皆様、こんにちは。 緑和堂 名古屋支店でございます。
今回、ご紹介させて頂くお品物は小嶋 千鶴子 作『花壷』になります。
こちらは春日井市にお住いのお客様より出張買取のご依頼をいただき、成立致しました。ありがとうございます。
小嶋 千鶴子は、イオンの前身であるジャスコの創設者で、イオングループの共同創業者です。
1916年3月3日に三重県四日市市に生まれます。
父は岡田惣一郎で母は岡田(旧姓・美濃部)田鶴です。夫妻の第二子で、5人兄弟(一男四女)の二女です。
岡田惣一郎夫妻は呉服店から株式会社化して企業組織を創設しました。
1927年に父の惣一郎は死去し、経営を引き継いた母の田鶴は惣一郎の理念を受け継ぎ、従来の座売り方式から立ち売り陳列方式に変更する革新的な経営方針をとりました、夏には四日市市民のためにコンサートを開催しました。
千鶴子は、1933年に四日市高等女学校(現在の三重県立四日市高等学校)を卒業しました。女学校時代は陸上競技の短距離選手であり、小林多喜二や宮本百合子のプロレタリア文学に没頭していました。東京の大学への入学が決まっていましたが、世界恐慌で四日市市内の銀行が倒産して親への教育依存ができず進学を断念しました。
1935年に母の田鶴が死去し、千鶴子や岡田家の姉弟に株式会社の岡田屋呉服店が残されました。家業的商店経営から株式会社化した岡田屋の従業員の生活を千鶴子が支える形となりました。
1939年に株式会社岡田屋呉服店の代表取締役に23歳で就任しました。
第一次世界大戦後のドイツで起きたハイパーインフレの知識から大量の衣料品や日用品を仕入れ、新円切替後にそれを売りさばいて(通用可能な)新円を確保し、資産の目減りを防ぎました。
1954年に岡田屋の監査役に就任しました。30歳代の頃にアメリカ合衆国のショッピングセンターを見たいという思いを抱き、45歳となった1961年に若手経済学者とともに1か月間のアメリカ小売業の視察旅行を実現させました。
1969年に本格的なスーパーマーケットのジャスコを設立すると、その取締役に就任し、また、業界初となる企業内大学のジャスコ大学を創設して、労働法・賃金論・国際情勢の権威を学長・教授として迎え、高等学校卒業の社員に対して心理学から文学までの幅広いビジネス教育を行いました。
また3社合併で誕生したジャスコに出身企業の違いによる人事の摩擦がほとんど生じなかったのは、千鶴子が実施した社内教育の功績であるという評価がイオン関係者からなされています。
今回のお品物は小嶋 千鶴子 の作品という事。
専用の木箱もあり、状態もとても良いことから、上記の評価額となりました。
お客様からのお問合せ心よりお待ちしております。