中畑艸人は、和歌山県出身の油彩画家です。
18歳の頃から独学で絵画を始めた艸人は、早くも日本水彩画展で入選を果たし、才能の片鱗を見せていました。26歳で上京し、硲(はざま)伊之助に師事して油彩画を始めました。その後は一水会会員となり、主に風景画を描く作家として活躍しました。
しかし、たまたま足を運んだ競馬場で競走馬に魅せられ、その後の艸人の画題は大きく転換します。躍動的な競走馬を描くために馬の生態を幾度にも観察し、また訪欧を繰り返す中で外国馬の観察を行いました。そうして、馬をモチーフとした彼独自の画風が成立していきました。
艸人の描く競走馬は日本だけでなく競馬の本場であるイギリスでも評価を得ています。また、競馬界からも反響を呼び、中央競馬会馬事文化賞選考委員も務めました。
日展で特選を受賞した『発走迫る』の他、馬をモチーフとした作品以外でも多くの作品が描かれており、版画も多く制作されるなど長く親しまれる作家であります。
中村 道年とは初代 一休庵 中村道年が全国各地で修行し、京焼・楽焼はいうまでもなく、高麗茶碗写し、染付などさまざまな種類の陶磁器の製法を身につけ、現在の五代目まで八事窯を守り続けている名称が道年となります。
初代 中村新太郎は京焼に学んだ色絵陶・楽焼をはじめ、三島・伊羅保といった高麗写し、染付・赤絵ねど様々な製法を駆使して作品を制作しました。
二代目 中村正次は初代中村道年の長男。光悦の作風に魅せられ、森川如春庵の元に通って光悦茶碗を研究し、光悦風楽茶碗を制作、光悦写しの名手として八事窯の名を広めます。
三代目 中村良太郎は二代目中村道年の長男。先代の光悦風茶碗を受け継ぎながら、独自の作陶を進めます。
四代目 中村恵子は三代目中村道年の妻。夫である三代目の逝去により八事窯を継承します。表千家十四代而妙斎より「尼焼道年」を拝受し、楽焼を専らとし、茶道具一式を手がけます。
五代目(当代)中村直之は三代目の長男。中里重利に師事し、代々受け継がれてきた楽焼の基本を守りつつ、個性を織り交ぜながらも多くの人に使われる扱いやすい作品の制作を心がけています。
ステファン・マーティンエアー(Stephan Martiniere)はパリ出身のSF・ファンタジーアーティストです。
同時にアートディレクターやゲームのビジュアルディレクターの顔も持つ、マルチなエンターテイメントアーティストです。長くアニメーションディレクーターを続け、『ウォーリーを探せ』のエピソード監督を務めたことなどでその名を広げています。
ディズニーとの関わりも深く、ディズニーランドやその関連施設などでビジュアルデザインに取り組んでいます。また、ディズニーによってキャラクターを使用した絵画の制作を許可された特別な作家であるディズニー公認作家にも認定されています。
本の表紙画や漫画にも携わるなど、今なお多角的に活躍するアーティストです。
カールツァイス(Carl Zeiss)はドイツの光学機器メーカーです。
1846年、カール・フリードリヒ・ツァイスが顕微鏡製作の工房をイエナに人類への貢献という情熱のもと設立したのが始まりです。
当時はレンズの性能において理論的な裏付けがなかったことに疑問を抱いていたツァイスはエルンスト・アッベに協力を依頼し、光学理論を完成させることに成功しますが、材料となるガラスがなかったことからアッベは化学者オットー・ショットにガラスの開発を依頼し、色にじみを抑える「アポクロマートレンズ」の開発にも成功しました。これは現在でもカメラレンズや屈折式望遠鏡において特殊低分散レンズ(EDレンズ)や蛍石(フローライト)レンズを用いた製品には「APO」や「アポクロマート」と製品名につくものが多くあり、広く浸透しています。
日本では日露戦争でツァイス製の双眼鏡が使われ戦果を残したことが日本独自で光学機器を作られるようになり、現在のNikonやCanon、PENTAXなどのカメラや光学機器メーカーが生まれるきっかけとなりました。
また、アポロ11号の月面撮影にツァイス製のレンズが使われており、20世紀の科学の進歩に写真や映像の技術の発展が大きく関わっていますが、それを支えてきたのもまたツァイスであるとも言えるのです。
現在ではSONY製のカメラレンズで”Carl Zeiss”の文字を見ることも多く、写真や映像、またそれ以外の光学機器にどんな発展を見せてくれるのか、今後も注目です。
ジュモーは現在のアンティークドールと言われる、人形制作が盛んだった19世紀フランスを代表する工房の一つです。
当時の人形は服を着飾る為の言わばマネキンのようなもので人形自体を愛でることはほとんどありませんでした。工房の創始者であるピエール・ジュモーも1851年のロンドン博覧会で衣装人形デザイン賞を受賞しましたが、これはあくまでも衣装に対しての評価にすぎなかったことから、人形自体の制作に力を入れ1855年にはパリ博覧会・ロンドン博覧会では衣装だけでなく人形の美しさも評価されるようになりました。
ピエールの後を継いだ息子のエミールも優れた作家で、ファッションドールの優美さを引き継ぎつつもベベドール(子どもの姿をした人形)のあどけない姿は数々の賞を受賞するなど、人形産業の発展と確固たる地位を築くことに大きく寄与しました。
ジュモーの人形は人形そのものの美しさももちろんですが、衣装の作りの良さも特徴で当時の服を着ているかどうかだけでも大きく価値が変わります。
また、ベベドールは当時の貴族や上流階級の子女向けに作られていたこともあり優美で格式が高く、ブリュ、ゴーチェなどと並んで人気の高いジュモーの作品は現在でも多くのリプロ(復刻版)の作家や工房が制作しており、あどけないその表情は世界中の多くのファンを虜にしています。
林隆一郎は1942年生まれ、岐阜県土岐市出身の陶芸家です。
1974年に第21回日本伝統工芸展入選、1975年朝日陶芸展入選、1976年東海伝統工芸展入選、1979年第6回美濃陶芸展中日奨励賞、1982年独立と活躍の場を広げながら活動しました。若い頃より60年以上陶芸と向き合い続け、織部や粉引などに代表されるような多くの名作を生み出されています。茶碗から、オブジェ、食器など経験と感性から作り上げる作品は、手に取る人を魅了します。
彼はサインに遊び心を加えており、中には音符のデザインのものもございます。それは窯の中で制作する青磁などの作品に施してある貫入がキンキンと音を奏でるように聞こえたからだそうです。