宇野 亜喜良

宇野亜喜良はイラストレーターで50年以上日本のイラスト界ではトップを走り続けている人物でもあります。

「イラストレーション」「イラスト」と聞くと、「簡略化された絵」や「漫画やアニメみたいな絵」というイメージをお持ちの方も多いかと思いますが、イラストレーションの定義は「複製されるための絵」となっておりますので、絵の作風などは関係なく、本の装画やポスター、雑誌などの媒体に使われるものを「イラスト」と呼びます。

今となっては当たり前に聞く「イラスト」という言葉ですが、この言葉ができたのは戦後になってからで、宇野亜喜良、横尾忠則、和田誠らによって広められたといっても過言ではありません。

また、上記の3名や当時のイラストレーターはグラフィックデザイナーから転身していることが多く、みゆき族やヒッピーファッションが広まっていた当時の若者の支持を広く得ることになり瞬く間に広まっていきました。

宇野亜喜良の作品は、主にペンで少女や猫などを描かれていることが多く、少しノスタルジックな雰囲気を感じる作風の物が多いです。

またどの年代の作品を見ても「古さ」を感じさせない普遍的な魅力を感じさせてくれる作家です。

王 錫良

王錫良は、中国の美術工芸作家です。

1922年の景徳鎮に生まれ、若くから珠山八友の一人である王大凡に師事し、磁器と絵画を学びました。

1950年頃に在籍していた陶器科学研究院では、王大凡をはじめとする景徳鎮磁器の実力者たちと共に過ごし、目耳と腕を養いました。四十、五十代に差し掛かってからは祖国を旅し、自然に対する造詣を深め、創造に落とし込みました。

王錫良は、シンプルに表現された風景画や人物画を得意とします。中国絵画の潮流を汲み、かつその中で自然的で滑らかな構図が意識されています。高尚さを排し、自然へ帰するような作風が、中国で広く愛される彼の魅力です。

1979年には、景徳鎮で初めての「中国工芸美術大師(中国の人間国宝)」の受賞者となっています。2016年には個人作品のオークション総売上高が1億元(日本円で19億円)を超えており、名実ともに中国屈指の芸術家であるといえるでしょう。

中畑 艸人

中畑艸人は、和歌山県出身の油彩画家です。

18歳の頃から独学で絵画を始めた艸人は、早くも日本水彩画展で入選を果たし、才能の片鱗を見せていました。26歳で上京し、硲(はざま)伊之助に師事して油彩画を始めました。その後は一水会会員となり、主に風景画を描く作家として活躍しました。

しかし、たまたま足を運んだ競馬場で競走馬に魅せられ、その後の艸人の画題は大きく転換します。躍動的な競走馬を描くために馬の生態を幾度にも観察し、また訪欧を繰り返す中で外国馬の観察を行いました。そうして、馬をモチーフとした彼独自の画風が成立していきました。

艸人の描く競走馬は日本だけでなく競馬の本場であるイギリスでも評価を得ています。また、競馬界からも反響を呼び、中央競馬会馬事文化賞選考委員も務めました。

日展で特選を受賞した『発走迫る』の他、馬をモチーフとした作品以外でも多くの作品が描かれており、版画も多く制作されるなど長く親しまれる作家であります。

中村 道年

中村 道年とは初代 一休庵 中村道年が全国各地で修行し、京焼・楽焼はいうまでもなく、高麗茶碗写し、染付などさまざまな種類の陶磁器の製法を身につけ、現在の五代目まで八事窯を守り続けている名称が道年となります。
 
初代 中村新太郎は京焼に学んだ色絵陶・楽焼をはじめ、三島・伊羅保といった高麗写し、染付・赤絵ねど様々な製法を駆使して作品を制作しました。

二代目 中村正次は初代中村道年の長男。光悦の作風に魅せられ、森川如春庵の元に通って光悦茶碗を研究し、光悦風楽茶碗を制作、光悦写しの名手として八事窯の名を広めます。

