松古窯の歴史は古く、その歴史は江戸時代の萬古焼から始まります。
萬古焼とは伊勢桑名の豪商であった沼波弄山が朝日町小向に窯を築いたのがはじめとされており、松古窯はその流れを汲み松古窯の初代信春が江戸時代後期に窯を開いた歴史ある窯元の一つです。
佐久間芳丘は1911年に三重県で古焼窯元『松古窯』の三代目である佐久間芳隣の次男として生まれ、幼少期より祖父である二代目芳春から作陶の技術を学びました。
佐久間芳丘はとても研究熱心で、独自に古陶磁器や萬古焼の赤絵、盛り絵の研究を重ね、萬古伝来の赤絵作品や唐津、三島、志野、高麗、伊賀など幅広い作陶を続け、茶道具を中心に千家家元の書付道具などを多く作陶しております。
福王寺法林は山形県出身の日本画家です。
1920年に生まれ、現在まで多くの絵画作品を残されております。
幼い頃に父親と猟に出掛けた際に銃が暴発し、左目の視力を失ってしまう事故に見舞われますが、それにより生来の負けず嫌いからか、よりたくましく生きるきっかけになったと言います。
絵を描くことが好きだった法林は小学2年にして狩野派の上村廣成氏に師事し、16歳で画家を目指して上京します。
貧しい下積み時代を過ごしていた法林は21歳の頃に戦争へと駆り出されることになりますが、大金をはたいて岩絵具を買い「必ず生きて帰ってこの絵具で絵を描く」と誓って中国へ出征します。戦争中に壮絶な日々を過ごしながらも26歳で復員した法林は、献身的な愛子夫人の応援もあり、第34回日本美術院展覧会で初入選を果たします。その後も奨励賞や白寿賞を受賞するなど、画壇に名前を残すようになりました。
代表作である「ヒマラヤ」をテーマにした作品群は東京三越で行われたヒマラヤ展で展示された絵がネパールの王に気に入られたことがきっかけで始まりました。
8000m級の山々の過酷な環境に何度も訪れ、命を落としかけながらも描き続けた作品は、まさに法林の命が刻まれていると言っても良いほどの大作となっています。
ロマン・ド・ティルトフ1892年11月23日~1990年4月21日
ロシア生まれのフランス人で美術家でありながらデザイナーもしておりました。エルテ(Erte’)に通称で知られており、デザイナーとしてはファッション、ジュエリー、グラフィック、アート、衣装、舞台美術、インテリア装飾等幅広い分野で活躍しておりました。
エルテの父は、ロシア艦隊の司令官をしており家の伝統を守って欲しいと海軍将校を望んでいたがエルテは、父親の期待には応えずデザイナーとしいての道を選びました。家名を汚すことを恐れたエルテは、名前まで変え活動をしておりました。
1915年にハーパーズバザー(ニューヨークの最古のファッション雑誌)と始めて実質的な契約を獲得し、衣装のデザインや舞台美術等華々しい活動を始めました。彼の成功の一つとしてフランス人のダンサーのギャビー・デリスの衣装をデザインことです。デリケートな体の線ち洗練された魅惑的なデザインがエルテのアイディアだとすぐに見分けがつくほど、そのアイディアと美術は21世紀のファッションにもなお影響を与えている程です。
亡くなる二年前にエルテは、ワインで有名なクルボアジェの7本限定ボトルをデザインし、蒸留から熟成までの製造過程をデザインしました。2008年にエルテが八本目にかつ最後にデザインしたボトルが1万ドルの値段で販売がされました。
井上 圭史は大阪府出身の写実主義(リアリズム)を得意とする画家です。
1933年に大阪府で生まれ、1955年に京都芸術大学へ入学しますが中退し日本写真専門学校に入学し1959年に卒業します。
1974年に大阪府美術家協会創立会員となり1977年には現代洋画精鋭選抜展に出展し銅賞を受賞しました。
後に美術雑誌で有名な『一枚の繪』で紹介され一躍有名画家となります。
井上圭史の作品は備前焼の花瓶に花が添えられた静物画が人気で、細部まで丁寧な写実で描かれた作品は見るものを魅了します。
稲嶺盛吉は、沖縄が生んだ琉球ガラスの現代の名工です。
日本内外に琉球ガラスの美しさを知らしめる沖縄を代表するガラス職人です。
琉球ガラスは「炎の芸術」とも呼ばれています。1300度近い熱で真っ赤に溶けたガラスと、鉄のパイプを使い様々な色と形へと姿を変え美しい器が生まれます。琉球ガラスは比較的歴史は浅く、100年ほど前に製造が始まったとされています。沖縄に滞在した米兵が本国へ戻る際の土産品として次第に人気を博すようになり、県外・国外への販売が増えていきました。
その後、鮮やかな色彩を特徴とするガラス「琉球ガラス」が沖縄の工芸品として確立しました。沖縄だからこそ生まれた琉球ガラスは沖縄県内の高い志を持った人たちの技術を持って作られるものであり、技術者はそこに誇りを持っています。
そんな、琉球ガラスを高い技術によって工芸品にまで押し上げたのが稲嶺盛吉です。1954年に沖縄最古の琉球ガラス老舗工房である奥原硝子製造所に入社し琉球ガラスの技術を磨きました。1988年に自身の工房である「宙吹きガラス工房 虹」を設立し、自身でしか作ることのできない琉球ガラスを製作していきます。
稲嶺盛吉の作り上げる作品にはいくつかのシリーズが存在します。代表的なシリーズは、泡ガラス・備長炭・カレー泡・土紋・アイスカットの5種です。それぞれに特徴があり名前の通りにその素材が使われていたりします。稲嶺盛吉の作品は琉球ガラスの伝統をしっかりと継承しながら、新しい発想で沖縄らしさを表した作品です。先に紹介したシリーズ以外にもブラウン管を使用した黒真珠と名付けられた幻のシリーズや、備長炭で作られる珊瑚のような作品をさらに改良した紅珊瑚という作品など、沖縄や海を感じることのできる作品を多く作り上げています。独創的で力強い作品は琉球ガラスの美しさを最大限に引き出しています。
1936年に富山県高岡市で生まれました。
その後、日展評議員の村田吉生氏に師事し原型(ペンモールド)を修業、1958年には高岡市展高岡市長賞受賞、日展に初入選(以後6回入選)、1964年には日本現代工芸展に初入選(以後数回入選)します。細かな部分にわたる装飾制作を得意とされる金工作家です。