西岡 小十

西岡 小十は「古唐津の神様」と謳われた人物です。

1917年、佐賀県に生まれ、1950年頃から約20年間にわたり唐津古窯跡の発掘に師事し、古窯跡の陶片に心奪われ、いつしか、発掘した陶片のような唐津を再現したいと思うようになります。1960年、当時、文化財調査官であった小山 冨士夫との出会いをきっかけに、1969年、52歳で作陶を始めます。公募展には一切出品せず、個展のみで作品を発表し続け、古典技法である絵斑唐津(えまだらからつ)・梅華皮(かいらぎ)の復元に成功し、古唐津を現代によみがえらせた唐津焼の名手といえる陶芸家です。

小山冨士夫を「唯一の師」と仰ぎ、その進言により、晩年まで世間の名利私欲とは無縁の無冠であり続け、古唐津再興に生涯を注ぎました。

人間国宝である荒川豊藏や同じく人間国宝の藤原啓とも親交が深い事でも有名です。

一楽斎

一楽斎は日本の明治時代の金工師です。

明治時代の金工師の作品は技術面も美しさも最高峰と称され、今も尚、市場では高値で取引されております。

江戸時代末期、戦の少ない時代が永く続き、刀は武具としてではなく美術品としての価値を持つようになります。
高度な彫金技術、象嵌技術が求められ、日本国内の金工技術は江戸時代末期から、広く西洋に門戸を開くことになった文明開化後の明治時代にかけて、最高潮を迎えました。こうした時代背景もあり、明治時代初期の美術工芸品は金工に限らず、漆芸や彫刻とあらゆる面で高く評価されております。

山口 長男

山口 長男(やまぐち たけお)1902年11月23日~1983年4月27日
日本の洋画家であり、抽象絵画の先駆者になります。

山口さんは、生まれは韓国ソウルになり18年間韓国で生活した後、1921年19歳の時に日本に来ました。
日本では、本郷洋画研究会で岡田三郎助に師事し、20歳の時(1922年)に東京美術学校に入学されました。卒業後、渡仏してその最中パブロ・ピカソやジョルジュブラック、当時渡仏しておりました佐伯祐三に刺激を感銘を受けます。
彫刻家のオシップ・ザッキンのアトリエにも出入りし、立体的な造形も習得に努めた方になります。
1954年~1956年以降、国外の美術展に出品し、その功績が認められ1961年芸術選奨文部大臣賞を受賞致します。
1982年には、三雲祥之助の後任として3代目無ずしの美術学園学園長に就任されました。

山口 長男さんの作品は、黒系の地に黄土色もしくは赤茶色の大きな色面を描いたもので、「ハード・エッジ」の抽象画とは違い、温かみを感じさせる作品が人気の理由だと思います。

1983年4月27日に脳梗塞の為死去致しました。享年80歳でした。

高瀬 好山

高瀬好山 1869年(明治2年)~1934年(昭和9年)

高瀬好山は石川県金沢市生まれの自在置物を制作した金工です。

自在置物とは日本の金属工芸の一種です。
鉄や銀、銅などを組み合わせ動物や昆虫の形に模造する工芸品で、一つ一つのパーツを組み合わせることにより、
手足や口など自在に動かすことができる特徴があります。

高瀬好山は幼少期に日本画を学び、14歳に貿易会社に入社しそこで陶磁器の製造に携わりました。
その後、独立し自在置物の工房を作ったのは24歳の時です。貿易会社に勤めていたスキルを活かし、国内だけではなく海外向けに作品を輸出し、やがて国内外で評価が高まり皇太子殿下の御買上にも預かりました。

日本の金属工芸技術を海外に広めた高瀬好山の功績は大きく、その作品は現代でも高い人気を誇ります。
しかし、高瀬好山自身の作品は多くはないため、実際に見られるのは個人所有か限られた美術館のみになります。
その為、今後ますます貴重性が高まる作家として注目されることでしょう。