三代目 中村良太郎は二代目中村道年の長男。先代の光悦風茶碗を受け継ぎながら、独自の作陶を進めます。

四代目 中村恵子は三代目中村道年の妻。夫である三代目の逝去により八事窯を継承します。表千家十四代而妙斎より「尼焼道年」を拝受し、楽焼を専らとし、茶道具一式を手がけます。

五代目(当代)中村直之は三代目の長男。中里重利に師事し、代々受け継がれてきた楽焼の基本を守りつつ、個性を織り交ぜながらも多くの人に使われる扱いやすい作品の制作を心がけています。

 

ステファン・マーティンエアー

ステファン・マーティンエアー(Stephan Martiniere)はパリ出身のSF・ファンタジーアーティストです。

同時にアートディレクターやゲームのビジュアルディレクターの顔も持つ、マルチなエンターテイメントアーティストです。長くアニメーションディレクーターを続け、『ウォーリーを探せ』のエピソード監督を務めたことなどでその名を広げています。

ディズニーとの関わりも深く、ディズニーランドやその関連施設などでビジュアルデザインに取り組んでいます。また、ディズニーによってキャラクターを使用した絵画の制作を許可された特別な作家であるディズニー公認作家にも認定されています。

本の表紙画や漫画にも携わるなど、今なお多角的に活躍するアーティストです。

カールツァイス

カールツァイス(Carl Zeiss)はドイツの光学機器メーカーです。

1846年、カール・フリードリヒ・ツァイスが顕微鏡製作の工房をイエナに人類への貢献という情熱のもと設立したのが始まりです。

当時はレンズの性能において理論的な裏付けがなかったことに疑問を抱いていたツァイスはエルンスト・アッベに協力を依頼し、光学理論を完成させることに成功しますが、材料となるガラスがなかったことからアッベは化学者オットー・ショットにガラスの開発を依頼し、色にじみを抑える「アポクロマートレンズ」の開発にも成功しました。これは現在でもカメラレンズや屈折式望遠鏡において特殊低分散レンズ(EDレンズ)や蛍石(フローライト)レンズを用いた製品には「APO」や「アポクロマート」と製品名につくものが多くあり、広く浸透しています。

 

日本では日露戦争でツァイス製の双眼鏡が使われ戦果を残したことが日本独自で光学機器を作られるようになり、現在のNikonやCanon、PENTAXなどのカメラや光学機器メーカーが生まれるきっかけとなりました。

また、アポロ11号の月面撮影にツァイス製のレンズが使われており、20世紀の科学の進歩に写真や映像の技術の発展が大きく関わっていますが、それを支えてきたのもまたツァイスであるとも言えるのです。

 

現在ではSONY製のカメラレンズで”Carl Zeiss”の文字を見ることも多く、写真や映像、またそれ以外の光学機器にどんな発展を見せてくれるのか、今後も注目です。

 

ジュモー

ジュモーは現在のアンティークドールと言われる、人形制作が盛んだった19世紀フランスを代表する工房の一つです。 当時の人形は服を着飾る為の言わばマネキンのようなもので人形自体を愛でることはほとんどありませんでした。工房の創 …

林 隆一郎

林隆一郎は1942年生まれ、岐阜県土岐市出身の陶芸家です。 1974年に第21回日本伝統工芸展入選、1975年朝日陶芸展入選、1976年東海伝統工芸展入選、1979年第6回美濃陶芸展中日奨励賞、1982年独立と活躍の場を …

野間 仁根

愛媛県生まれの洋画家で、生涯に渡り海と釣りをこよなく愛した作家として知られ、海や森をテーマにした作品を多く描きました。原色で構成されている鮮やかな作風が特徴で、豪快なタッチと、鮮烈な色彩で大胆な配色が融合する作風が印象的 …

木村 表斎

木村表斎は、江戸時代末期から明治の初めにかけて活躍した京塗師です。業を継いだ弟の弥三郎が二代目としても活躍しました。 初代は滋賀県の近江高島郡小川村に生まれ、京都へ出た後に塗師・柴田藤兵衛に師事しました。その後は下京にて …

