楽了入(らく りょうにゅう)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した京都の陶工で、千家十職の一つである樂家の九代当主です。
七代長入の次男として生まれ、1770年(明和7年)に病弱だった兄から家督を継ぎ九代・楽吉左衛門を襲名しました。1811年(文化8年)に家督を十代旦入に譲り隠居し、以降「了入」と号します。
楽家の歴代当主の中でも特に卓越した技量を持つ名工として知られています。巧みな箆削り(へらけずり)による大胆かつ的確な造形が大きな特徴であり、黒釉や赤釉の改良、さらには様々な釉薬の研究を行うなど、高度な技術と多様な作風を展開しました。
天明の大火の被害に遭い先祖代々の陶土などを失う苦難にも見舞われましたが、三代道入(ノンコウ)と並ぶと称される腕前、65年に渡る長い作陶期間により「楽家中興の祖」とも呼ばれています。
楽 惺入(らく せいにゅう)は、大正から昭和初期に活躍した京都の陶工で、千家十職の一つである樂家の十三代当主です。
十二代弘入の長男として生まれ、1919年(大正8年)に家督を継ぎ十三代・楽吉左衛門を襲名し、1944年(昭和19年)に亡くなりました。後の十四代覚入はこの時出征の為不在で、復員後家督を継ぐことになります。「惺入」の号は没後におくられたもので、この「惺」の文字は表千家十二代惺斎より授かったと言われています。
戦時下の多難な時代ではありましたが、そのなかでも文化芸術の研究に通じ「茶道せゝらぎ」という茶道研究誌を刊行するなど陶芸に留まらない活動を行いました。
伝統的な楽焼の技法を遵守しつつも、釉薬や鉱物の科学的な研究に取り組み、新たな色彩表現を試みるなど独自の作風を展開しました。
Aster Hobbyは、「ライブスチーム」と呼ばれる実際に蒸気を発生させて走行する蒸気機関車模型を製造する世界的メーカーです。
スイスの鉄道模型会社であるフルグレックス社からの依頼によりアスター精機が開発に着手しました。当時、1番ゲージへの参入をフルグレックス社が検討していた際に、日本の子供向けの工作科学雑誌『模型とラジオ』にて掲載されていた、イギリスのサザン鉄道で運用されていた「Schools Class」の蒸気機関車の製品化を行おうとしていました。
1975年に本作が発売されると、当時衰退気味であったライブスチーム業界から高い注目を集め、同年アスター精機から分社され、Aster Hobbyが設立されました。
それまでは特殊な技術が必要とされていた組み立てが、ドライバーとスパナだけで行えるという点は愛好者から高い評価を集めました。
少数生産ながらも確かな技術で作られた精巧なディティールのお品物は、世界各国で高く評価されています。
橋本 大輔(はしもと だいすけ)は、独自の美しい天目(てんもく)釉を追求し続ける、現代の人気作陶家の一人です。
1972年生まれ。京都府陶工高等技術専門校などで伝統的な作陶の技術を学んだ後、2代目橋本城岳に師事します。そして天目釉の妖艶な美しさに魅了され、その研究と再現、さらには現代的な進化に情熱を注いできました。
「飾るだけでなく、使ってこそ真価を発揮するうつわ」として、国内外の器好き・日本酒好きから絶大な支持を集めています。
高田好胤(たかだ こういん)はユーモアを交えた親しみやすい法話で知られる薬師寺の名物管長です。
平易な言葉で仏教の教えを語る「法話」に優れ、テレビや講演活動を通じて広く知られるようになりました。
その語り口は、専門的な仏教用語に偏らず、日常生活に結びつけて説く点に特徴があり、「わかりやすい仏教」として評価があります。企業研修や一般向け講演にも多く招かれ、宗教者としては異例の知名度を持ちました。
従来の僧侶像にとどまらず、「仏教を社会に開く」役割を担った人物として位置付けられています。特に昭和後期から平成初期にかけて、宗教の社会的発信力を高めた点が評価されています。
王 冕は、中国の元代末期を代表する著名な文人画家であり、詩人、篆刻家としても歴史に名を残す巨匠です。
美術史における王冕の最大の功績は、水墨による梅の絵画「墨梅(ぼくばい)」の表現を大きく進化させた点にあります。それまでの簡素な描き方とは異なり、四方に力強く伸びる枝と、そこに無数の花々が咲き誇る華麗で生命力あふれる画風を確立し、「墨梅の第一人者」と称されました。彼の作風は明代以降の画家に多大な影響を与えています。また、当時は金属や木が主流だった印章において、削りやすい石(花乳石)を自ら刻んだことから、「石を用いた篆刻の祖」としても知られています。
日本との関わりも深く、室町時代にはすでにその名声が伝わっており、日本の初期水墨画の発展に影響を与えました。彼の傑作である『墨梅図』は、正木美術館や皇居三の丸尚蔵館に所蔵されており、現在も骨董・中国美術市場で極めて高く評価される作家です。