高塚 省吾

高塚 省吾(たかつか せいご)1930年7月26日~2007年5月28日
岡山県出身で、日本の洋画家になり美人画・裸婦で絶大な人気を誇った作家さんになります。

東京芸術大学で梅原 龍三郎や林武らに師事し1953年に卒業、その年恩師で日本美術会の委員長を務めておりました、硲 伊之助さんの影響から、日本アンデパンダン展第7回に出品し以後、第11回まで出品致します。
その後個展を開くが作品に恵まれず、谷 桃子バレエ団の美術担当や、1956年HNK広報室嘱託、翌年には小津 安二郎監督の映画タイトルを担当する等、多方面で活躍されました。

高塚さんは、自らの作風をみつめなすべく、禅の修行を行い1970年春陽堂版江戸川乱歩全集の表紙絵を手がけ、1978年にジャパン・エンバ美術賞入選、1979年には曹洞宗で受戒されるなど、裸婦美人画家としての名声を確立しました。

ミッシェル・ドラクロワ

言わずと知れたフランス人画家の巨匠。世界的に認知度の高い画家です。

ミッシェル・ドラクロワは1933年のフランス・パリに生まれ、幼少期は木々や花々と触れ合いながら育ちました。1950年からはエコール・デ・ボザール(高等美術学校)で学び、舞台美術などの仕事に携わりました。

1960年頃にはフランスとドイツ、二つの美術学校で教授となり過ごします。教授としての過ごす傍ら自身の製作も進め、この頃から今の作風に近い作品を作るようになります。

その後作風が認知され始め、色んな展覧会に出品し受賞歴を残します。そこからアメリカに渡り、アメリカの作品展に出品しさらなる名声を得ることになります。その後アメリカから招待をもらったことをきっかけに教職を辞め渡米、アメリカで執筆作業に力を注ぎます。その後もオリンピックとワールドカップの公認アーティストに選出されるなどし、フランスを代表する巨匠として地位を確立しました。

ドラクロワといえば、<フランスの風景>を題材にした絵画作品が有名です。劇場で観客席から舞台を見るような平面的な構図は、遠近法を多用しないことにより鑑賞者に親しみを持たせるための表現様式と言えます。このような様式は日本画の表現方法に近く、日本人に馴染み深いためバブル期から2000年代にかけて爆発的な人気がでました。当時に比べると評価が下がってきておりますが、現在でも需要が高い作家の一人です。

パリのナイーブ美術館を始めいくつかの美術館で、永久保存作品として展示されています。パリの街並みを描いた作品は世界的にコレクターがおり、数多くの方が所有されています。

田村 耕一

田村 耕一(たむら こういち)1918年6月21日~1987年1月3日 日本の陶芸家で、1986年に鉄絵陶器で人間国宝に認定された陶芸家になります。 栃木県佐野市の誕生し、1941年東京美術学校工芸科図案部を卒業後、大阪 …

古吉 弘

古吉 弘(ふるよし ひろし) 1959年~現在 1959年生まれの広島県広島市出身の洋画家になります。 京都芸術短期大学に在学中に「大徳寺絵画研究所」に通っておられました。 1980年に卒業され、8年後に花と女性美展にて …

田口 寿恒

田口 寿恒(たぐち としちか)1940年4月13日~現在 東京都出身で鍛金家で人間国宝になります。高校を卒業後、父・田口恒松に師事しその道を歩み始めます。お父様の代までは展覧会に出品することはせず、それまでは主に茶道具、 …

関谷 四郎

関谷 四郎(せきや しろう)1907年2月11日~1994年12月3日 日本の鍛金家で秋田出身の作家になります。5歳の時に父を亡くし幼時のころに大病にかかった影響で足が不自由になり座業を生業とするべく秋田市内の森金銀細工 …

米光 光正

米光 光正(よねみつ みつまさ)1888年5月1日~1980年3月29日 日本の金工家、彫金家になり熊本県出身の作家になります。江戸時代から続く肥後象嵌の伝統を伝えた人間国宝になります。叔父の吉太郎に師事し厳格な指導のも …

斎藤 明

斎藤 明(さいとう あきら)1920年3月17日~2013年11月16日 東京都西巣鴨に鋳金家斎藤鏡明の長男として誕生。1935年父の鏡明に技法を学んだが、38年(斎藤 明18歳の時)に父が急逝し1909年に設立した工場 …

