人気があります。日本を代表する有名料亭が四代常山の作品である食器を気に入り、数多く収集しているそうです。
松久 宗琳さんは京都生まれの正統派京仏師です。
1926年に仏師 松久 朋琳の長男として京都市に生まれました。幼少期は画家を志し絵画の勉強に励んでおりましたが、病を得て父の元に帰り、仏像彫刻の道を歩み始めます。
1962年には京都仏像彫刻研究所を設立しました。こちらの施設は現在「松久宗琳佛所」と改名されており、宗琳さんの次女である松久 佳遊さんが所長として遺志を受け継いでおられます。
1964年に仏教美術展を主催し、非常に優れた作品の数々を発表されました。1973年には仏像彫刻、仏画、截金を制作する教室「宗教芸術院」を設立し、多くの方の指導に当たられました。また同年に写真や図版で分かりやすく解説した「仏像彫刻のすすめ」を父 朋琳さんと共著されました。
1992年3月にお亡くなりになりました。
京都金閣寺の「岩見観音像」「四天王像」大阪四天王寺大講堂の「阿弥陀如来像」太子奥殿の「聖徳太子像」「四天王像」は父 朋琳さんと共に宗琳さんが制作されたもので、現在でも多くの方に親しまれております。
野呂介石は江戸時代後期に活躍した日本の文人画家です。
主に花鳥水墨画を得意とし、詩文にも定評がありました。
紀州藩に仕えており、祇園南海や桑山玉洲と共に紀州三大南画家と呼ばれています。また当時は長町竹石、僧愛石らと共に「三石」とも称されていました。
その生い立ちは紀州和歌山城下の町医の元に生まれます。10歳の頃に中国の画法を独学で得ようとしましたが上手くいかず、14歳で上京。その際に長崎派の画法を習得します。
一度郷に戻っていますが21歳で再び上京。池大雅に師事し南画を学び始めます。
京都と和歌山を10年間行き来しながら毎日山水画を描くことを日課としていました。
28歳の時に師の池大雅を失う。その後桑山玉洲らと交流し名を成すようになります。
頼山陽や田能村竹田らとも交流があったとも伝えられています。
介石は画は人の為では無く、己の楽しみの為とし、胸中に真山水を貯えれば、自ずと手が応じるとして、画を求道しました。
山下甫斎は、1944年、石川県生まれの塗師です。
父の山下清峰より漆芸技法を学び、1978年に2代目山下甫斎を襲名しました。
山下甫斎の作る作品は、造形的な魅力だけでなく、侘びを感じさせるような美しい仕上がりに多くの茶人が魅了されています。
塗師として高い評価を得ていた父の山下清峰より、幼少の頃から塗師としての技術を学び実力を伸ばしていました。
そして驚くべきところは、下地や蒔絵などの技法は独学で習得しており、独自の技法でありながら新しさや古さを感じさせない伝統的な美しさを表現しており、それでいて現代風な作品作りを展開しております。
作品を手掛ける上でのこだわり、飽くなき探求心は作家というより職人と評されるほどであり、展覧会や個展には出品せずに制作活動を行っております。
そんな山下甫斎の代表作は、「雲龍蒔絵大棗」、「波車蒔絵大棗」などです。
今後、骨董業界において注目されていく人物であることは間違いないでしょう。