『河井寛次郎 作 呉須茶碗』

『河井寛次郎 作 呉須茶碗』
『河井寛次郎 作 呉須茶碗』
作家名河井 寛次郎
作品名呉須茶碗
買取方法出張買取
ご依頼地域静岡県浜松市

買取参考価格 200,000

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皆様、こんにちは。緑和堂 名古屋支店でございます。

本日ご依頼をいただきましたお品物はこちら。
『河井寛次郎 作 呉須茶碗』でございます。

河井寛次郎といえば、陶芸作品のみならず彫刻やデザインなど様々な作品を手掛けて、活躍された方としても有名ですね。
河井寛次郎の作風は大きく三期に分けられます。
【初期】は中国古陶磁に倣ったものが多く学生時代の研究を生かし作品を作り上げました。1921年に創作陶磁展覧会という個展を東京と大阪の高島屋で開催し、「新人にして名人」と云われるほど絶賛されました。河井寛次郎は作家としての銘を入れないことでも有名ですが、この頃の初期の作品には鐘渓窯という銘が存在します。

【中期】は河井寛次郎も中心メンバーとして活動していた「用の美」を追求した「民藝運動」の時期になります。創作陶磁展覧会の後、自身の創作に迷っていた河井寛次郎は美術評論家の柳 宗悦(やなぎ むねよし)が開催した李朝の美術展に訪れ、無名の陶工が作り出す簡素で美しい作品に感銘を受けます。河井寛次郎は東京高等工業高校の後輩の濱田庄司に柳宗悦を紹介してもらい。民芸理論に深く共感した河井寛次郎は実用的な陶器制作を新たな目標としました。これが、名職人による日用の美を世に広め、新しい日用品を制作し普及しようとした「民藝運動」の始まりとなります。1926年、柳宗悦、濱田庄司とともに日本民芸美術館設立趣意書を発表しました。この頃から、河井寛次郎は作家としての銘を作品に入れなくなります。

【後期】は第二次世界大戦中という事もあり窯に火が入れられず、創作意欲を書や木彫りの作品にも向け制作しました。戦後、窯に火が入れられるようになると河井寛次郎の作品は「用の美」の「用」を超え、エネルギッシュで生命感溢れる力強い作風へと変わり、枠にとらわれない自由奔放な作品へと変化していきました。

今回のお品物は、共箱もあり、作品の状態も良かったため、上記の結果となりました。
共箱や付属品の無い作品では、相場に大きく差がでてしまうこともございますので、一緒に保管されることをオススメします。

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