高村 豊周

高村豊周は日本の鋳金家であり、彫刻家の高村 光雲の三男として明治23年(1890年)7月1日に東京で誕生しました。 鋳金(ちゅうきん)とは、溶解した金属を鋳型に流し込み、冷却してから取り出し、表面を研磨などで仕上げる技術 …

亀文堂

亀文堂(きぶんどう)とは滋賀県の湖東で主に鉄瓶を製造していた鉄瓶屋です。波多野正平によって創業されました。昭和20年代まで4代に亘って引き継がれていましたが、高級な鉄瓶の需要がなくなってきたことにより、終わりをつげます。 …

本阿弥 光悦

1558年~1637年 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ)は、江戸時代初期に活躍した、書家、陶芸家、蒔絵師、芸術家、茶人等多岐にわたり活躍した方になります。生まれは、刀剣の鑑定を家業にする家元の長男として誕生し刀剣も触れ …

与謝 蕪村

与謝蕪村は松尾芭蕉・小林一茶と並び江戸時代における三大俳人に選ばれている俳人です。 与謝蕪村は摂津国(現大阪府)で生まれ、20代の頃に江戸に下り俳諧を学びます。27の頃に俳諧の師が亡くなり下総国(現茨城県)に住みますが、 …

井口 由多可

物語の中の世界のような穏やかな色彩で描かれるヨーロッパの街並み風景。「旅への誘い」をテーマに描いてきた洋画家・井口由多可の作品は、その穏やかな風景描写と澄んだ空気感に心が惹きつけられ、自分もこの世界に行きたい、と強く感じ …

白山 松哉

1853年10月24日~1923年8月7日 白山 松哉(しろやま しょうさい)は、明治から大正にかけて活躍した漆芸家になります。東京出身で、若い頃より小林好山や蒲生盛和の門下になり、蒔絵や螺鈿、堆朱等を学びました。その後 …

山名 貫義

1836年~1902年 山名 貫義(やまな つらよし)は、現在の東京都千代田区麹町の出身で明治時代に活躍した日本画家になります。明治維新後、工部省、内務省、農商務省に測量技術をもって出仕し、明治10年代の際に再び画道に戻 …

山崎 光洋

 1890年~1979年 山崎 光洋(やまざき こうよう)は、石川県能美郡生まれの陶芸家になります。1912年に京都へ行き早苗会に入塾し山本春挙に日本画を学びました。以後、農展、商工展、パリ万博で賞を受賞し、京都の美術工 …

龍文堂

龍文堂とは江戸末期から昭和33年頃までに8代続いた京都の鉄瓶屋になります。初代・四方龍文が京都で蝋型鋳造によって鉄瓶を造ることを創案したことが龍文堂のはじまりだと言われております。龍文堂の名声は明治から昭和の頃にかけて日 …

平田 陽光

平田陽光は1906年に初代平田郷陽の息子として誕生しました。 その後、父である初代平田郷陽に師事を受け人形造りを学んでいきます。 平田陽光の兄である二代目平田郷陽は国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されています。 兄の …

藤井 松林

1824年~1893年 藤井 松林(ふじい しょうりん)は、福山城下の長者町の武家屋敷で誕生しました。松林は、14歳の時に、御絵図師加勢になり絵画での腕を発揮する初めと言われております。この頃から、四条派の重役だった高田 …

山口 真人

山口 真人(やまぐち まこと)1978年に西山窯の6代目として愛知県瀬戸市にて生まれる。 2000年から陶芸家としての修業を開始、2004年に独立し瀬戸市に窯を開きます。2007年ごろから東海地方を中心に美術展に出品し高 …

田能村 竹田

田能村竹田は、豊後国岡藩(大分県竹田市)出身の南画家です。 1777年に生まれ、実家は岡藩主のお抱えの医者の家系でした。しかし生まれつき体の弱かった竹田は、22歳の時に藩主から医者の道に進まなくてもよいと言われ、学問の道 …