三浦 竹泉

三浦竹泉は京焼の窯元の名前で、明治時代から続いております。 茶道具、特に煎茶道具を得意としており、京焼の中でも人気のある窯元です。最近では海外でも人気があり、中国でも高い評価がついております。 初代は1853年の京都に生 …

池田製

池田製についての文献資料が少ないため、詳細は分かりませんが、池田製の作品は金工作品の中でも高い技術が注目されており、素材価値以上の高値で取引されています。 江戸時代末期、戦の少ない時代が永く続き、刀は武具としてではなく美 …

丁子紅子

丁子紅子さんは今注目の若手現代日本画家です。 1991年に埼玉県で生まれた丁子紅子さんは、繊細できめ細かなタッチ感、透き通るような透明感で見る者を釘付けにするデザインを描く作品が特徴的です。主に女性を描いています。女子美 …

佐久間 芳丘

松古窯の歴史は古く、その歴史は江戸時代の萬古焼から始まります。 萬古焼とは伊勢桑名の豪商であった沼波弄山が朝日町小向に窯を築いたのがはじめとされており、松古窯はその流れを汲み松古窯の初代信春が江戸時代後期に窯を開いた歴史 …

福王寺 法林

福王寺法林は山形県出身の日本画家です。 1920年に生まれ、現在まで多くの絵画作品を残されております。 幼い頃に父親と猟に出掛けた際に銃が暴発し、左目の視力を失ってしまう事故に見舞われますが、それにより生来の負けず嫌いか …

エルテ

ロマン・ド・ティルトフ1892年11月23日~1990年4月21日 ロシア生まれのフランス人で美術家でありながらデザイナーもしておりました。エルテ(Erte’)に通称で知られており、デザイナーとしてはファッション、ジュエ …

井上 圭史

井上 圭史は大阪府出身の写実主義(リアリズム)を得意とする画家です。 1933年に大阪府で生まれ、1955年に京都芸術大学へ入学しますが中退し日本写真専門学校に入学し1959年に卒業します。 1974年に大阪府美術家協会 …

稲嶺 盛吉

稲嶺盛吉は、沖縄が生んだ琉球ガラスの現代の名工です。 日本内外に琉球ガラスの美しさを知らしめる沖縄を代表するガラス職人です。 琉球ガラスは「炎の芸術」とも呼ばれています。1300度近い熱で真っ赤に溶けたガラスと、鉄のパイ …

村田宏

1936年に富山県高岡市で生まれました。 その後、日展評議員の村田吉生氏に師事し原型(ペンモールド)を修業、1958年には高岡市展高岡市長賞受賞、日展に初入選(以後6回入選)、1964年には日本現代工芸展に初入選(以後数 …

サルバドール・ダリ

サルバドール・ダリはスペインが生んだ20世紀を代表する最も多才な画家です。絵画はもちろんのこと彫刻、版画、舞台装置や衣装のデザイン、映画制作と実に幅広い表現活動を行っていました。 そんなダリは6歳の頃に初めて風景画を手掛 …

南口 閑粋

南口閑粋は大阪府出身の陶芸家で、雅やかな絵付けで人気のある作家で、廃窯となっていた杣山焼を再興させた人物です。 閑粋は幼少期を大阪で過ごし、京都府立陶工高等技術専門学校を卒業後、龍谷窯の初代宮川香雲や千家十職の土風炉・焼 …

峯岸勢晃

峯岸勢晃さんは、1952年、埼玉県三郷市生まれの栃木県那須町に工房を構える陶芸家です。 音響メーカーに勤めていたが以前から興味を持っていた絵を描きたいと思い退社。その後、会社の先輩の同級生が長野県の小布施にて「奥信濃焼」 …

横山白汀

横山白汀は、明治34年井波町で生まれの木芸家。 日展という日本最大の総合美術展覧会の評議員でもあります。 井波彫刻の名家、横山作太郎の長子として生まれ若くして木芸の道に進みます。そして昭和16年第4回文展に「木目込屏風」 …